ヘルマン・ヘッセ

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ヘルマン・ヘッセ(1877年-1962年)は現代ドイツを代表する作家・詩人。内向的でシャイな典型的な文学青年で職が続かなかった人。当たり前が若い頃は社会的落伍者と看做されていた……最終的にはノーベル文学賞を受賞して汚名を挽回した。以下、若干の作品を挙げて考察する。

目次

[編集] 初期作品『クヌルプ(漂泊の魂)』

プー太郎クヌルプを主人公とした三つの短編からなる。一般的には『車輪の下』が若い頃の追憶とされることが多いそうだが、このクヌルプもまた似た系列の作品と言えよう。ラテン語学校(たぶんエリートコース)に通っていたが、チョイ悪の彼女から「職人の彼の方がステキ」と言われてドロップアウト。その後、失恋のショックで完全にぐれてしまった。目的を失った彼は以後、あちこち放浪する無為の生活に終始する。そして職人として真面目に修養を積むこともなく中年になり、最期は雪の中で野垂れ死んでしまった。若き日の心の傷が如何にひとりの人間の人生を狂わせるかという一例で、しゃれにならない。現代でも似たような経過を辿る青年は少なくないだろう。不思議とのどかな雰囲気に満たされているのが哀愁を誘う。彼もまた「ドイツロマン主義」の末裔だったのだろうか。

[編集] 中期作品『デミアン

世界大戦のショックから、「人生には悪魔的な要素も必要なのだ」という意図がこめられた作品。ヘッセの転換点ともなったといわれている(綺麗ごとの戯言だけで世の中を渡っていくことはできないし、社会の塵埃の中では逆に、何らかの毒をもっていないと生存すら危ういため。それを自覚した点で成長がうかがえるのかもしれない)。親友として主人公に影響を与えるデミアンはあの「666」を連想させる。デミアン母が萌え。戦争で負傷し、病院のベッドでデミアンの幻を見てホモっぽい精神的救済エンドとなる(ガンダムのラストに似ていなくもない)。ただし戦争に参加しても、ヘミングウェイの主人公に観られるような凶暴なまでに能動的な行動は特にとらず、もっぱら行儀良く周囲に流されて負傷してしまう辺りが不満を覚えさせる。ただ参戦したという自己満足で終わっている印象がある。善良なだけの人間は何も出来ないという好例だろう。

[編集] 中期作品『メルヒェン

創作童話集。「アヤメ」では電波的で現実に興味のない妻のことが描かれる。これには筆者本人の性格が現れていると推測され、内向的な引篭もり気質の表明と受け取ってよいだろう。

[編集] 詩集

詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」とはヘッセの弁だが、ヘッセの内面へ埋没していく姿勢が現れているかもしれない。ともあれ引篭もりに与えるのは危険な作品である。非社会的な傾向を助長する恐れがあるゆえに。ヘッセの作品は予定調和の自己完結の向きがある為、穏やかになりすぎてあまり面白くない。また「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、温和すぎる性格はかえって本人の破滅を招くことがある。穏健で引っ込み思案になってしまうとクヌルプのように全てを失いかねない。だからいっそフランスの毒々しい欲望の詩でも読んだ方が本人のためにはなるかもしれないと真摯に思う。

[編集] 考察:ヘッセの強さ・温和の功罪

ヘッセの作品は温和な主人公が多いかもしれない。そしてクヌルプのようにそれがために身を滅ぼしていくこともあるだろう。しかしヘッセの場合は温和であったためにノーベル賞まで貰った。もし戦時中に過激な言動をとっていたらありえない話だっただろう。ナチスに積極協力していたらハイデッガーのように追放同然の憂き目に会っただろう。反対に他の作家、例えばテクジュペリのように戦っていたら戦死していたこともありえる。思うに、ヘッセの強さは「温和を貫いた」という一貫性にあったのかもしれない。「利口だから何もしない」というのはよく言われる話だが、「戦うものは滅びる」のである。こう考えるとなまじ行動力などないほうが良いのか、とも思われてくる。結局、全てはの問題なのかもしれない。

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