ミステリーツアー
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ミステリーツアーとは、旅行会社による企画旅行の一種である。
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[編集] 概要
一般的に行われているミステリーツアーは、おおざっぱに分けると
- 「旅行の目的地が出発まで明かされない」という行き先不明のツアー
- 「謎解きやミステリー劇に参加しながら旅行する」というイベント型ツアー
の2種類がある。そのうち、後者に関しては、旅行の企画時点ですでに目的地が決まっているものであり(それに従って企画を立てるのだから当然とも言える)、ミステリー性がやや弱いと思われる。本稿では主に前者について述べる。
日本の旅行業法に基づく旅行の広告表示規約では、いわゆるパッケージツアーを企画する際には
- ツアー名に目的地を入れること
- 募集パンフレットや募集広告には宿泊地を明示すること
の2点が義務とされているが、ミステリーツアーだけは例外としてそれらの義務が免除されている。その「例外」的措置に付け入る形で主催者がかなり好き勝手をやっていた件について、旅行業を管轄する国土交通省の腰はなぜか重い。おそらく外務省に対してなにかコンプレックスがあるのではないかと言われている。
[編集] 歴史
日本において、記録に残っている最初のミステリーツアーは、1899年に行われた「佐倉丸で行く南半球ツアー」である。その後も「笠戸丸で行く地球の裏側探険ツアー」「あるぜんちな丸で行く未知の世界探訪ツアー」など、明治から昭和前半にかけて、最終目的地を南半球とするツアーが多く開催されていた。
大規模なものとして有名なのは、戦後、1959年に日本赤十字社と朝鮮赤十字社によって企画された「地上の楽園を訪ねて」である。これは、宣伝のためのモニターツアーとして、費用のほぼ全額が主催者の負担であり、参加者はほとんどタダで参加できたことから、1984年に企画が終了するまでの参加者総数は93,340人にものぼるといわれている。
一方で第二次世界大戦期間中に、諸外国、特に東アジアにおいて、最終目的地を日本に設定したミステリーツアーが行われていたという説もあるが、それらについては確かな資料が残っていない。
海外における大規模なミステリーツアーとしては、1838年にアメリカ・ジョージア州を出発地として行われた「Trail of Tears」が有名である。合衆国政府主催によるこのツアーの参加者は15000人以上だったと言われている。
[編集] その他
しばしば、帰路においてエクストリーム・帰宅が実施される。
[編集] 招待型ミステリーツアー
日本および西側諸国においては一般に旅行代理店等の募集に対し個々人が応募する、参加型ミステリーツアーが主流であるが、かつての東側諸国や、現在でも中国などでは、ツアーコンダクターが自ら参加者を選定する招待型ミステリーツアーが主流であった。
この招待型ミステリーツアーにおいては、参加者はツアーの開始すら知らされず、また目的地・経由地も一切知らされない。そのため旧東側からは「より高度なミステリーツアー」と宣伝され、西側諸国の市民もこれに参加したことが知られている。
日本においては、昭和の後半に「日本海を旅する--遠くて近い謎の地を目指して」と題する招待型ミステリーツアーが展開された。このツアーには、一説によると合計で数百人が参加したと言われている。長らく主催者は不明とされてきたが、近年、北朝鮮が主催者だったことが明らかにされた。