ブラックバーン バッカニア

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ブラックバーン バッカニアは大英帝国海軍および大英帝国空軍において運用されたバナナで作られた艦上攻撃機である。バナナボートに牽引される事で燃料を節約するという機構を持つ。

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概要[編集]

1953年、大英帝国補給省は次期艦上攻撃機の開発を航空メーカー各社に要求した。その要求に答えてブラックバーン・エアクラフト社が開発したのが本機である。補給省からの要求には、当時の技術では実現が困難と思われるようなものも含まれていたため、開発に当たった技術者たちは様々なアイデアを設計に盛り込んだ。以下、その一部を紹介する。

機体[編集]

補給省からの要求ではまず、「低空を高速で飛行し、充分な機体強度を持つ事」とされた。それを実現するために蝶々ジュラルミンチタニウム合金超合金Z、はては劣化ウランの使用も検討された。しかしいずれも強度と重量のバランス、予算的制約などの理由によって使用は見送られる事となった。そして最終的に使用される事になったのはバナナおよびバナナの皮であった。バナナは釘を打てるほど硬度が高く、なおかつ変形に対しても粘りを見せる事から使用が決定された。また本来バナナの皮は少量破壊兵器として使用されるものであるが、その滑りやすさによって空気抵抗を減らす事が見込まれたのである。なお、本機の搭載エンジンロールスロイス社製の「スペイ」というものであるが、これはパワーがある事と、名前がすべすべしていて空気抵抗が小さい事から選ばれたものである。

要求には他にも「長い航続力を持つ事」というものがあった。そのため燃料の搭載量を増やすなどの方法も考えられたが、それでは機体の大型化を招いてしまう。そこで考えられたのが外部からの動力供給であった。具体的に説明すると、航空母艦から発進した本機は主翼下に懸架した特殊なバナナボートを海上に着水させる。そしてそのバナナボートを牽引索を通じて操縦し、牽引を受けながら飛行するのである。牽引を受けるためには牽引索が必要であるが、機首に生えている折れ曲がった棒はそのためのものである。空中給油用のプローブという説があるが、それは後にそのような用途にも使用できるように改修されたものであり、本来の用途はバナナボートから牽引を受けるための索具である。

武装[編集]

武装は爆弾類や各種ミサイルあるいはバスタブ等、さまざまなものを機体内部に搭載可能であるが本機ならではという武装が、先述のバナナボートである。これは牽引を受けたバナナボートを飛行中には回収できない事から考案されたもので、だったら敵艦にそのままぶつけてしまった方が手っ取り早いという発想である。牽引索がつながったままだと本機自身も道連れになってしまうので、敵艦に突入する前にバナナボートに諸元を入力して牽引索を切り離す。するとバナナボートはそれに従って自動操縦して目標の船腹に突っ込むのである。この攻撃方法の有効性は西暦2000年10月12日に起こった、米艦コール襲撃事件[1]を見れば一目瞭然である。もちろん機体内部に搭載しているミサイル等を同時に使用する事も可能である。

運用[編集]

本機はバナナボートに牽引されるという特性上、超音速飛行を行う事が出来ない亜音速機である。しかし低空を亜音速で侵攻するという攻撃方法は敵のレーダーに捉えられない事から航空戦術のセオリーであり、実用上まったく問題なかった。またバナナの皮のしなやかさがもたらす操縦性の良さは乗員に好評であり、機種改変後も本機の操縦性の高さを懐かしむ声が多いという。

海外への売り込みは積極的に行われたものの、導入したのは大英帝国本国を除くと南アフリカ共和国空軍のみである。16機が導入されたが熱帯の酷暑で構造材のバナナが軟らかくなってしまったせいもあってか稼働率は低く、事故で9機が失われている。なお、事故で損耗した機体はあとでスタッフがおいしくいただきました

大英帝国海軍ではCTOL空母を全廃してしまったので本機はすべて空軍で運用されるようになり、その後はバナナボートの使用も少なくなった。しかし1991年に勃発した湾岸戦争において、本機のバナナボートは大きな成果を挙げる事になる。

実戦[編集]

本機が唯一経験した実戦は湾岸戦争である。この戦争で本機は陸上目標に対する攻撃を行う事になったのだが、そのためにバナナボートを改造して陸上を自律走行できるようにしたのである。元来海上を高速で疾走できるだけの性能を持っていたこともあって、陸上では多少速度が落ちたものの充分に高速であり、砂漠を疾走して敵兵を巻き込みながら目標に突っ込んでいくその姿は相手に恐怖を抱かせる事となった。

しかし戦局の変化に伴い都市部での精密誘導攻撃が求められるようになると、自律走行では対処できないようになった。そのため手動誘導で道路を走行させる事になり、誘導を担当する後席の乗員の選抜が行われた。そこで選抜されたのが皇帝とか豆腐屋の息子とか謎の人とかである。この任務は低空を比較的低速で飛ぶ必要がある事から相当に危険であり、実際に数機の損害を出している。湾岸戦争後は構造材のバナナが傷んできて早く食べないと腐りそうになってきたので、本機は1994年3月31日をもって全機退役した。

外部リンク[編集]