ポルトガル

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ポルトガル について、イギリス
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ポルトガル共和国(-きょうわこく)とは、名前を言われてみればみんな知っているが、ヨーロッパの国々を順に思い出していこうとすると忘れられている、そんな微妙な国である。

概要[編集]

ポルトガルはヨーロッパに存在している、大国とはいえないが小国かと言われると言葉に困り、古くから存在しているわけでもないが新興国でもなく、なんとも微妙な国である。一般的にヨーロッパに存在していること自体は数多くの人に知られているが、ヨーロッパのどこにあるかに関しては半数の人が言葉につまり、どんな国であるかに関しては殆どの人が知らないような、そんな影の薄い国である。セルビアベラルーシ等東欧諸国も知名度は低いが、それらは国の存在すらも認知度が低いことに対して、ポルトガルは名前だけなら殆どの人が知っている点で影の薄さが際立っており、知名度がある分だけ「あったような気がするけど思い出せない国」になってしまっている。

古くはヨーロッパ諸国らしく海外植民地を持っていた経験があり、ポルトガル語を母語とする旧植民地も少ないながら存在するが、正直旧植民地であったブラジルの方が国としての知名度が上と言う悲惨な状況ともなっている。ヨーロッパの国らしく、それなりに高い国力を誇る部分もあるが常により優秀な国家が存在しているため知名度のわりに正直パッとしない国である

地理[編集]

左:半数の人にとってのイベリア半島 中:知名度による誤解の領土と理想 右:残酷な現実

ポルトガルはヨーロッパの西の端に存在しており、印象に残るには有利な位置取りをしているように見えるが、ちょっと南に目を向けるとアフリカ大陸の西端が更に突き出しているので、いまいち印象に残りにくい。更にその領土が小さいためにイベリア半島の大半を占めているスペインの陰に隠れがちになってしまっている。特に日本では海外貿易を行っていたポルトガルと言う名前だけが有名なことから小さな領土とのイメージが合わず、実際のポルトガルの領土とイメージが噛み合わず余計記憶に残らなかったりする。その上、ヨーロッパの西の端に存在しているにもかかわらず南欧に区分されていることから位置が微妙に分かりづらい。

半島の端にあり、海に沿って縦に細長い領土から国土に対して海岸の比率も高いのだが、地中海には一切面していないため波が荒い上に寒流のカナリア海流の影響で緯度の割りに意外と冷たく、温暖で穏やかなエーゲ海を有する東欧諸国に比べて海辺のリゾート地としてパッとしない。そもそもスペインに対して地理的な障害も少なく、イベリア半島最大の特徴であるジブラルタル海峡も含んでいないため、何故わざわざそこに存在しているのか理解しがたいなんか微妙な場所の国

歴史[編集]

イベリア半島の一部であることから半島として纏めて支配されることも多く、12世紀ごろまではスペインの歴史とほぼ同等であり、基本的にはフェニキア、ギリシア、カルタゴ、ローマ、西ゴート、イスラムの順で支配された。10世紀ごろに西ゴートの後継国がイベリア半島を再支配するレコンキスタの真っ最中に、ポルトガルあたりをもらった伯爵がどさくさに紛れて独立戦争してみたら、なんだかんだの結局元の国の保護国と言う独立したのかしてないのか微妙な建国の歴史を持つ。なおこの時期には似たような事情で、他にもいろんな国が雨後の筍の如く誕生していたが、その後みんなスペインにまとめられた。しかしポルトガルだけは、影が薄いために、統合を忘れられてしまった。

しかし来る14世紀にはキャラベル船の開発、エンリケ航海王子、ヴァスコ・ダ・ガマインド到達と大航海時代の端緒を切り開き、人々には今まさに輝かしきポルトガルの時代が来たかのよう見えた。だが、大航海時代の大成果はスペインの出資によりアメリカ大陸を再発見したジェノヴァ人のコロンブスに集約されてしまい、結局全体的にはパッとしなかった感じになってしまった。更にポルトガルは航路の開発に重点を置いていたため海外の植民地開発を重視せず、気がついたときにはスペインや後発のフランスイギリス、果てはオランダにすら植民地獲得競争で遅れをとることになっており、大航海時代の多大な出資の結果はいまいちパッとしない大国程度で収まってしまうことになる。

16世紀末に、スペインはようやく今まで影が薄かったポルトガルの存在を思い出し、自国に併合した。しかしこの当時、神聖ローマ帝国(ドイツ)と合邦しており「ヨーロッパで一番の輝ける大国」スペインと、影が薄いポルトガルは、国情が全然違っていたため、この併合はいろいろ問題を引き起こした。結局のところポルトガルは叛乱を起こし、17世紀後半には独立を獲得する事になる。しかしアメリカ独立戦争やら、オランダ独立戦争と比べると、このポルトガルの独立戦争はいまいちパッとしないのは否めない事実である。'

18世紀からはナポレオン戦争が勃発したことに恐れをなした王族が植民地のブラジルに逃げ去ったことでポルトガル本土は完全に放棄された微妙な存在に成り下がる。ナポレオンの脅威が去ったためポルトガルに王族が戻った直後にはブラジルが帝国として独立し、ブラジルの利益だけで食べていたポルトガルは困窮し最終的にブラジルとポルトガルの主従関係が逆転してしまうことにもなる。第一次世界大戦ではドイツ帝国に宣戦布告したは良いが参戦できるほどの余裕がなく何もしないまま戦争が終わり、第二次世界大戦では中立を気取って無難に立ち回った結果とくに何もなかった。

第二次世界大戦前後から独裁者に支配された、自由の無い国家になってしまった。ここで国民を徹底的に弾圧したり、国民が飢餓で苦しんで大勢の人が死ぬといったお決まりのパターンであれば、非常に悪い意味で有名になるところだが、そんな事実はまったくなく、まあ、なんとなく国民が貧乏だよねという程度の支配体制で、悪い意味においてもパッとしない状態であった。更に戦後は民族自決運動で、各植民地で独立紛争が頻発した中、ポルトガルの独裁政権は植民地を死守していたが、ここでベトナム戦争みたいな悲惨な戦争が繰り広げられれば、悪い意味で有名になる所だが、今ひとつ微妙な独立紛争ばかりであった。

やがて国民は独裁政権打倒に立ち上がり、革命が起きる。ここで救国の英雄が登場したり、独裁者一族を虐殺したりとか、さらには独裁者を打倒した英雄が権力を握ると堕落したりといった、ありがちのパターンのドラマが起きると、それはそれで有名になるのだが、そのような事実は全くなく、今ひとつ盛り上がりに欠ける革命であった。

結局歴史にすら華がない。

日本との関わり[編集]

日本とポルトガルの関わりは大航海時代に始まる。日本の種子島にマスケット銃を持ち込んだのはポルトガル人であるし、最初に訪れた宣教師はポルトガルによって派遣された人であったことから、ポルトガルの南蛮貿易のイメージが強く残っている。しかし実際に派遣された最初の宣教師は、何故かポルトガル人ではなくてスペイン人のフランシスコ・ザビエルであり、最終的に日本が江戸時代に海外貿易をすることになったのはオランダであることから、南蛮貿易を行っていたのはスペインやオランダと言う記憶の上書きがされてしまい、あまりパッとした印象が残っていない。むしろ、それらの国と混同されることすらもある。さらには鉄砲伝来についても、ポルトガル人を日本に連れて来たのは倭寇の王直だとか、日本にもたらされた鉄砲は東南アジア製のマラッカ銃だとか、「ここまでしてポルトガルの印象を薄めたいか?」と勘ぐりたくなるような新説が次から次へと登場する有様であるが、まあポルトガルの印象が残らなくなったのは、疑いの無い事実である。近年では、徳仁皇太子(当時)が国交400年を記念しスペイン訪問されたのに。ポルトガルはスルーされてしまう事態も起きている。

国擬人化で有名な某漫画ですら一度も登場していないと言う始末であり、同じくネーデルランドと混同されて影の薄いデンマークすらも登場しているのにこの扱いであることから、どれほど印象が薄く特徴がないかが分かる。日本語版アンサイクロペディアでも東欧諸国すら記事が作られる中無視され続け、国の記事よりも先に首都リスボンの記事の方が作成されると言う体たらくとなっていた。日本語のパン、ビスケット、コロッケ、ボタン(洋服)、タバコも実はポルトガル語由来なのだが、ポルトガルの印象が薄すぎて日本人は英語フランス語か他の欧米言語由来だと思っている始末である。

旧植民地[編集]

大航海時代の始まりとなったにしては少ないが、無いこともない。航路を重視していたせいか、小さな島が多いのがまた微妙な感じになっている。

  • ブラジル - コーヒーとサッカーで有名な南米の大国。ポルトガルとブラジルとどっちが有名かと聞かれれば確実にブラジルの方に軍配が上がる。一時期、日本・ドイツ・インドとのカルテットで、国連の常任理事国入りを目指した事すらある。2億人の母語とされるポルトガル語を話す人のうち約2億人はブラジル人であり、ポルトガル語というよりブラジル語となっている。
  • マカオ カジノで有名な中国の一部。どこにあるかと問われればポルトガルより正答率は低くなるが、どんな所かと問われればカジノがある分だけならポルトガルよりも有名。しかし香港と比べると、ここも微妙である。
  • 東ティモール - 「インドネシアの占領から解放された」という事で有名な地域だが、それ以前はポルトガルが支配していた事実やポルトガルが当の問題の種を撒いたことは、影が薄いためにかなり忘れ去られている。
  • 他パッとしない諸地域

経済[編集]

「ポルトガルの大企業は?」と聞かれて、すぐに思いつく人は稀であろう。「じゃあ、 EDP, Cimpor, Corticeira Amorimって大企業聞いたことある?」って聞いても、「ある」と答える人は稀であろう。そもそも、社名をどう発音すればいいのかすら分からない。 EDPあたりは売上が1兆円を超えているようだが、これはダイエー以上いすゞ未満。微妙な位置である。

主要輸出品はコルク

パッとしねえよ。

文化[編集]

料理[編集]

ポルトガルは地理上イスラム文化と接することも多く、キリスト教文化圏とイスラム文化圏、そして植民地であった南アメリカの文化が融合した豊かな料理文化がある。しかし、多文化の交流と言う意味では正直トルコやら中国の料理が偉大すぎていまいちパッとせず、独自に発達した料理文化と言う意味ではイタリアやフランスに対して遠く及ばずパッとしない。大航海時代の国内食糧事情により牛のモツ料理などが伝統料理としてあるが、これといって豪華でもなく、また不味くもないため、イギリスやらアメリカと比べて、むしろ個性がない。 特産品は干した魚

ホント、パッとしねえよ。

なお消費はほぼ国内である。

スペイン料理やギリシャ料理も独自の個性が薄いことでは同じだが、これらはイタリア南部料理やフランス南部料理とひとまとめに「地中海料理」とされて有名である。対してポルトガルは地中海に面していなかった。

日本で有名なポルトガルの料理はカステラ、金平糖などの南蛮菓子であるが、正直いまさら出されても微妙なお菓子である。

スポーツ[編集]

ポルトガルのメジャースポーツはヨーロッパ諸国の例に漏れずサッカーである。独自のサッカーリーグ「スーペル・リーガ」も存在しているが、すぐ隣のスペインにかの有名な「リーガ・エスパニョーラ」があるため主要な選手はまずそちらに向かってしまい、いまいちパッとしないサッカーリーグである。ワールドカップにおいても国代表が予選突破できない期間が長く、旧植民地であるブラジルが何度も優勝してるのに対して一度も優勝していない。しかし弱小国ということでもなくFIFAランキングも高いため逆に微妙

また、スペインと同じくポルトガルでも闘牛が行われているが、スペインとは違い牛を殺すことが少なく倫理上配慮された全年齢対応版になってしまっているため、スペインに比べて知名度も低く観光の目玉にもなりにくい微妙な存在である。これを見に行くぐらいだったらスペインに行った方が良い。

主なポルトガル人[編集]

  • ルイス・フロイス - 宣教師で、戦国時代の日本を本国に紹介した資料が良く戦国物で使われるが、所詮は2番手以下に過ぎず、最初に日本を訪れたザビエルと比較するとパッとしない
  • ヴァスコ・ダ・ガマ - 喜望峰を通ってインドまでの航路を開発した人。しかし、コロンブスの成果を横目で見ての二番煎じに過ぎず、かつ単なる新航路発見では「新大陸発見」の圧倒的インパクトには到底及ばず、パッとした印象が無い
  • フェルディナンド・マゼラン - 史上初の世界一周をした人…になるはずだっだが、途中で挫折してしまったため、コロンブスに比べてパッとした印象が無い。部下が遺志を継いでいるが、そっちのほうは名前すら思い出せない。スペイン人と誤解されることすらある。
  • アントニオ・サラザール - ヨーロッパ最長の独裁政権だった人だが、ヒットラーや中東諸国の独裁者、さらにはスペインのフランコ将軍と比べてもいまいちパッとしない。そして自宅にあるハンモックから転げ落ちて頭を打って亡くなるというパッとしない終わりであった。

関連項目[編集]