ルーベンス・バリチェロ

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ルーベンス・ゴンカルベス・バリチェロ(Rubens Gonçalves Barrichello, 1972年5月23日 - )は、ブラジルミサイルである。セカンドクラブ会長。1993年に、勢いを失いつつあり、いつ引退するかわからないアイルトン・セナの代役を立てる事を画策したブラジル政府が作らせた。ミドルネームは誰も正確に読めない。よって、ここに書いてあるのはあくまでストレート読み。ナニ?「c」の下になんか付いてる?知るか! 口癖は「~ケロ」

最近のフジテレビがドライバーというドライバーにナンセンスなあだ名をつける中で、バリチェロだけが「セナ世代最後の男」と珍しくまともな名で呼ばれている。ちなみにこれは事実であり、1994年にセナが事故死する前から活躍していたドライバーの中で唯一存在しているためである(ペヤング先生がよくセナ世代と勘違いされているがこれはセナの代役として起用されたためであり完全な間違い)。

F1の経歴[編集]

実戦投入は1993年。当時、経年劣化の進んでいたミサイル・セナを引き揚げる事で有能な自国ドライバーを失う事を恐れたブラジルが製作。初年度は5位を1回獲得。また、チームメイトのアーバンテサンバインが「お行儀が悪い」とセナに殴られたのとは対照的に、セナの尻について回りご機嫌を取り、国民に歓迎される。

しかし1994年、操縦不能に陥った(原因は劣化しすぎ)セナがハングしてしまい、そのまま星の王子様に。彼はあわや撤収の目に遭わされるも、何とか残留を決めた。しかし、タイトル争いの邪魔者とミハエル・シューマッハに嫌われ、圧力をかけられたブラジル側はひそかに彼のプログラムの一部を改造。忠実さを前面に打ち出した性格になった……というかなってしまった。こうして、彼はシューマッハ番犬プロジェクトの陰謀に巻き込まれてしまったのである。

フェラーリ加入[編集]

第2ステップとして、彼はフェラーリに引きずり込まれた。そして、見るに耐えないような過酷な仕打ちをシューに受けながら激走。      検閲により削除ぴーなどの仕打ちを受けながらも走るバリチェロはシューミファン(よーしよし、今日もシューミを勝たせてやれ……)、バリチェロファン(うんうん、酷い仕打ちを受けながら走る……感動したわ)の両方に人気があった(余談だが、おでこの面積が広くなったのはそのせいかもしれない、という憶測も飛んでいる)。

しかし、2005年に自我に目覚めたバリチェロは突如反逆し翌年ホンダに移籍。しかも「シューミーを呪ってやる」などと発言し、フェラーリ側は「ホンダが彼に洗脳を施した」としてホンダを訴えた。その後の状況についてはお察しください。現在、彼はフェラーリへの報復を考えているとかいないとか。

ホンダ移籍後[編集]

バリチェロはホンダのマシンの不具合に苦戦しながらもポイントを重ねていった。この年は馬豚が初勝利を挙げ、ホンダにも初優勝がもたらされた。タナボタだけどね。

しかしその翌年、ダサすぎるデザインが目を引いたホンダのニューマシンの性能は最悪と言っていいほどで、その格下のチームのスーパーアグリに度々抜かれるほどであった。この年のバリチェロが獲得したポイントはたったの1ポイント。かつてないほどの屈辱を味わわされた。あまりのgdgdっぷりに解雇も噂されたが、必要性からホンダは引き続き契約することにした。

背水の陣の2008年シーズンで、鉄人の持つ最多出走記録を更新し、彼から鉄人の名をもらい、その後「鉄人弐号」を襲名したのだった。相変わらずのホンダのヤル気のないデザインと遅すぎるマシンは変わっていないがバリチェロは要所要所で善戦し、イギリスGPでは大雨の中3位表彰台を手にした。いい加減遅すぎるバトンと正ドライバーを入れ替えるべきとの声もあったが、ギャラを稼ぎたいフジテレビとホンダの思惑もあって、バトンが引き続き正ドライバーに起用された(バトンがイケメンであり、人気とお金を稼いできてくれるためと言われている)。それどころか、話題作りのためだけに故・セナの甥であるブルーノ・セナを起用し、バリチェロをお払い箱にする計画も有るとか無いとか……。

しかし、そんなことをしている間にホンダがF1からの撤退を決定。バリチェロはホンダとの間で来年度の契約を結んでいなかったため、この時点で引退が決まったようなものであった(このとき、ホンダ・チームは「ジェンソン・バトンに申し訳ない」と、ホンダ・チームを買い叩こうとしたエラい人は「ブルーノが走りたがっているのに……」と、それぞれコメントし、バリチェロに関する言及は皆無であった)。

しかし、かつての上司ホンダから安く買って作ったチームのドライバーとして急転直下で契約。ブルーノ・セナルーカス・ディグラッシといった、スポンサーつきの自国の若手を差し置いて、引退の瀬戸際から一発大逆転の契約であった。利用価値が無いとは言えずコスト・パフォーマンスが良い事、ホンダのヤル気の無いマシンで頑張って走り通して表彰台まで駆け上がった事、そして何より、若者たちに負け癖をつけてはならない事から、なんとなくバリチェロに白羽の矢が立った。まあこれで出走記録がまた更新できるようになった。一方バトンは例の如くタナボタでまたもレギュラードライバーの座を何の苦もなく手にしたのだった……。まったくアイツは一体……。

(しかしこのとき、彼は既にバトン番犬プロジェクトの陰謀に巻き込まれてしまっていたのである。)

ブラウンGP時代[編集]

ホンダ撤退に伴い、急ごしらえの後継チームから参戦したバリチェロ。奇しくも、今度のチームでの上司は、フェラーリ時代の上司ロス・ブラウンであった。そしてこのことが、本年の彼の運命を大きく左右するなどと、誰がこの時点で予測できただろうか

当初、走るかどうかすら危ぶまれたブラウンGPの車は、いきなり初戦でフロントロー独占。そのまま1-2フィニッシュを決めてみせ、その後もPP獲得→独走態勢→優勝という勝利の方程式を確立していった。しかし、一見危なげなくポール-トゥ-ウィンを連発しているバトンの影には、バリチェロの並々ならぬ献身があった。バトンは常にPPからスタートダッシュを決め、そのまま独走態勢に入るが、何故かくも簡単に独走態勢に入れるのか? それは、2番グリッドのバリチェロがスタートでマゴマゴしてしまい、後続の車を巧みに抑えているからである。しかも、スタートで出遅れたバリチェロは、しぶとく順位を取り戻そうとするのだが、その際に激しい接触が見られることも珍しくなかった。それでも彼は、下げた順位をレース中に奪い返し、しばしば2位に輝いた。しかし、バトンが母国グランプリ(イギリス)にて緊張のあまり腹を壊してしまい、バリチェロはついにバトンを庇いきれなくなる。バレンシアでのヨーロッパGPとモンツァでのイタリアGPに勝利してアジア・ラウンドへ乗り込み、母国・ブラジルまでワールド・チャンピンの可能性を残していた。

しかし、時すでに遅し。バリチェロは久々に気合の入ったバトンの走りの前に夢破れた。もともとバトン中心で、バリチェロのことなど全く気にしていなかったチームは、バリチェロの地元・ブラジルにて祝宴を開催する。主役のバトンはイギリスに用があり出席が危ぶまれたが、バリチェロが飛行機の手配をしてやり、こころゆくまで勝利の美酒に酔いしれることができた。このことから、前半戦でバリチェロがバトンの利益となるスタートの失敗を繰り返したのは、つまり、その、ええと、アレなのではないかという噂も流れたが、バリチェロは実にアッサリとチームを後にしていったのであった。だって、元々契約社員だったんだもん!

ウィリアムズ時代[編集]

その後、2010年シーズンの就職先は、若手の登竜門・ウィリアムズで、チームメイトは期待の新人・手裏剣ベルグ。どうやらバリチェロは、そういう役回りを本気で気に入ってしまい、それを男の美学と思い込んでしまったようだ。まあ、あんな濃い顔して801とか言われても、ねえ。

2011年シーズンは変態的設計のマシンのじゃじゃ馬っぷりにお手上げの様子。新チームメイトのらんらんるーはおおよそ前評判通りに車をぶっ壊しまくったりとチーム共々TENGAてんやわんやである。

その他[編集]

  • 変態紳士の国の一応真面目車番組に出演した際に、あそこの備品より速く走ってしまい、浮かれ銚子で自慢してたら備品から呪いを受けてた事も在った。
  • 自身が300戦目なんて前人未到の出走回数を迎えるなんてこともあって、なんとなく「新人教育」ってのをやりたかったバリチェロは、ルーキーだった寿司屋にフリー走行中のいざこざについて文句を言いに言った。ら、仲良くなってた。しかしこれが大きな間違いであった。

日本GPで来日した際同じビジネスホテルに居合わせた可夢偉に対しバリチェロはある頼みごとをする。
「日本製で、筒状で、女性のような艶かしいエアロパーツが欲しいケロ」
しばらくしてからバリチェロの発言の意図に気付いた可夢偉は、ドンキ・ホーテで20個ほどエロエアロパーツを調達し、バリチェロにプレゼントした。大層満足致したらしく、レース前日に試してみた。
これが未だに語り草であるヘアピンでのオーバーテイクの裏事情であった。ちなみに余談であるが小林はアルグエルスアリ、スーティル、ニックとも裏取引をしており、「穴兄弟」だという噂もある。
極秘裏の取引であったが、板前はネタが新鮮な内が食い時であるということをモットーとしているため、あっさりバラされた。


彼は次の日本GPを心待ちにしている。


  • 国際表記を「BAR」から「TEN」にしようか迷い中である。
  • TENGAの中でもTENGA USAという大きなサイズのものがお気に入り。
  • TENGAがあれば奥さん要らない」らしい。
  • 好きなサーキットは「テンガロリンク」。
  • 尚、熊本県をアジトにしていたネズミ講集団「テンガ一家」とは無関係である。
  • バリチェロがオーバーテイクした回数だけ「バリチェロは抜く」。
  • 小林がプレゼントしてきたTENGAの個数は23個である。理由は全てのドライバーの名前をつけるためである。もちろんオーバーテイクしたドライバーの「名前が抜かれる」。
  • 現在の所属コンストラクター名「ウィリアムズ・コスワース」を、「ウィリアムズ・TENGA・コスワース」にしようとフランク御大にもTENGAを勧めている。