ヴァイオリン・フェイズ

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ヴァイオリン・フェイズ』(:Violin Phase)は、アメリカ作曲家スティーヴ・ライヒ(1936年-)が1967年に作曲した、「ひとりでできるもん」シリーズ(PDAシリーズ)の第2作である。シリーズ第1作の『ピアノ・フェイズ』と並び、ライヒの初期の代表作として広く知られている。

概説

この曲の編成は、次の通りである。

  • ヴァイオリン - 1台~4台
    但し、ヴァイオリン1台に対して必ず1名の奏者が必要である。仮にヴァイオリンが3台用意できたとしても、奏者が1名しかいない場合は、1台しか用意できていないものと看做すことになる。
  • テープレコーダー - (4-n)台
    nは用意できたヴァイオリンの台数である。例えば、ヴァイオリンが奏者込みで1台しか用意できなかった場合は、 4-1=3 より、テープレコーダーは3台必要となる。また、運良く4台のヴァイオリンを奏者込みで用意できれば、テープレコーダーは通常は不要である(演奏例後掲)。
    なお、テープレコーダーのうち最低1台以上は、録音・再生とも可能なものでなければならない(再生機能のみのものしか無い場合は演奏不可能である)。また、現在では、テープレコーダーの代わりにパソコンを用いて演奏される場合もある(3パートの同時再生が可能であれば、1台のパソコンで事足りる)。
『ヴァイオリン・フェイズ』の楽譜(抜粋)。調号のシャープ(嬰記号)は3つだが、この曲がイ長調なのか嬰へ短調なのか考えるのは時間の無駄である。既に調号は調号としての意味を失っているのだ。(画像クリックで拡大表示。)

楽譜は、右記のように、ヴァイオリン4パートが必要であるかのように書かれているが、実際には1名から演奏可能である(演奏例後掲)。1名で演奏する場合の具体的な演奏手順は、次の通り。

  1. テープレコーダーを使用し、第2パートを、自分ひとりで最初から最後まで演奏して録音したテープを作る。(ヘッドホン付きのメトロノーム(パソコンソフト等)があれば使用可。)
  2. テープレコーダーを使用し、第3パートを、自分ひとりで最初から最後まで演奏して録音したテープを作る。(ヘッドホン付きのメトロノーム(パソコンソフト等)があれば使用可。)
  3. テープレコーダーを使用し、第4パートも同様にテープを作る。
  4. 演奏会場に、1.~3.の手順で録音したテープと、テープレコーダー3台を持ち込む。
  5. テープレコーダー3台の再生スイッチを同時に押し、テープに合わせて、第1パートを自らヴァイオリンで演奏する。

クラシック音楽の楽曲の演奏においては、楽曲中でテンポが自由に変化するのが常である(それは楽譜に記されているだけではなく、演奏者や指揮者の解釈や裁量によって、演奏1回ごとに異なってくる性格のものである)。しかし、この曲には冒頭に「Tempo giusto」(テンポ・ジュスト、正確なテンポで)との指示があり、演奏開始から演奏終了まで一糸乱れぬ正確なテンポを維持し続けることが求められている。即ち、テンポを揺らすという楽しみを犠牲にすることにより、テープレコーダー3台を使用しての重奏が可能となるのだ。

各パートは、上記の譜例のような単純なフレーズを、少しずつずらしながら何回も何回も繰り返す、という、それだけの譜面となっている。また、よく見比べると、第1・第2・第3ヴァイオリンのパートが、それぞれ全く同じフレーズであることにお気付き頂けるだろう。この小節では、6拍の同一のフレーズを、3つのパートが2拍ずつずらしながら繰り返しているのだ。この曲の譜面は、最初から最後までずっとこんな調子であり、演奏者には同じようなフレーズを延々と繰り返し続けることが要求されている(そんな変な曲あるわけないじゃん、などと思われた方は、是非、後掲する動画を、最初から最後までじっくりとご覧頂きたい)。
このずれの間隔は、曲中で1拍になったり半拍になったりと様々に変化する。それによって、曲の全体としての聴こえ方もまた様々に変化し、時には楽譜上に記されていないフレーズが浮かび上がったりもしてくるため、聴衆はその聴こえ方の“妙”を楽しむこととなる。

フレーズそのものは、ある程度ヴァイオリン演奏に慣れていれば、初学者でも容易に演奏できる程度の易しさであり、従って、初学者~中級者がこの曲を独習に使う例もままあるという。
とはいえ、同じフレーズを正確なテンポでひたすら演奏し続けることは、技能だけでなく体力や精神力もまた要するものである。また、実際に演奏会などで演奏する場合は、「自分がいまどこを演奏しているのか」「他パートとは何拍ずれていれば良いのか」などについて、各自が絶えず注意しながら演奏しなければならず、それが、この曲の演奏を一層困難なものとしている(精神的な消耗度は、とても経過時間だけを気にしていれば良い某作品の比ではないと言って良いだろう)。勿論この困難さは、4名による生演奏であったとしても、或いは自分以外の3パートがテープレコーダーであったとしても、何ら軽減されるものではない。
このように、演奏には様々な困難が伴うため、公の場でこの曲が生演奏されることは、現在では少なくなっている。

何故、このような楽曲が作られたのだろうか。

作曲の経緯

不遇の学生時代

ヴァイオリン奏者4名による演奏例。元々、1人とテープレコーダー3台での演奏を前提に書かれた曲であるため、第2~第4ヴァイオリンは休符(演奏していない時間)が長い。第1ヴァイオリン(向かって右から2番目)は約10分間ほぼ休み無しである。額に汗を浮かべ、心なしか辛そうだ。
ヴァイオリン奏者1名、テープレコーダー3台、踊り手2名による演奏例。この曲で踊ろうと考えること自体がまず驚きだが、踊りの内容もまた驚きである。……というか、舞台上で、服、脱ぐなよ。
(なお、上の動画と比べて演奏時間が大きく異なっているが、これは、楽譜(上掲)の ||: 繰り返し:|| 部分において、繰り返す回数は演奏者が任意に決定できるとされているためである。)

ライヒは1958年から1961年まで、アメリカ・ニューヨークジュリアード音楽院に在籍し作曲技法などを学んでいたが、学生時代の彼には、何故か友達が全くいなかった。彼はいつも独りぼっちだった。彼が作曲を志したのは20歳を過ぎてからのことであり、当時在籍していたコーネル大学の哲学科を卒業してからジュリアードに入り直したため、入学の時点で彼は既に22歳だったのである。

周りの同期生の多くは18~19歳、中には飛び級などでそれより若い年齢の者もいる。現代においても、10~20代の若者の間での流行は、僅かな年齢層の違いでも大きく異なる様相を呈することが知られているが、それは1950~60年代のアメリカでも例外ではなかった。ライヒは同期生と話題が全く合わず、彼は学院内で孤立していた。2名~数名でチームを組んで行う、重奏重唱の実技の授業では、ライヒだけがどのチームにも入れず、教官は「誰か、ライヒくんを仲間に入れてあげてくれないかね」と促さなければならなかったという。

しかし、友達がいない方が、案外学業には身が入るものである。ライヒは、教官にも熱心に個人レッスン(性的な意味ではない)を乞うなどし、着実に作曲技法を身につけていった。その中で、彼は次第にある考えに取り付かれていった。

「僕みたいに、一緒に演奏してくれる友達がいなくても、重奏や重唱を楽しむことはできないだろうか?」

この考えから作曲されたのが、「ひとりでできるもん」(Possible to Do AlonePDA)シリーズの2作品である。

『ピアノ・フェイズ』の“成功”

彼が、“ひとりで重奏を楽しむ”ために用いたのは、テープレコーダーである。即ち、複数のパートがある曲でも、他のパートを自分で演奏・録音したテープを用意し、そのテープ再生に合わせて演奏することで、ひとりで重奏や合奏合唱などを楽しむことができるのだ。読者諸賢は、何だそんなことかと思われるかも知れないが、カラオケも無かった当時としては、なかなかに画期的な思い付きだったのだと理解して頂きたい。

彼はまず、演奏を最も得意としていたピアノで、ごくありふれた二重奏曲を作曲し、これに『ピアノ・フェイズ』(Piano Phase)と名付けた。「Phase」は「段階」という意味の英単語であるが、これは、「いつか誰かとこの曲を一緒に演奏するために、その前段階として、まず一人で演奏してみよう」[1]という意図が籠められたものである。

ところが、この曲の初演の際に、ライヒはいきなりトラブルに見舞われる。彼は本番での演奏失敗を恐れる余り、テープレコーダーと一緒に毎日毎日何回も何回も練習を繰り返していたのだが、これによりテープが弛んでおり、演奏中にライヒ自身の演奏とテープの演奏とが段々ずれてきてしまったのだ。勿論途中でライヒは気付いたが、しかし自身の指はまるで自動ピアノのように動き続けており、とてもテープのずれに合わせることはできない。5分余りの演奏は、非常にグダグダなまま終わってしまった。

しかし、この演奏の評判は何故か上々であった。新し物好きのアメリカ人のこと、まず演奏にテープレコーダーを用いるという斬新さが評価されたのもさることながら、テープの演奏とライヒ自身の演奏とのずれは、ずれではなく“新種のカノン”として受けとめられたのだ。また、タイトルの「Phase」には物理学用語の「位相」という意味があることも有利に働いた。音楽評論家は「ピアノによる位相空間のずれの表現である」「非常に新鮮な聴覚体験だ」などと訳の分からない褒め方をし、『ピアノ・フェイズ』は、実に深遠な意図をもった芸術活動であると解釈されることとなった。

2作で終わったシリーズ

偶然とはいえ、この成功に気を良くしたライヒは、これを「ひとりでできるもん」シリーズとしてシリーズ化し、作曲・演奏活動を続けることにした。そして、ついでに、今まで余り演奏した経験の無いヴァイオリンにも挑んでみることにした。カノンの形式をとるならば、短く簡単なフレーズを繰り返し演奏できればそれで良いと考えたからである[2]。そうして、1967年、『ヴァイオリン・フェイズ』は作曲・初演された。

上述のように、テープレコーダー3台を用いた、自分1人での“ヴァイオリン4重奏”の初演は、今度はライヒ自身の意図通りに成功した。この時は、前回の成功を受けてワシントン・タイムズが取材に来ており、聴衆へのインタビューが記事となって残されている。以下は、この記事からの引用である。

「今まで誰も考えつかなかった、新たな表現形式の誕生です。まさに、アメリカ音楽に新しい歴史が刻まれた瞬間であり、その瞬間に立ち会えたことに感動しています。」(50代男性)
「4重奏を1人でやるなんて驚いた。きっとあいつ、友達がいなくてカルテットが組めないんだな。可哀相に……。」(20代男性)

ライヒの作曲や演奏の能力と、彼に友達がいないことは、アメリカの音楽界に広く知れ渡った。やがて、彼の周りには段々と演奏家や作曲家などが集まるようになり、ライヒは彼らのために曲を書いたり、あるいは彼らと一緒に演奏活動をするようになった。1970年には、『4台のオルガン』(Four Organs )を3人の仲間と一緒に演奏したほか、翌1971年には数名の仲間と一緒にアフリカ大陸の数ヶ国を旅行し、その地で聴いた民俗音楽の思い出を基に『ドラミング』(Drumming)を作曲している。テープレコーダーを使用する楽曲も時折は作曲されたが、しかし、それをライヒが独りぼっちで演奏するようなことは、もう無かった。

かくて、「ひとりでできるもん」シリーズは、2作のみで自然に終了することとなった。

中央で帽子をかぶっているのがスティーヴ・ライヒである(2007年3月撮影)。たくさんの仲間に囲まれて、幸せそうに笑っている。

なお、1976年には、彼は、4台のピアノと、4人の女声、3台のマリンバ、2台のシロフォン、ヴァイオリン、チェロなどからなる『18人の音楽家のための音楽』(Music for 18 Musicians)を作曲し、自身のピアノ演奏により、17名の仲間と共に初演を果たしている。

「仲間と共に、この曲を演奏することができて、私は、とても、幸せだ。」
スティーヴ・ライヒ(『18人の音楽家のための音楽』初演終了後のインタビューにて)

脚注

  1. ^ ライヒ自身によるエッセイ集『Writings On Music』(スティーヴ・ライヒ、2002年、ISBN 9780195111712)より。
  2. ^ この「短く簡単なフレーズを繰り返し続ける」という手法については、「フレーズはほんの少し(1小節程度)しか作っていないのに、そのフレーズの繰り返しだけで、長大な曲を“作曲”したとか言い張るのって、もはや新種のカノンっつうよりは詐欺じゃね?」といった批判的立場から、「ほんのちょっと(Minimal)の音楽(Music)」(ミニマル・ミュージック)と揶揄されることもあった。しかし、ライヒは同様の手法による作品をその後も発表し続け、彼に仲間が増えるにつれて、段々とそのような批判は少なくなっていった。
    その後、「ミニマル・ミュージック」という言葉からは揶揄的な意味合いは失われ、現在では、ライヒが創った新たな音楽形式を指す語として、広く一般的に用いられている。

関連項目