レオ1世
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レオ1世(Papa Leo I、390年 - 461年11月10日)は、ローマ教皇(在位:440年-461年)。よく尊称として「レオ大教皇」と呼ばれるが、これは間違いで「大レオ(Leo Magnus)」と呼ぶべきである。教皇の歴史上、「大(Magnus)」の称号がつくのは、このレオ1世と、6世紀のグレゴリウス1世だけである。
[編集] フン族との対決
レオが教皇となった頃、西ローマ帝国は全くの麻痺状態に陥っていた。375年に始まるゲルマン民族の大移動により、国境線は寸断され、イタリア・ガリア・ブリタニア・北アフリカ各地はゲルマン人が独立王国を立て、多くのローマ市民が土地を失い、家屋敷を失い、家族は離散し、孤児や寡婦は地に溢れた。「この世の終わり」が来たとも言うべき時に、レオは教皇の座に上り詰めたのである。そこへまた悪夢のような知らせが届いた。ガリアはカタラウヌムの野にて、あのゲルマン人を蹴散らし恐懼させた「神の鞭」フン族の王アッティラがイタリアに攻め上ると、知らせが届いたのである。大胆不敵なことで知られるレオは周囲が止めるのもきかず、マントヴァにて、アッティラとの会見をすることにしたのである。
フン族が何ゆえ恐れられたのか。それは彼らが非キリスト教徒であるからでも、遊牧民族であるからでもなく、目が釣りあがっていて、顔が平面的で、背が低く、ガニ股で歩くからでも、息がくさいからでも、なかった。それはフン族が、糞便を武器として使っていたからである。そして彼らは糞便をぶつけられた者を「うんこたれ!」と笑いものにして侮辱し、街を荒らしたのである。マントヴァは大詩人ヴェルギリウスが生まれた街。そんな詩的な街を糞便に汚されてなるものか。街の者が固唾を呑んで見守る中で、アッティラと教皇の会見が行われた。フン族は気に入らぬことがあると、糞便を投げつけてくる。その兆しもなく会見は進んでいた。と、突如、アッティラが真っ青な顔をして、トイレに駆け込んだ。
それを合図にしたかのように、フン族の兵士はがまんできずに、腹をピーピー言わせて皆狂ったようにトイレに続いたのである。やがて会見場からレオが現れると、「糞便を笑う者は、糞便に笑われる」と、マントヴァの人々の前で、こう宣言し、神の祝福を人々に与えたのである。どうやらレオの配下の者が、会見に先んじてマントヴァの水道と言う水道に強い下剤を流し込んでいたのである。
「みないたずらに糞便を恐れるでない、聖書の言葉を皆に話そう!」
「右頬に糞便を投げつけられたら、左頬をも突き出しなさい!」
「下痢便のついた下着を取ろうとする者には、下痢便のついた上着をも与えなさい!」
「糞便をつかんだ右手のすることを、フンの連中の左手に知らせないようにしなさい!」
「一粒の麦、もし死なずば、多くの実(み)を結ぶべし!」
「我らが主イエスは、我らの贖いのため鞭打ちと十字架の苦しみを甘受した、それより劣る我らが顔に当たった糞便を耐え忍ばずして、主に顔を向けられようか」
この教皇の言葉でマントヴァ市民は立ち上がった。糞便がついたからってどうだっていうんだ、と。
「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、太陽の光の恵みを与えてくださる」と言うならば、
「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、糞便の雨の恵みを与えてくださる」でもいいだろう。だっていずれ
「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、慈愛の雨の恵みを与えてくださる」から、
糞便は溶けて流れて皆同じになるのである。フンの糞便はもう怖くない。
時ここにいたり、土砂降りの下痢便の滝のような勢いに押され、特異の糞便攻撃も効果を表さぬと知ったアッティラは
憔悴しきった顔で、二度とイタリアに近づかないと言うことを約束して、根拠地パンノニアに帰還したのである。
これ以後、糞便に関する一切合財が憂鬱の種となり、便所に行くことが苦痛になったアッティラは気の毒なことに、
結婚式の後の新床で、今まで抑えていた糞便が突如間欠泉のように噴出する発作で亡くなった。453年のことである。
かくして、教皇レオは「大」教皇レオと礼賛され、糞づまりの業病を患う人あるいは痔持ちの守護聖人として、ヨーロッパ各地で崇敬されるようになったのである。つまり「小」ではなく、「大」なのです。
[編集] カルケドン公会議におけるレオの書簡
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[編集] 便所神としてのレオ
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