ポンパドゥール夫人

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ジャンヌ=アントワネット・ポワソン・ド・ポンパドゥール: Jeanne-Antoinette Poisson de Pompadour)とは、ある関西(兵庫県西宮市)在住の女子高生に対し、江原啓之が示した「ヨーロッパ宮廷で愛された貴婦人」という前世に当てはまる者の中では、最も生き写し、もとい生き写されたと言える人物である。

生い立ち[編集]

今の日本で言うところの、中の上の暮らしが出来るサラリーマン一家、つまり民間の裕福な家庭の娘として生まれる。ウィキペディアにあるように両親は教育熱心で、彼女自身もそれに応えた優等生であった。日本ならば神戸女学院あたりで10代の学校生活を送り、成績もトップクラスであったに違いない。

芸術にも明るく、当時はまだどうしようもなく先鋭的な概念であったロココ趣味を愛した。今の日本における萌えのような位置づけにあったものである。その上常人を超越した合理的な思考の持ち主であった。これは父が銀行員であったことに起因しており、端からは不思議ちゃんにしか見えなかった。公務員結婚したもののそのあまりの合理性に呆れはてられ、程なくして別居している。

運命の時へ[編集]

夫との生活に飽き飽きしていた頃から、彼女はかつてソレナンテ・エ・ロゲも居たようなフランス中の変人奇人が集うサロンなる場所へ足繁く通い始めた。そこでは常人が見聞きすれば泡を噴いて卒倒してしまうような奇々怪々とした理論が繰り広げられていた。しかし彼女はその状況を大いに楽しみ、この世界とは何か、そして自身に課せられた宿命とは何たるかを適当に自覚していった。

そして彼女が21歳のこと―時の王ルイ15世と出会った。彼女の優れた容姿と放たれる不思議なオーラに六感を魅了されたルイは「君はお花畑だね。」と口説き、すぐに彼女を我が物にした。そして1年経つか経たないかの内に、彼女は公的に認められた国王最愛の妾となったのである。

なおその際、彼女は以下のような発言をしている。

「私の時代が来たわ!」
当時の世界 について、ポンパドゥール夫人

その後の半生[編集]

宮廷社会の一員となったジャンヌことポンパドゥール夫人(- ふじん、: Madame de Pompadour)は、専らフランス王室の財政破綻させた浪費家として知られる。しかしその真意は彼女自身の享楽と権力の誇示とは別の所にある。

それはやはりサロンでの種々の思想―当時は気違い妄想と片付けられたものであった。彼女はサロン仲間であった宇宙人ヴォルテール、強引に連れてきた未来人ディドロを自身が作らせた別荘に毎日のように招き入れ、ヴェルサイユでは禁則事項としか言えなかった種々の会話に花を咲かせた。このような行いにルイ15世は「忌々しい。」と呟いたかどうかは知らないが、行動の上では彼女を心から愛しているように見えた。また超能力者ケネーを主治医とし、同類の者であったショワズールと共に国家戦略に深く関わらせた。自身もフランス王室団長自称し、勅令の発布やの徴収、はては他国との非公式会合に至るまで、あらゆるまつりごとは彼女の承認なしには執り行うことが不可能であった。

七年戦争の際には軍事オタクの始祖であるプロイセンフリードリヒ2世に激しく反発した。両国とも宿敵としか言えない存在であったオーストリアマリア・テレジアロシアエリザヴェータ女帝と意気投合する程であった。この際、マリア・テレジアの娘である世界初のゆとりマリー・アントワネットを気に入り、重度のオタク気質を矯正してくれるのではと義理の息子にしている。マリーが一時実践していた毎日髪型を変える習慣は彼女の発案によるものである。

かようにして自らの絶頂を謳歌していたのにも関わらず、彼女の有り余る合理性が衰えることは一切無かった。30歳には自身のおっぱいが垂れてきたということで、より巨乳であった下僕に王のお相手を任せ、自らは完全に夜の相手役から引退した。この際王のロリコンすら更生させた、合理主義に基づく自身の秘儀パイズリを伝授したと言われている。さらに次から次へと変化する王の嗜好に応えてハーレムを作らせた。このような理由あって交わりが途絶えても王は最大の理解者であった彼女を死ぬまで愛し続け、彼女は王にとってかつ恋人かつ側近かつ親友であったのである。

総括[編集]

彼女の功績を称えて量産されているフランス人形。手に持つ書物はヴォルテールから借りパクしたハイペリオンの没落である。

手足20本の指に入る世界を代表する悪女であるとされるポンパドゥール夫人であるが、これは余りに近視眼的で、重度のユーモア欠落症患者が壊れたラジオのように繰り返すステレオタイプな思考である。

ポンパドゥール夫人の最大の功績は、何度も申し上げている通り当時は人間ならざる破綻者の思考とレッテルを張られていた啓蒙思想を、自ら奪取した権勢でもって思い付いたままに奨励し、無理やりフランス王室が公認する偉大なる思想としたことにある。これらはみな民主主義社会主義資本主義共産主義、そして自由の源流となる思索である。「ポンパドゥール夫人も認める所だ。」という台詞はフランス革命時の三部会において、革命派が自らの存在意義を王党派に対して簡潔に説明するために極めて重宝された。さらに革命こそ国提とした第三共和制以降、ポンパドゥール夫人の別荘のひとつであったエリゼ宮はフランス大統領官邸として用いられている。もちろん彼女の偉業にあやかってのことである。

つまり、この世界はポンパドゥール夫人によって作り変えられたといっても過言ではない。

なお、以下は彼女の晩年の発言と伝えられている。

「私たちの後は、地獄だけよ。」
次の新しい世界 について、ポンパドゥール夫人

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ポンパドゥール夫人」の項目を執筆しています。