ラモス瑠偉
「ワタシ リカチャン デスヨ~」
ラモス瑠偉 | ||
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名前 | ||
本名 | イェス・ギリスト | |
愛称 | エンピツ | |
カタカナ | カリオカ | |
帰化前 | Yhoshuah ha-Mashiah | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 紀元前4年ごろ?12月25日? | |
出身地 | ブラジル リオデジャネイロ | |
身長 | 1.16hyde | |
体重 | 15000t(成虫) | |
選手情報 | ||
ポジション | MF | |
利き足 | 右前足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1999- |
東関部屋 | |
代表歴 | ||
2003 | 上戸彩のガンダムフレンズ | |
監督歴 | ||
2006-2007 2014- |
東京ヴェルディ FC岐阜 | |
1国内リーグ戦に限る。2007年12月25日現在 |
ラモス瑠偉(らもす るい、紀元前4年? 12月25日? - 2007年5月3日?)はJリーグカレーを食べて進化した日本の小学生。ホームレス。日本名まさお(Masao)、ブラジル名Ruy Gonçalves Ramos Sobrinho(ルイ・ゴンサウヴィス・ラモス・ソブリーニョ)、ヘブライ語ではYhoshuah ha-Mashiah(ラモスは救世主 または バンテリンを注がれた者ラモスの意)と呼ばれる。自らを国立の神様の申し子と言い、各地で数々の奇跡を起こしている。バビロン捕囚以降2000年間入浴しないことでギネス記録を保持している。
プロフィール[編集]
降誕[編集]
タイムマシンで未来からやってきた戦士。キリストでも邪馬台国の人でもない、とルカによる福音書に記されている。
日本リーグ時代[編集]
1977年ラモスは宣教師ジョージ与那城によって日本に伝えられ、読売クラブに入団。しかし当時の日本リーグはラモスに対する禁教令を敷いており、出場停止1年間などの迫害を受けた。だが読売クラブはその後も熱心にラモスを保護し続ける。厳しい弾圧を逃れるため観音像に似せたラモス(ラモス観音)を拝み、密かに信仰は続けられた。
次第に日本古来の神との融合(神ラモ習合)が図られるようになり、国津神(日本の在地神)である国立の神様とラモスとを結びつけて信仰されるようになった。そのためラモスは日本でも容認されるようになり、1989年ついにラモス禁教令が解かれ晴れて日本に帰化した。今日の“ラモス=国立の神様の申し子”という概念はこの頃確立されたと推測されている。
Jリーグ時代[編集]
1992年12月、翌年のJリーグ開幕に先駆け公開された映画『ゴジラ対ラモス』(東宝)に本人役で出演。巨人へ入団が決まっていたゴジラ(松井秀喜)と夢の読売対決を実現させた。
1993年のJリーグ開幕により読売クラブはヴェルディ川崎と名称を変更。Jリーグブームの到来でラモス信仰は全国的に広まり、ヴェルディは黄金期を迎える。またこの年韓国代表をワールドカップに導き、イラク代表を鞭打ち刑から救った『ドーハの奇跡』を起こしている。
1996年、長年慣れ親しんだ川崎から京都へ移籍を決意。大いに関西のサッカーを盛り上げた。 翌年惜しまれつつ京都を去り、古巣ヴェルディに復帰した。1998年シーズン後に引退。ラモスのこれまでの偉業を称え、聖地・国立競技場で異例の特別引退試合が開催された。
引退後[編集]
引退後も現役時代にも増して奇跡を起こし続けている。 2003年1月に上戸彩との知己により1/144スケール・ブリッツガンダムの組み立てに携わり、わずか60秒足らずで完成させる奇跡を起こした。
また解説者として不適切な表現を交えた熱いトークでお茶の間の話題となり、NHKの電波でオナニーをする奇跡を起こした。 指導者としても沖縄ではかりゆしFCを分裂させチームを2に増やし、柏をJ2降格へ導くなど次々と奇跡を見せた。
処刑、そして復活[編集]
2006年J2に落ちぶれた古巣・東京ヴェルディ1969の救世主として監督に就任する。だが初年度に昇格するとなぜか坊主にならねばならない契約条件であったため7位に終わる。
2007年シーズン序盤も、「J1でも十分戦える」と豪語したにもかかわらず連敗街道を突き進み、東京ヴェルディ信者の中にもその能力に疑いを持つ者が現われ始める。
ついには5月3日聖地・国立競技場で最下位水戸に1-5の大敗を喫し、「国立の神の子」を自称した罪により 十字架に掛けられ処刑された。(これには同じ東京に本拠を置くFC東京信者の妬みによる冤罪であったという説がある)
遺体は墓地に埋葬されたが3日後に復活し5月6日の次節京都戦以降も引き続き指揮を執っている。その奇跡の復活劇によりヴェルディは勢いを盛り返し、同年ついに念願のJ1昇格を果たした。
プレースタイル[編集]
闘志を前面に押し出したファイトスタイルが彼の魅力。得意な体勢は右四つで、対戦前に気合を入れるため自らの体を叩くことから角界のロボコップと呼ばれ人気を博している。
またブラジル時代はジーコ(やせっぽち)に、エンピツ呼ばわりされたほど体(特に腕)がか細かったため腕力が弱いと思われがちだがお相撲さん特有のかいな力があり、必殺の咽喉輪落としの威力は強烈無比。現在はやや調子を落としており、ラモス火山の噴火が待たれる。
ラモスが日本代表監督になった時に予想されるフォーメーション[編集]
ラモスは闘争心のない者は決して使わない。ラモスの選考基準は「闘争心」である。積極的に仕掛けるプレイヤーしか使わないのだ。ラモスは技術や才能を重視しない。攻める気持ちを持つプレイヤーを選ぶのだ。
- GK 菅野孝憲
- DF 植田直通
- DF 森脇良太
- DF 宇賀神友弥
- MF ラモス瑠偉(本人)
- MF 田中闘莉王マルクス
- MF 本田圭佑
- MF 森勇介
- MF 岩下敬輔
- MF 松下裕樹
- FW 大久保嘉人
食事[編集]
フォーメーション選抜メンバーなどにも出ているように、ラモスは闘争心をそそる食事を好んで食う。 スパイスの効いたカレー、コチュジャン、激辛フード、などである。 ワイルドなので自分で狩猟に行き、その場で焼いて食うことも。原始人のコスチュームでやるらしい。
代表歴[編集]
1990年~95年にかけての日本代表はラモスとその使徒たち(柱谷哲二・三浦知良らヴェルディ勢)を主力とした構成で選出された。伝来当初は邪道として弾圧されたラモスも、この頃には日本に広く浸透し日の丸のエースナンバーを背負うまでになった。多くの日本国民はラモスの神力によって日本がワールドカップへ導かれることを期待した。
ドーハの悲劇[編集]
1993年10月のアメリカワールドカップアジア最終予選、日本代表対イラク代表戦(開催地カタール・ドーハ)。負ければフセインの子であのクサイ氏の兄ウダイ氏による残酷な鞭打ち刑が待っていた憐れなイラク代表を救うため、ラモスとその使徒たちは試合終了間際に同点ゴールを許す奇跡を起こした。
これによりイラク代表の刑は免れたものの日本は悲願のワールドカップ出場を棒に振ってしまった。勝利至上主義の口さがない日本のマスコミ等では『ドーハの悲劇』などと喧伝され、ラモスとその使徒たちは日本中からバッシングを受けた。ラモスはこの『ドーハの悲劇』のショックを現在でも引きずっているという。
しかし国際世論、特に儒教思想に基づく高い倫理感をもつ韓国では、自らを犠牲にしてイラク代表を救ったラモスの博愛主義への敬意と日本に代わりワールドカップに出場することとなった感謝を込めてこの出来事を『ドーハの奇跡』と呼び讃えている。
人物[編集]

言語[編集]
主な言語はラモス語(日本語のブラジル訛り)で、日本国内でもやや聞き取りにくいなどある程度の支障はあるものの概ね会話は通用する。また彼の他に日本で有名なラモス語のネイティブスピーカーとしてはマルシア、カルロス・トシキ、田中マルクス闘莉王などがいる。
原産[編集]
原産地はカリオカ(リオっ子)の学名の通りブラジルのリオデジャネイロと言われているが、近年の研究ではリオではなくサンパウロ原産ではないかと疑われている。
形態[編集]
頭部から顎部にかけて無秩序に波立った長い体毛で覆われているのが特徴。前足に比べ後ろ足の筋肉は大変発達しており二足歩行が可能で、後ろ足だけで器用にボールを操る曲芸を得意としている。 骨太で脂肪は付きにくい体質だが、その細身の体に世界でも通用する神秘の力を宿している。またラモスの様な独特の容姿を持つ者を中国では“英雄の相”としてもて囃す傾向がある。
生態[編集]
非常に闘争心が強く獰猛な性質を持ち、髪を逆立て、まさに怒髪天を衝く状態で敵を威嚇する。その反面高い知能を有しておりこれまで数々のだましテクニックをピッチ上で披露している。 また常時こっちにはバンテリンがあるのでとても有利である。だが時にエアーサロンパスに浮気することもある。 お茶漬けや煮込みラーメン、Jリーグカレーなど永谷園製品を好んで食べる性質がある。
家族[編集]
1984年に結婚した初音夫人との間に1男1女がある。
長男のラモス瑠偉2世(通称ファビアーノ君)は俳優として活躍しており、映画『ゲゲゲの鬼太郎』でねずみ男役を好演した。しかし「神の子がお化けの役をするとは何事か」と父の逆鱗に触れてしまい現在勘当中である。
また余談であるが、初音夫人と2007年発売され社会現象を引き起こしたボーカロイドとは全く関係がない。
交友関係[編集]
ラモスと交友のある人々のことを“ラモス側の人間(ラモスサイダー)”と呼ぶ。またラモス引退試合で読売ラモスオールスターズ(らも☆すた)として出場した選手のうち12人の高弟を特に“ラモス十二神将”と呼んでいる。
主なラモス側の人間(ラモスサイダー)[編集]
- ジョージ与那城(ラモスを初めて日本に伝えた偉大なる伝道師)
- 木梨憲武(石橋の相方。とんねるずの小さい方、と呼ぶほど小さくないので注意が必要)
- 和田アキ子(さすがのラモスも彼女の前では、届かないヨ・・・)
- 石田純一(ラモスより笑っていいとも!友達紹介の栄誉をを受ける。靴下履かない仲間)
- 織田裕二(ラモスより笑っていいとも!友達紹介の栄誉を受ける)
- 藤川孝幸(都並の相方。永遠の半ズボン少年)
- 上戸彩(スポーツ界、格闘技界に隠然たる影響力を持つ謎の女)
- 加藤Q(オバQの亜種。学術研究の片手間にJリーグ出場)
- 松木安太郎(サッカー中継には欠かせないモブ声の主)
ラモス十二神将[編集]
- 三浦知良(通称キングカズ。映画『ゴジラ対ラモス』では怪獣バモラ役でラモスと競演)
- 三浦泰年(バモラ兄。それ以外の特記事項なし)
- ビスマルク(得点の度に神に祈りを捧げた敬虔なラモス信者。星銃士、鉄血宰相などの異名を持つ)
- 柱谷哲二(星野仙一、ダイモス、拉麺男などと並ぶ闘将。ラモスなき後ヴェルディ監督の座を簒奪したユダ)
- 都並敏史(2007年C大阪監督。ラモスの埋伏の毒としてヴェルディに貴重な勝ち点を供給)
- 武田修宏(NHKスペイン語講座の元生徒)
- 北澤豪(中盤で発電するしびれくらげ。ラモスの下僕)
- 菊池新吉
- 中村忠(100人組手を達成した不動のサイドバック)
- エジソン(発明家)
- 石川康
- 藤吉信次
ライバル[編集]
ラモスと死闘を繰り広げてきた強敵(とも)たち。あるいはラモスにまつろわぬ反ラモス主義者たち。特にラモスの豊富な頭髪を妬むハゲ達からは目の敵にされた。
- 木村和司(日本リーグ時代ラモスと鎬を削った広島弁解説でおなじみの人)
- エメルソン・レオン(ラモスの不倶戴天の敵)
- フランシスコ・ザビエル(ラモスに匹敵する高エネルギー体。登録名カッパハゲのアルシンド)
- ハゲラッチ(通称生えぎわのトットちゃん)
- 中山雅史(本名ゴン中山)
- モネール星人(♪サンマサーンサンマサーン(以下略))
- スキカラさん(知る人ぞ知る狼男)
- シジマール(スパイダーマン)
- 水戸ホーリーホック(次世代の国立の申し子たち)
書籍[編集]
- ラモスの黙示録
- ラモスによる預言書。一般に日本サッカー界の終末について熱く、押し付けがましく語られていると言われる。現在研究者によってさまざまな解釈が成されている。
- やったね!ラモズくん
- 樫本学ヴ著。全6巻からなる伝記。権利等の諸事情でラモスが“ラモズ”と置き換えられるなどの相違点があるが、Jリーグ初期から中期にかけてのラモスの姿をほぼ忠実に描写している。ラモス研究の基本資料とされる名著。
関連項目[編集]
- 東京ヴェルディ1969
- 永谷園
- バンテリン
- ジョンソン
- ラゴス武威(ラモス瑠偉のドッペルゲンガー)
- イエス・キリスト(ラモス瑠偉のばちもん)
- 高見盛(ラモス瑠偉の四股名)
- 大泉洋(ラモス瑠偉2世の芸名)
- 柏レイソル(復活後のコーチ就任チーム。初のJ2降格に貢献した。)
- FC岐阜(復活後の監督就任チーム。初のJ3降格フラグとなっている。)
先代 (上戸彩) |
'ガンダムフレンズ' 初代 |
次代 蝶野正洋 |
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冗談じゃないヨ!こんな記事じゃ検閲により削除してるのと同じだヨ!このラモス瑠偉はカヒツシュッセしてくれる協力者求めてるヨ!でも、ガム噛みながらやっちゃダメだヨ! (Portal:スタブ) |