マット・マートン

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「マット・マートン」の項目を執筆しています。

マット・マートン(1981年10月3日 - )とは、黄色いタイガー天の使いであり。ブラゼルとのコンビで「史上最強の外国人コンビ」や「ラインバック・ブリーデン以来のコンビ」ともいわれる。まぁ、開幕前はボロクソ言われてたが。

人物像[編集]

マートン・ノート[編集]

試合中にノートを書いてるのが、たまに映っている。このノートこそが、チームとファンに幸せをもたらす秘密道具、「マートン・ノート」である。現在確認されているだけでも、セ・リーグの他球団ほとんどの投手の特徴、それぞれの球審のストライクの判断基準などが書かれてあると言われる。この他、相手監督の特徴(楽天某監督は、よくベースを投げると書かれてある)や各球場のコンディションまで書かれているという説もあり、トラキチにとっては都市伝説となっている。

ノートを几帳面に書くことから分かるように、真面目である。とにかく真面目である。例として、

  1. 1=2を徹底的に追及する。
  2. エヴァンゲリオンをひたすら研究し最終回についての論文を書いた。
  3. 日本の歴代首相を覚えようとする。
  4. アメリカの歴代大統領も覚えようとする。
  5. ついでにロシアの歴代大統領も覚えようとする。[1]

これがもし、あまり賢くなさそうな浅井良や杉山直久がノートを取っていたとしても、『漢字ドリルくらい、家でやれ!!』といった罵声しか浴びないだろうが、いたって真面目な為、そんな誹られ方はしない。

また“代打のビンボー神様”と必要以上に讃えられるチームの先輩・桧山進次郎が安打の秘訣を知ろうと、マートンの守備の間にノートを覗こうとしたものの、全部英語だったんで理解できずに諦めてしまったそうである。おかげで桧山の無安打ぶりは、なかなか改まらないのである。

神の おかげ[編集]

天狗に成りかねないほどの目覚しい働きで、たちまち人気者になったマートン。インタビューを受ける機会も増えてきた。

しかし、ノートに見られる自助努力の賜物でありながら『神のおかげ』と、頻繁に慎ましい受け答えをする。

ただ、かつて似たような返答を1度だけした助っ人もいる。その人は報道陣に対し神のお告げ、との訳のワカラン返答を残し、日本を去っていった。思い出すのも忌々しいその名を“マイク・グリーンウェル”という。

“おかげ”と“お告げ”。似て非なる言葉とは対照的に、その功績たるや天と地ほどの隔たりがある。海のものとも山のものとも判らぬ、未知数だったマートンの加入時。入団会見では、日本語で挨拶してくれたとはいえ、騙され続けてきたトラキチや報道陣であっても、なかなか能力を信じようとはしなかった。それがオールスターを間近に迎えた79試合終了時点で、リーグ最多の120安打(打率.3519)を挙げる快進撃である。

それに対し、年俸3億円という破格待遇で契約を結んだグリーンウェルの時は、春季キャンプの始まる前から優勝の決まったような騒ぎ方をしたもんだ。それが公式戦が始まっても「再帰国したまま、日本に居ない」という体たらく。5月頃になって、ようやく戦列合流したものの、骨折により離脱。挙句の果てに“お告げ”発言である。結局、たった7試合で6安打(打率.231で0本塁打)・5打点・4併殺という、とんだ“食わせ者”ぶりだけを発揮し、3億の年俸を丸々抱えて逃げ去っていたのである。

グリーンウェルは不誠実だったが、真面目にやっても「駄目なものは駄目」という害人には、枚挙に暇無い。そんな歴代害人の働きと呼ぶに値しない働きに対する“贖罪”のように、マートンは安打を積み重ね続けているのである。

野球人生[編集]

メジャー時代[編集]

レッドソックスに全米でドラフト1巡目で指名されたことのある人物。この時期から才能は発揮していたがチーム方針とあわなかったり、コーチがぴーなことをしてばかりで指導もされなかったため、結局マイナー生活をしていた。2009年12月までは…

阪神時代[編集]

一方、黄色球団ではケビン・メンチに代表される駄目害人しか連れてこない阪神甲子園球場がイチバンやぁ~な人を解雇し、広島から連れてきたシーツを新たなスカウトにした。このシーツが、これまた真面目なスカウトで、就任早々「こいつはロシアの歴代大統領の名前を覚えるほど真面目なんだ。雇ってくれないか」と球団に推薦してきた。

そこで球団は「赤星が引退するし、そんな薦めるんやったらいいんちゃう」と、シーツの送ってきたレポートに最後まで目も通さずに了承し、契約を結んでいる。なにせ前任の“イチバンやぁ~”のスカウティング・レポートといったら、小学校の通知表よりも粗末なモノで、前述のメンチに関するレポートであっても“花マル”しか書かれていない紙キレ1枚。それがシーツ・レポートに成った途端、大学の卒業論文よりキチッとした文面で“電話帳”のような分厚さ。球団幹部も途中まで読みかけて断念したのが、真相のようである。

春季キャンプでは、新人のボールを打てないだの、守備がヘタクソ等の理由で広沢克己を中心とした在阪解説者に散々言われた。当然、阪神ファンも馬鹿だがそこまで馬鹿でもないので、「外国人選手は皆、駄目害人。ブラちゃんは別だけど~」である。この評価が一遍に覆ったのがオープン戦である。なんと彼は打率3割を打ったのである。さすがの解説者軍団も「むむ・・・」となったが意地を張って「燃え尽きるんちゃいます」とまで言った。なにもそこまで言う必要なかったのに・・・

シーズンに入り「1番・中堅」としてスタメン出場。開幕戦の解説はあの憎き、広沢克己。なんとその前でツーベースヒットを打ったのだ。またも「むむ・・・」となる広沢はまたも「燃え尽き(省略)」また、中田良弘も某在阪放送局の朝番組で「マートンだめ!」といいきっていた。[2]

虎党のみんなも、なにがポスト赤星だふざけるなとかいってたんじゃないの。[3]

2012年に関しては駄目害人みたいになってしまったが、この年はまあ色々あってああなったんで、マートンを責めないでやってください。

2013年は、ヤニキュソス神が君臨していた本来のポジションである聖域左翼の天使として復活し、リーグ最多安打サヨナラ本塁打か、辛いさんの様な併殺打かで、ファンをドキドキさせる選手として復活した。 また、この年は神宮ヤ戦病院に2回のタックル、1人の捕手を寄付している。

2014年は、通算安打数であのバースを越える。また、プレイングマネージャーとして、マウロ・ゴメススコアラーとして指導しながら、首位打者になる。

応援曲[編集]

[編集]

Chakuwiki.png
長文が読めないバカな人のために、チャクウィキバカたちが「阪神に毎年来る外国人選手」の項目を執筆しています。
  1. ^ ロシアの大統領職に就いた事がある者は2010年時点で3人である。
  2. ^ 広沢は「マートンはキャンプ中に何かが変わったんだ」と言い逃れをしている。また、中田は「あの時、『マートン、良いです』と言っときゃよかった」と言っている。しかし中田はむしろ、フォッサムをべた褒めしていた。
  3. ^ 実際、チャクウィキの2010年4月頃の書き込みには、「ひき肉がいなくなったと思えば今度は羊肉みたいな名前の選手が来た。名前で笑いをとるつもりか」といったものもあった。30分後には「結構活躍してるよ」というフォローが入ったが。

関連項目[編集]