ミカ・ハッキネン

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ミカ・ハッキネン(Mika Pauli Häkkinen, 1968年9月28日 -)は、現代における世界三大恐妻家のひとりにして、元F1ワールドチャンピオン(2回)。某巨大掲示板における愛称は「2(ry」または「2(ryネン」。ちなみに、世界三大恐妻家の残り二人は、ビル・クリントン野村克也である。

概要[編集]

フィンランド生まれの他の有名スポーツ選手と同様に「フライング・フィン」の異名を持つ。頭の固い事典では、「非常に日本人受けするタイプの金髪碧眼のハンサムで、日本では「北欧の貴公子」、「白夜の国の王子様」などの美称でも呼ばれた。」と、まるで頭の固い事典らしからぬルックスに関する褒め言葉が並んでいるが、それは彼の時代のF1レーサーがヒゲダルマゴクミの旦那ムッツリスケベペヤング特攻野郎Aチームみたいなのばかりであったからである。日本人が北欧、特にフィンランドに感じるロマンとの相乗効果によるものであった可能性も大きい。仮に現在も現役を続けていた場合、フィンランドの酔っ払いや、モデルもやってるらしい道端馬豚などと張り合って、レース外でもバトルをしていたかもしれない。
メガデスデイブ・ムステインプロレスラーブロック・レスナーにそっくりなことでも有名。というか、ムステインとレスナーはあんまり似てないのに、二人のまん中にハッキネンを置くととたんに3人そっくりになってしまうのは不思議である。

恐妻ぶり[編集]

ハッキネンの妻イリヤさんは、単独でゲームに出るほどの知名度と威圧感を持つ

妻イリヤは7歳年上。永年のガールフレンドと言われているが、実のところ、アデレードでの生死の境をさまよう大事故(1995年)の時に、他に沢山いたガールフレンドやらセフレやらが全部、ミカにはもう将来はないものと見捨てて去ってしまったのに、彼女だけが、年齢的にももう他を探すのがめんどくさかったのか献身的に看護を行ったから、というのが結婚の理由らしい。ミカは事故の前にはイリヤをサーキットに連れてきたことはなかったというくらい、つきあっていることを公にはしていなかったわけだし、他に粉かけていたのが全部不発に終わって、仕方なく残ったイリヤと、ということか・・・?!

ちなみに事故前の同年モナコGPのパーティーではアロハシャツのオタッキーが連れていた梅宮アンナを見かけ、オタッキーに「なんでおまえは毎年、きれいな子と一緒にいるんだ?」とツッコミをいれ、アンナをナンパしていたのはもう遠い過去の話となってしまった。

皮肉にも(または「残りものに福」とも)、イリヤをサーキットに連れてくるようになってから、それまで「速いのに勝てない」と言われていたミカがウソのように勝ち出し、ついにはワールドチャンピオンにまでなってしまった。これについては

  • いつもイリヤに監視されていて一切の遊びを禁止されたミカが、仕方なくレースに打ち込むしかなかった
  • いつもイリヤがピットで腕組みしてにらんでいるので、クルーが手抜きをすることができなかった
  • いつもイリヤがサーキットに来るので、他のドライバーが畏縮して実力を発揮できなかった

などの理由が挙げられている。

メルセデスベンツのCM[編集]

ヨーロッパ向けのメルセデスベンツCMに多数出演しているが、恐妻ぶりがネタにされているものが少なくない。一例をあげるとこんな感じ。

一般道をスピードを上げて疾走するメルセデス。通りすがりの人はそのスピードに驚き、口々に「ミカだ」「ミカだわ」とつぶやく。やがて車は郊外に出て、とある家の前で停まる。そこにいるのは小さな子供の世話をするミカ。颯爽と車から降りてくるのはイリヤであった。そしてCMの最後にはホースとブラシで洗車中のミカの姿が。

かように、「ワールドチャンピオンなのに尻に敷かれているミカ」というのがお約束となるくらい、その恐妻ぶりは世界的に有名なのである。しかしながら、この恐妻家ぶりが反動になったのか、2008年に夫妻は離婚。近頃では、ストリッパーのお姉ちゃん(と言ってもイイお年の方らしい)といちゃついてる所も写真に取られ、本人曰く「彼女との毎日はエキサイティングだ」との事。恐妻家からみごとに好色家に転身を果たした。うらやましいと思っている読者もこの中にいるのではないだろうか?!

HUGO[編集]

長男の名前は「ヒューゴ」である。これは、所属していた(別名:銀河帝国)チームのスポンサー、「ヒューゴ・ボス」(作業服の会社)からとったもの。これを他のケースで考えると、キムタクが子供に「富士通」と名付けたり、松嶋菜々子が「生茶」と名付けたりするようなものである。ありえない。まあ欧米の会社は創業者の名前が、社名になっているケースが多いので社名を人名にしても違和感は少ない。それにしても一部の日本人にはゴマすりと思えたらしいが、ミカがゴマをするような器用で手段を選ばない人間なら、音速の貴公子のように、ライバルドライバーに突撃してまで、チャンピオンを獲得していたであろう。

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ミカを象徴する2つのシーンがある。ひとつは、F3時代のマカオGPでを抜こうとしたが、顎のあたかもアリ地獄の罠に、まんまとはまり、接触して号泣したことであり、もうひとつは1999年イタリアGPで、トップ走行中に単独スピンでリタイアし木陰で号泣したことである。しかし、「泣く子は育つ」という諺があるとおり、ミカは泣くごとに成長していくのであった、いろんな意味で。

F1やーめた[編集]

F1引退のしかたはきわめてとんこつラーメンではなく、東京ラーメンのようにあっさりであった。2年連続チャンピオンになり、3年連続タイトルを狙ったが、イタリアントマト軍団は全勢力をに注ぎ込んだことで、さすがのミカもお手上げだった。翌年、マシンが壊れまくりでミカはやる気がなくなり「F1なんて、やってらんねえ」と「さいなら」を決意していたが、銀河帝国の関係者は「スポンサーの都合もあるから」となだめ聞かせられ、表向き「1年間の休養」を宣言する。しかし、その半年後にやっぱり正式に「さいなら」となった。まるで、銀河帝国があたかも政治家のように「ミカは引退しませんよ」と選挙前に公約していたのを、選挙に勝ったとたんに「そんなこと、言ってたっけ???」と誤魔化すようなものであった。