マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラージ

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マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラージ(MÁRCIO RICHARDES De Andrade、1981年11月30日~)通称、マルシオ・リシャルデス選手は、ブラジルサンパウロ州アンジーナ出身のサッカー選手である。2011年現在、浦和レッズに所属。ポジションは、右もしくは中央よりのミッドフィルダーで、流れに応じて攻撃的ミッドフィルダーやフォワードの位置まで移動する。

ただ、少なくとも、ボランチではない。絶対ない。出来るんだろうけどやめてくれ。本当にやめてくれ。

経歴[編集]

マルシオ選手がサッカーに初めて触れたのは5歳の頃。多くのブラジル人選手と同じように、少年時代からクラブチームに所属し18歳でプロ入りしている。有望な才能を持つ若手として、数チームを渡り歩いた後、2005年にブラジルサッカーチームの名門であるADサンカエターノに入団。しかし、中々試合に出る機会に恵まれなかったことから、2007年に出場機会を求めてアルビレックス新潟に移籍することになる。すると入団早々に出場した試合のロスタイムに、同点に追いつくアシストを記録。その結果、優良外国人が来た、やったぜ万歳と、ものすごい勢いでチームにもファンにも地域にも溶け込んでいく。

2011年のことを思うとが出てくる話である。本当にが出てくる話である。

実際、マルシオ選手はアルビレックス新潟では、まさにゲームメーカーもしくはファンタジスタ、何よりも新潟の王様として君臨。アルビレックスもアルビレックスで、1外国人選手をフィールド上縦横無尽に動き回らせ、ほとんどの攻撃の基点となるように仕向け、全てのセットプレー(ペナルティキック、コーナーキック、フリーキック)を押し付ける段階で、いかにその他の選手の・・・うん、まぁ、セットプレーの能力がアレだったか、という話になる。というわけで、他にどうしようもない中、持てる駒で最善を尽くした結果、アルビレックスとマルシオは相思相愛に近い関係になる。給料を除いて。

まぁ、それはセットプレー以前に、新潟というチームの得点能力がいかにアレだったか、という話にもなるけれど。

もっとも、そんなムチャ振りに対してマルシオも見事に期待に答え、数々の名シーンを演出し、幾多のジャイアントキリングを実現させる。その結果、ビッグスワンを魔境呼ばわりして毛嫌いする他チームのサポーターがめちゃくちゃ増えることになり、そんな中で生まれた名言?が、いわゆる「マルシオ頼みのクソサッカー」。これは、新潟のような弱小チームに苦戦する上位チームのサポーターがネット上でアルビレックスファンに向けて言い放った侮蔑の言葉であるわけなんだけれど、多くの新潟ファンが、褒め言葉としか受け取っていない件については、明確な回答を差し控えたい。

他にどないして勝ちゃええちゅうねん

2010年前半のマルシオ選手[編集]

マルシオ選手がもっとも躍動したのは2010年。しかし、3月の開幕直前、怪我の回復が遅れてチームを離脱してしまう。この段階で、黒崎久志新監督以下、チームメイトもスタッフもサポーターも新潟県民も、いろんなことを覚悟した。実際、開幕からおよそ1ヶ月、マルシオがいなくても勝てるチーム作りを色々と試す中で、チームは無勝利地獄へと追い込まれる。

当たり前だ。得点機会の50%以上に絡む選手がいないんだから。

マルシオ自身、怪我から1ヶ月で復帰するも実戦の勘が戻らない中で動きが悪く、チームも彼の不調に左右されないような戦術を試行錯誤するも、結局ダメ。そもそも矢野貴章選手に得点能力を求めてはいけない=ワントップに据えてはいけない。そして復帰から数試合を経て、5月はじめになって、マルシオ選手が復調すると同時に、ようやくチームも初勝利。もちろん、ぶっちぎりの最下位。この段階で、いろんな可能性(矢野の覚醒かもしくは、矢野が点が取れるような戦術の発見など)は音を立てて崩れており、なおかつそんなどん底の新潟がどうやって勝ち点をもぎ取ろうとするかを考えたところ、最終的に戦術「マルシオ頼み」が戦術「・マルシオ頼み」へとレベルアップすることになる。なお、2008年2009年も同じような状況であったけれど、当時はアレッサンドロ・ヌネス選手やペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール選手といった、決定力を持ち、個人で状況を打破する能力を持ったストライカーか在籍していたため、マルシオに頼らない戦術「外人頼み」が成立していたのだけれど、いかんせん、2010年度は・・・ねぇ。

もっとも、開幕から2ヶ月間勝利できなかった段階で、監督も他プレーヤーもファンも、新潟が生き残るには戦術「マルシオ頼み」しかないということを十二分に理解していた。その結果、本来右もしくは中央のミッドフィルダーであるマルシオのポジション範囲が、異常に広がっていく。

中盤から前目であるならばたとえ左サイドであっても顔を出し、フィールド上を縦横無尽に動き回ってパスを受け、チャンスとあれば攻撃機会に結びつける。そのため、同じように広がる彼のポジションの穴については、幸い、同じ右及び中央のポジションを得意として、なぜだか異常な防御力を持つ某フォワードのチームメイトがカバー。彼のスタミナを存分に利用することで解消する。実際、マルシオが動いて出来たスペースをフォワードの某矢野選手が前線から駆け戻って埋め、相手選手のドリブルをマークしながら自陣ペナルティエリア付近まで戻り、その流れでペナルティエリア内でクロスボールをクリア、また前線へ戻っていくという、普通だったらありえないシーンが度々見受けられることになる。その上、各選手とのポジションチェンジも頻繁に行い、相手のマークを分散。って、これはまぁ、これは普通の話だけれど。

とにもかくにも、「超・マルシオ頼み」に特化することで、この時期から新潟が異常な強さを発揮し始める。チーム記録に並ぶ4連勝を達成したのを皮切りに、いつもの年ならガクっと戦績が落ちる夏場に白星を固めうち。ぐんぐん上がる順位に、新潟県民ですらありえない期待をしてしまうほど、その当時のアルビレックスには勢いがあった。

実際、この「超・マルシオ頼み」の戦術は、結果として新潟の歴史に残る完璧な攻撃スタイルとしてファンの間で名を残しており、スピードとドリブルと若さでゴールを目指すチョ・ヨンチョル、テクニックの引き出しがやけに多いミシェウ・ジェファーソン・ナシメント、日本人離れしたフィジカルで押しまくる某矢野貴章、そんな特性の違う3人の選手を自在にコントロールし、機を見てはフリーキックをゴールネットに突き刺すマルシオ・リシャルデスの4人は、新潟ファンから「ファンタスティック・フォー」と呼ばれるまで魅力的で多彩な攻撃を展開。実際、チームもぶっちぎりの最下位から上位争いにまで名を連ねるほど突き抜ける。あの日までは

2010年後半のマルシオ選手[編集]

そう、あの日までは。

2010年8月25日、矢野貴章選手がドイツのサッカーチームであるSCフライブルグに移籍したことで、この新潟の伝説は終わりを告げる。もっとも、この段階でチームはアジア・チャンピオンズリーグを伺う位置、降格争いはまったく関係ない位置にまで浮上しており、後はいかにして矢野の抜けた穴を埋めるかが来年へ向けた課題となる。

・・・その結果、来年まで埋まらなかったわけだけれど。彼が移籍した後、シーズン終了まで一度たりとも相手チームを零封できなかったわけだけれど。

その結果、戦術「超・マルシオ頼み」が大きくひび割れる。しかも、そういうときに限って、マルシオ自身も故障で離脱。そして思い知らされる戦術「超・マルシオ頼み」の弊害&新潟の素晴らしき泣きたいレベルの選手層の薄さ。新潟だもの。

そして、10月半ばに復帰した後も、マルシオ自身の不調及びチームの不調は隠せず、しかもマルシオは再度怪我で戦列を離れるなど、ここにいたって新潟の次なる目標は、いかにしてマルシオがいない状態でチームの崩壊を防ぐかが焦点となる。

・・・その結果、今いるメンバーでは崩壊が防げないことが明らかになる。いや、うん、まぁ、その、新潟県民全員知ってた。むしろ、知らないわけがなかった。であるからして、11月14日に、浦和レッズからマルシオへオファーが来たなんて話が来ると、新潟県民全員目の前が真っ暗になるわけで。なぜなら、貧乏な新潟で、最も高い給料を支払っているマルシオ選手が、この一年間どれだけ活躍したかを考える=給料がどれぐらい必要になるかを考える、という単純な計算を、やりたかないがやるしかなかった。むしろ、昨年末の段階で、こうなることは覚悟していた。

しかし、そんな悪夢の中でも試合は残っており、さらにマルシオ自身、初となる個人タイトルの可能性が残されているとあれば、それこそ今までの恩義に感じ入った関係者から是が非でも彼にタイトルを取らせようと色々画策するわけで。最終的に、ミッドフィルダーの彼をストライカーの位置に張り付かせてまで得点機会を与え続けた結果、1ゴール差で惜しくも3位ではあったけれど、アルビレックスとしては望外のシーズン16ゴールという記録を残すことになる。さらにフリーキックについてはJリーグ記録となる1シーズン7ゴール(2010年)を獲得。チームも春と秋に無勝利地獄に陥ったわりに9位で落ち着き、降格圏とは縁のない平穏無事な年度末を迎えることに成功。

この結果を受けて、マルシオは2010年のJ1ベストメンバーに選出され、新潟所属選手としては初めて、Jリーグの記録に名を残すことになる。そして、運命の12月8日。Jリーグを代表するミッドフィルダー、マルシオ・リシャルデスは浦和レッズへと移籍する。

翌年から始まる浦和時代については聞くな。

マルシオと新潟の素晴らしい関係[編集]

マルシオ選手の新潟時代、それはどのようにすれば新潟が得点するか、どのようにすればJ1残留を成し遂げられるかを突き詰めた結果、一人のキー選手と心中することで、多くのものを失う代わりに得がたき勝利を得る、という話になる。

最高の能力を持つ選手に全てを賭けることで弱小チームが他の強豪チームに類する力を獲得するというのは、サッカーの歴史上度々見受けられる。ディエゴ・マラドーナを有したSSCナポリにしろ、ルイジ・リーヴァを有したカリアリ・カルチョにしろその選手がいなくなったらサヨウナラ、オシマイという、ある意味、バクチに近い形でチームを成り立たせていた。

もっとも、獲得からわずか1年でチームの中心選手を示す背番号10を獲得したマルシオであったけれど、チーム全体でマルシオにボールを集め、マルシオがチャンスを作りやすいようチーム全体で守備意識を高く持ち、前線からしっかりとプレスをかけ続けるといった、戦術「マルシオ頼み」は主に2009年から2010年にかけてのことで、それまではエジ、アレス、ペドロといった個人技で打開する選手とマルシオの両立が主だった攻撃の形であり、何より堅守速攻という新潟のチームスタイルの基本に沿って、全ての戦術が決められていた。

なお、2007年にマルシオが新潟に在籍した直後は、チームにこれまたJリーグを代表する外国人選手であるエジミウソン・ドス・サントス・シルバ選手が在籍し、彼を中心としたチーム作りがなされていた。しかし、2008年に彼は浦和に移籍してしまう。その穴を埋めようと、同じくフォワードのアレッサンドロ・ヌネス選手を補強し、彼を中心とした戦術を築こうとするも、見事失敗。チームは迷走。最終的に新潟はミッドフィルダーでありながら、得点能力の高いマルシオに全てを託すチーム編成を行い、からくも降格圏を脱出。翌2009年はシーズン開幕当初からマルシオ選手に特化した戦術を駆使し、なおかつ大宮からレンタル移籍で獲得したペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール選手もチームの基本戦術と相性がばっちり合って、チームも開幕スタートダッシュに成功。で、夏にペドロ選手を大阪に取られてガッタガタ。戦術「マルシオ頼み」を復活させようとしても、フォワードの駒不足でガッタガタ。なんせ、堅守速攻をベースにするからには、足が速いフォワードが必須だってのに、どうして・・・なんで・・・。

ここらへんの引き抜きに関する話は、もはや新潟の伝統芸である。

このように、戦術「マルシオ頼み」を突き詰めていった結果、マルシオ選手が怪我やカードの累積などで出場しなかった試合の成績は、まさに悲惨の一言に尽き、2007年3月に入団し、2010年12月に浦和に移籍するまでの丸々4年、わずか1勝しか出来なかった。しかし、乏しい資金に貧弱な戦力でJ1上位チームをぼてくりこかすには、それしか方法がなかったし、少なくとも、新潟が2004年以降、幾度も降格の危機にさらされながらもチームが組織として崩壊すること免れ続けたのは、そういったチーム編成を心がけた結果でもある。

そして、そんなバクチが終わり、マルシオ選手がいなくなった後の2011年のアルビレックス新潟の苦戦っぷりについては、ある意味、想像を絶する。けど、まぁ。致し方ない。もっとも、大型連敗やまったく勝ち点が取れない月日を経てもなお、アルビレックスが組織として崩壊しなかった件については「弱かったから」の一言に尽きる。そういうもんだ。逆に、2011年の浦和の組織が自壊していったのは「強かったから」だと思うしかない。

・・・なお、片方は現実で、もう片方は幻想である。

マルシオと浦和の・・・アレな関係[編集]

さて、ここはアンサイクロペディアである。いいたかないがアンサイクロペディアである。2011年に新潟からマルシオが移籍した浦和について、もはや笑うしかない事実しかない以上、事実を事実として書き込む。

まず、戦術の話をするならば、本当に恐ろしい話として、2011年の浦和には、明確な形で「得点を決めるために必要な約束事」が存在しなかった。たとえば、2010年の新潟であるならば、マルシオがフリーキックしやすい位置でファールを獲得するために、サイドから中央に切り込むドリブルを多用したり、2011年の名古屋グランパスであるなら身長194センチのケネディ選手にボールを集め、打点の高いヘディングという日本人ディフェンダーがほとんどがどうしようもない武器を駆使して得点機会を演出するといった、「高確率で結果を残せる明確な攻撃方法」が存在しなかった。

・・・気がする。

というのも、浦和に所属する優秀なドリブラーは、基本的にゴールを目指しシュートで終わることを目標としたため、本来ならフリーキックのシーズン記録を持つマルシオ選手が所属している以上、新潟と同じようにその能力を十二分に発揮できる状況を目指したほうが、普通であればディフェンダーのマーク付きのドリブルシュートよりも高確率で得点できる・・・にも関わらず、チーム全体でそういった意思決定がなされることはなく、結局、彼がベストポジションでフリーキックのチャンスを得る回数が激減。

・・・何かがおかしい。気がする。

そんなモヤモヤした気持ちが晴れない中で決定的な事態が発生。6月25日、元新潟所属で浦和レッズで毎年10ゴール以上を獲得していた万能型ストライカーエジミウソン・ドス・サントス・シルバ選手を、毎年確実に点を取ってるにも関わらず、チームにフィットしないとかなんとかいうとんでもない理由で中東のクラブに移籍させると発表。フィットさせる戦術をとっていた新潟で毎年得点王争いに加わり、フィットさせない戦術をとっていた浦和でも毎年10点以上を獲得したストライカーの移籍によって、マルシオは友人を、浦和は得点機会を失う。

・・・絶対におかしい。気が狂ってる。気がする

その結果、浦和レッズはその予算規模では信じがたい、ありえないほどの戦力と資金を抱えたまま組織が崩壊していく。実際、J1公式戦で5試合連続の無得点を記録。点がとれない。取るためにどうすればいいか分からない。いや、分かってるんだけれど、それをするための積み重ねが出来ていない。誰だ、マヌーサかけたのは。…むしろメダパニか。

マルシオと浦和の・・・アレな関係 その2[編集]

2011年度、浦和レッズ不振の最大最強の要因である、ゼリコ・ペトロビッチ監督の戦術について分かりやすく言うなら、選手同士の力ではなく、選手個人の力に頼りきったチーム、ということになる。何が恐ろしいって、新潟時代はフィールドを自由自在に動き回って得点機会を演出したマルシオが、チーム方針として一箇所に固定。動くなと厳命された結果、ある意味パス出しマシーン&守備専と化してしまい、マルシオのよさをここまで殺すかと、なぜだか新潟ファンが嘆くぐらいにそれまでとは違った形で試合に出ることを要求される。

・・・ぼ、ボランチてあーた(2回目)。

なお、マルシオの良いところとしては、その豊富な運動量によるボールへのプレスが挙げられるけれど、いかんせん、170センチしか身長がなく、67キロしかない体重のない人間に、がっつんがっつん体をぶつけるハードワークをさせるポジションを与えるってところが、なにがなんだかよくわからない。当たり前の話だけれど、新潟時代に前目のポジションでボールを掻っ攫うことができた相手は、足元のおぼつかないディフェンダーが相手のパスミス狙い、もしくはテクニックを駆使したボール奪取が主であったのに、なんで浦和時代になって中盤の底で、反則的にガタイのいい外人フォワード相手に体をぶつけざるをえないポジションをあてがわれるのか、まったく分からない。

もちろん、パス能力は優秀である。それは間違いない。

ちなみに、ペトロ監督の目指すサッカーが、ボランチからパスを何度もつないで相手を崩して得点するサッカーであるならばなんら問題はないのだけれど、いかんせん、攻撃が基本的にドリブル突破を軸とした個の能力全開のサッカーだってのに、どうして守備力がおぼつかない、新潟での4年間ボランチを一度も経験したことがないマルシオをそこに置くのか、なぜ攻撃に参加させないのか、どうして浦和で一番のパスの出し手だった友人を移籍させたのかについては、まったくアンサイクロペディアからは分からない。

・・・いや、まぁ、なんとなく想像はつくんですけどね。でも、いくらなんでも、J1チームでありながら、「チーム編成に関する思想」が存在していないなんてことは、ある意味、分かっちゃいけない話なるわけなんですよ、実際。えぇ。まったく。ほんと。

マルシオと浦和の・・・アレな関係 その3[編集]

まだまだ出るよー。泣きたくなる話が。

アルビレックス入団当初より優良外国人として知られたマルシオが、4年間も弱小チームである新潟に在籍したことには、実は大きな理由がある。というのも、新潟は昔から積極的にブラジル人選手を受け入れており、その生活を常時バックアップし続ける体制が整っていたため、ブラジル人がベストのプレーをするなら、まず新潟というイメージ作りに成功したという点が大きい。実際、新潟は所属のブラジル人選手を常時3人~4人抱えており、また、コーチにも過去のブラジル人所属選手を迎え入れるなど、異国の地で生活に苦慮する選手が、試合以外の要素でメンタルを崩さないよう支え続けている。特に象徴的なのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際に、地震放射能への恐怖から日本を離れる決断をした選手や関係者についても、無理に引きとめようとはせずにその決断を支持。積極的に移籍先を探し、帰国に際してもファンの前で感謝のセレモニーを行うなど、その支援体制はまさに信頼するに足る状況にあり、実際、過去に新潟に所属した選手がブラジルに戻った際も、その支援体制を理由に「お前の代わりに俺が行きたいくらいだ。」と同僚に移籍を勧めている。監督だったなんでんかんでんはポルトガル語が堪能だったしね。このように新潟とブラジル人選手との間には、まさに素晴らしい因果関係が結ばれているといえる。

翻って、浦和レッズ・・・。繰り返すけど、一体全体どうしてマルシオの友人であるエジミウソンを移籍させたのでせうか。しかも、震災から3ヶ月しか経過してないのに。しかも、マルシオに待望の第一子が誕生した直後でせふに。ついでに言えば、5月29日の対アルビ戦、エジミウソンがゴールをゲットした後、赤ちゃんが生まれたことを喜ぶ揺りかごパフォーマンスに、エジミウソンとマルシオの2人しか参加していないのは、どうしてなんでせう。しかも、そのことを憤慨するのが相手チームで点を取られたはずのアルビファンてところがもう・・・ね。

どこぞのカードのCMじゃないけれど、チームへの信頼はお金じゃ買えないという話です。えぇ。

お金じゃ買えない勝ちがある

マルシオと浦和の・・・アレな関係 その4[編集]

まだまだ続くよー。泣きたくなる話が。

そもそもフリーキックというものは大変に繊細な技術がいる、と思われる。大体20m~30m先のゴールに向けて、2mの壁を越え、なおかつゴールキーパーの手をかいくぐらせてネットにボールを突き刺すためには、膨大な練習量に培われたシャープな足元の感覚が必要になる、と思われる。実際、フリーキックを蹴る際に踏み込んだ軸足がほんの数センチ、数ミリずれたとしても、ボールは思ったところには届かない、と思われる。そのため、ピッチコンディションが悪い状況では、いくらフリーキックの名手であったとしても、そう簡単にはゴールを獲得できない、と思われる。

もちろん、すべて想像上の話である。

そのため、浦和レッズのゼリコ・ペトロビッチ監督が、浦和ホームの試合時にパススピードを高めるため、試合開始前からピッチに向けて放水しまくって、晴天にも関わらずに水で足元を滑らせる選手が出たとしても、なんらフリーキックには影響はない、と思われる。ついでに言えば、びしゃびしゃに濡れた浦和のピッチとは真逆、カラカラに乾いた仙台のピッチで2010年、マルシオ選手はペナルティキック、フリーキック、コーナーキック3つの異なるセットプレーでハットトリックを決めているけれど、もちろん、単なる偶然である。多分。

なお、当たり前の話として、フィールドの芝の長さや履いてるスパイク、スタジアムの風向きといった要素もボールの行く先に深く関係する、と思われる。そういった数々の要素を、スタッフと監督、選手が話し合い、ベストなコンディションを見つけ出すことで、1シーズン7ゴールというフリーキックのJ1記録が生まれた、のかもしれない。

無論、すべて、アンサイクロペディア妄想である。実際、マルシオ選手は7月に怪我でチームを一度離脱し、2週間後にチームに復帰するも、それ以降、セットプレーのキッカーを専属で勤めることはなくなってしまう。

なぜかは知らない。

マルシオと浦和の・・・アレな関係 その5[編集]

まだまだ・・・って、いい加減このへんでやめておこう。

2011年、上記に挙げた以外にもマルシオ選手が新潟時代に築いた交友関係はズタズタになっていたりする。遊び仲間だったベガルタ仙台所属のエルディス・フェルナンド・ダマショことフェルナンジーニョ選手が2010年末で仙台を契約終了となったのは仕方ないとして、同じく遊び仲間のエリゼウ・フェレイラ・マルシアーノことエリゼウ選手が2011年1月に遠方の徳島ヴォルティスに移籍し、そして新潟時代に慕っていたファビオ・ジョゼ・ドス・サントスことファビーニョ新潟コーチが震災の影響で帰国することになる。あわせて、新潟時代にいつも一緒に行動していたペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール選手こと、ペドロ・ジュニオール選手が4月より久しぶりに日本でプレーすることになるも、わずか2ヶ月で戦力外とされてブラジルへ返された話などは、正直なところ、浦和というチームとなんら関係のない話である。けれど、最後にとどめを刺したのは浦和というチームである。

そのことが彼のプレーにどう影響するかなんて、誰も分からない。けど、好影響を与えるわけがない。

2011年10月現在の話[編集]

2011年10月現在、浦和レッズは降格圏争いに従事しており、チーム状況からしてかなり危ないと多くの人間から思われている。けれど、どうなるかは誰にも分からない。けれど、もし、J2に降格するとなると、現状、Jリーグで最も高い給料をもらっているマルシオ選手が真っ先にクビをきられる可能性が高い。

けれど、確実に言えることは、マルシオ選手が悪いわけじゃない。

ただ、すべてにおいて、どこかしら、何かがおかしく、そして、恐ろしく運が悪かった。それは本当のことである。これから先、どうなるかについては、神のみぞ知る。・・・なんて文章を書いた翌日に、マルシオ選手は練習中、左ひざを痛めてチームを離脱する。10月20日11時現在、ペトロビッチ監督が「詳細は分からない」とコメントするなど、明らかに軽症ではない意図が読み取れる。

その直後の10月20日12時、浦和のペトロビッチ監督が解任される。

せっかくなので太字で書いて、☆マークも貼り付けよう。その直後、浦和の☆☆☆ペトロビッチ監督☆☆☆が解任される。Yeah!!

ついでに、テンプレート大も使用して驚きを表現しとこう。

ペ解任

Yeah!!

このいきなりの急展開について、もしかしたらマルシオ選手の怪我と何か関係があるのかもしれないが、それが神の意思だってんなら、あまりにも底意地が悪すぎる気がしなくもない。しかし、何にせよここは遠く離れたアンサイクロペディアである。淡々とああこりゃこりゃとでも言うほかない。

マルシオ・・・(涙)。

2011年11月現在の話[編集]

マルシオ選手が怪我をしてからおよそ3週間が経過した11月11日、ようやく浦和レッズの全体練習に復帰する。しかし、本調子にはまだ遠く、そもそも新潟時代から、彼の怪我明けの成績はさほどよくない。そのため、16日に行われる天皇杯の試合に出場後、どれぐらい調子を取り戻すかが全ての鍵を握ることになる。幸いなことにレッズ監督の堀氏の基本フォーメーションは4-1-4-1。前監督の採用したわけの分からないボランチ起用という可能性はだいぶ少なくなる。けれど、いかんせん、攻撃の引き出しが少なすぎる浦和レッズである。彼の持つセットプレー能力やパスセンスといった、周りの人間を活かす攻撃が、果たして浦和レッズにおいて成功するかどうかは、どう考えても厳しい気がしてならない。

少なくとも、新潟時代とは違い、浦和レッズにおいて彼は尊敬を勝ち得ていない。そもそも、2011年の浦和レッズというチーム内に、尊敬を勝ち得ている存在がいない。ばらばーら。そりゃもう、見事なぐらいに。

しかし、そんな彼が11月26日に行われた対アビスパ福岡戦で、J1残留を決めるPKを決めるんだから、世の中は皮肉だ。

2012年[編集]

2011年の悪夢を振り払うため、新たにサンフレッチェ広島からミハイロ・ペトロビッチ氏を招聘した2012年の浦和レッズ。それまで4バックが基本だったレッズの戦術が3バックとなった段階で、戦術が選手に浸透するまでにチームが崩壊するんじゃないかという話があったのだけれどもしかしというかなんというか、元広島のディフェンダーで日本代表でもあった槙野智章選手をドイツから獲得。あわせて、チームには元広島の柏木陽介選手もいたことから一気に浦和の戦術理解度がアップすることになる。

さらに、どう見てもチーム内で孤立していたマルシオ選手のために、ヴィッセル神戸からポポ選手を獲得。てゆうか、めっちゃ幼馴染。幸い、チームの弱点である攻撃陣の補強であるため、なんら問題はないものであったけれどもそこまでするかあ。すげー、という話である。そして、マルシオ選手もまたつき物が落ちたかようなプレーを連発。

いかに2011年がひどかったか、という話にもなる。そして、開幕から浦和レッズは順調に勝利を積み重ねていき、豊富な運動量と正確なパスワークで中盤を支えたマルシオ選手もまさにチームの大黒柱として活躍。彼自身、2011年の悪夢を振り払うかのように31試合に出場し9得点と、MFとしては柏レイソルレアンドロ・ドミンゲス選手に次ぐゴールを獲得する。最終的に浦和レッズはJリーグで昨年の悪夢を払拭する3位にまで順位を押し上げ、昨年、バラバラになったチームがようやく一つに纏まることになる。

が、その影でマルシオ選手の無二の親友だったポポ選手がヴィッセル神戸へ出戻る形で移籍。再び、マルシオ選手はチームただ1人のブラジル人となる。なしてこう、浦和のフロントは選手目線で動かないのだろうか。まぁ、さすがにそのままというわけはないだろうけれど、2013年の彼のパフォーマンスに一抹の不安がよぎるのも仕方ない。

2013年[編集]

2013年の浦和レッズは、ペトロビッチ監督の路線をさらに継承する形で、なんとサンフレッチェ広島から森脇良太選手を獲得。浦和のスタメン11人のうち、3人がペトロビッチ監督の教え子という状況になる。さらに、鹿島アントラーズから興梠慎三選手も獲得すると、スタメンにベンチメンバーに綺羅星のごとく日本代表選手や元代表選手が並ぶという、他チームにとってはうらやましすぎる状況になる。が、それでも試合をポカで落とすのだから世知辛い。そんな中、残念なことにマルシオ選手はレギュラーの座を奪われ、2013年はベンチメンバーとしての活躍が主となる。しかし、Jリーグ屈指のMFであるマルシオ選手が試合終盤に投入されるということは、正直、十分すぎるほど他チームにとっては脅威であり、運動量で圧倒できるマルシオ選手は確実に浦和の武器となっていた。

しかし、後半戦に入るとマルシオ選手はサッカー選手の職業病とも言われるグロインペインを発症。10月末の柏レイソル戦後にチームから離脱してから、どこぞのアルビレックスのごとくに、浦和レッズにも暗雲が立ち込める。実際、交代枠の怖くない浦和は他チームに上手く対応され、あれほど脅威だった後半の得点力も激減。その結果、最後の最後まで優勝を争うものの最後2節で脱落、しかも4試合勝利なしの状態で最後の最後で守備も崩壊。4失点の後の5失点という言い訳すらできない敗北を積み重ねた結果、後続にまくられまくってACL出場すら逃す6位でフィニッシュすることになる。しかも、マルシオ選手抜きで連勝さえしていれば、大逆転優勝も可能だったという時点で悲劇でありかつ喜劇である。

けれど、同じく連敗して優勝を逃した横浜・F・マリノスのほうが悲劇である上、連勝して大逆転優勝を果たしたサンフレッチェ広島と、そこに所属していた三選手&監督のことを思うと、チーム全体の悲喜劇としてはどうしても軽くなってしまう。そして、この結果を受けて、浦和レッズがサンフレッチェ広島の守りの要であるGK西川周作選手と元広島の李忠成選手を獲得。いや、まぁ、なんだ。その、がんばってくれとしか言い様がない。

あわせて、2013年にベンチメンバーながら存在感を示したマルシオ選手にとっても2014年は勝負の年になる。

上の文章を書いた翌日[編集]

2014年1月29日、浦和レッズからマルシオ・リシャルデス選手が左ひざの靭帯の機能不全を起こした結果、ブラジルへ帰国し手術を行い、

全治、


6ヶ月。


などというクソろでくもない情報がもたらされる。とりあえず、浦和レッズはフィジカルコーチも含めて選手のケアの体制をなんとかしたほうがいい、ではなくて、根本から改革したほうがいいと思うんだ。心から。無論、他のJチームからすれば、誰かしら中心選手が怪我で稼動できないぐらいでないと厳しい戦力であるため、まったく今の状態で大丈夫という話でもあるのだけれど。

2014年[編集]

2013年に負った怪我の影響から2014年シーズンのほぼ半分を棒に振ったマルシオ選手。その後、治療とリハビリを経て8月にようやく試合に復帰するものの、残念ながらレギュラーではなくベンチからのスタートがメインとなる。これは仕方がない。しかし、幸いなことに浦和レッズは夏場から絶好調。J記録となる7試合連続無失点など、首位を独走し始めるとマルシオ選手は試合に欠かせない控えメンバーとして活躍。主に70分過ぎに投入されることで、ばてた相手を運動量で苦しめて試合を上手に終わらせることが2014年のマルシオ選手の主な仕事となる。

しかし、そんな絶好調の浦和レッズに大きな落とし穴が待っている。しかも、マルシオ選手と直接関わるとてつもない落とし穴ときたもんだ。

11月11日、さいたま市内でマルシオ選手の運転する乗用車と一般女性の運転する乗用車が接触、女性が肋骨を折る大怪我をするという事件が発生した後、またしても浦和レッズは対応を誤ることとなる。それは、マルシオ選手に対して厳重注意するのみに止めるだけならまだしも、その後の試合に普通に出場させた結果、ただでさえ優勝争いのプレッシャーで厳しい中、精神的なコンディションを思いっきり崩した状態で試合に臨ませることになり、試合中の笑顔が印象的なマルシオ選手が、まるで親族の死に目に会えなかったかのような暗い表情で試合をすることとなる。その結果、浦和レッズは最後の3試合において全てマルシオ選手が投入されてから失点、1勝すればJ1優勝という立場からガンバ大阪に歴史に残る大逆転を許してしまい、最終的に2位でシーズンを終えることになる。

この件について、もちろん悪いのは事故を起こしたマルシオ選手であり、彼の不注意が浦和レッズの優勝を逃す原因の1つとなったことは否めないのだけれども、普通、海外で交通事故を起こして相手に重傷を負わせた外国人選手を試合に出すかあ?それも、マジメであることが持ち味の選手をさあ。

ただし、マルシオ選手の投入以前の問題として、浦和の選手全員が優勝がかかったプレッシャーからプレーがボロボロになっており、マルシオ選手の投入後に点を取られたプレーの1つ1つについては、個々のプレイヤーのミスが積み重なったものである。ただし、そういったミスをさせないよう、安定感をもたらしていたマルシオ選手の動きも悪かった、何より、ああいった悲愴な表情のままサッカーをやってはいけない。気がしてならない。とは思うんだけど、残念ながら浦和レッズでは違った。残念ながら。

あわせて、今回の事故と優勝を逃したという事実により、マルシオ選手の2015年の去就についてははなはだ未確定であり、J最高年俸のブラジル人として、今後、どういった扱いをされるかが注目される。

上のを書いた翌日[編集]

2014年12月9日、浦和レッズはマルシオ選手と2015年シーズンの契約満了を発表し、4年におよぶ浦和レッズの日々が終わることとなる。なお、1億円と呼ばれたその年俸に見合った活躍が出来たかというと微妙であるのだけれども、浦和レッズの獲得した外国人選手の中ではまずまずの働きを見せており、少なくとも、怪我さえなければより目立った活躍が期待できただけに、惜しい話である。

もちろん、ヒザに爆弾を抱えているマルシオ選手を酷使するような起用を続けた浦和レッズと、レッズのフィジコに言いたいことはたくさんある。本当に、たくさんある。

関連項目[編集]