ヴィルジニー・デデュー
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
...Dedieu is unbelievable and the others are natatorial. That is all.
(それにしても、デデューと他の選手の違いは何だろうか?
…デデューは彼女の全てが信じがたく、他の選手は単に泳ぐのに向いているだけだ。)」
~ ヴィルジニー・デデュー について、オスカー・ワイルド
ヴィルジニー・デデュー(Virginie Dedieu 1979年2月25日 - )は、陸上世界に完全適応することに成功した初めての人魚。より堅い言い方をすると、地球温暖化による海面上昇で存続の危機にある人類と、海洋汚染でこれまた存続の危機に瀕している水生人類の中から、突然変異的に出現した「両生型人類」である。能力を活かしシンクロナイズドスイミングの選手として活躍、数々の伝説を残した。現在は現役を引退し、子育てをしながら、自分を慕って上陸してきた後進の指導などを行っている。
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[編集] 人物
一時は人々を魅了するその美しさと、人間離れした身体能力から、フランス軍が開発した「海戦用ガイノイド」ではないかと囁かれたが、空港の金属探知期機に引っかからないことや、ニュースステーション出演時の、年甲斐もなくはしゃいでデデューの鼻孔を覗こうとした久米宏への、はにかんだ愛らしい対応などから「進化した人類」であるとの見方が世界的に定着した。
両生型人類は、童話『人魚姫』や『河童』の伝承に見られるように、かなり昔から陸上世界に馴染もうと努力しては、はかない命を散らせてきた。そのため彼女の登場は「生命の進化史に刻まれるべき奇跡である」として、未だ上陸できない多くの水生人類や、ダーウィニズムの信奉者たちに驚きと畏怖の念を持って歓迎されている。またグリーンピースという非常にマイナーな環境保護教団から「大自然が出した答え」として教団のアイドルに祭り上げられそうになったが、デデューは「シンクロの練習が忙しすぎる上に、大学で建築とインテリアデザインを学びたいから」と断ったと言う。
[編集] 略歴
- 1979年
- 2月25日、アトランティス大陸のドーファン・ベロー(Dauphin Bel Eau、仏語で「イルカと美しい水」の意)で海神ポセイドンの第三皇女として生を受ける。
- 1980年
- 生後18ヶ月で陸に上がる訓練を始める。
- 1981〜84年
- 秘密裏に行われたため正確な年月日は不明だが、物心ついて間もなく上陸。故郷によく似た環境の、南仏エクス=アン=プロヴァンスのブーク・ベレール(Bouc Bel Air、仏語で「ヤギと美しい空気」の意)に移り住む。最初は「せっかく陸に上がった訳だし…」とプリマを目指してバレエを習っていたが、「白鳥の湖」で舞台上に湖が用意されていないことに憤慨、バレエへの興味をなくしてしまったと言われる。(後にDVDで武田美保と「白鳥の湖」をデュエットしている。もちろん湖そのものが舞台となったので、デデューは大満足であった)
- 1985年
- 6歳のとき、とうとうシンクロに出会う。自分が水泳競技に出るのは反則だという思いがあったが、すぐに、水中よりも水上の演技が採点対象となるシンクロの面白さにのめり込んでいった。元々ノーズクリップは必要なかったが、他の選手がつけているので面白半分に装着して水に入ったら、エコーロケーション(反響定位)が一切できなくなりバーティゴ(空間識失調)状態になってしまったらしい。
- 1986〜93年
- バレエやモダン・ダンスの練習と並行してシンクロの猛特訓を積み、10歳頃から競技会に出るようになる。ちなみにこの間にフランスで盛んな柔道などにも手を出したらしいのだが、叔母にしこたま投げ飛ばされるのに嫌気がさし、1年でやめてしまったと言う(実話)。
- 1995年
- ドイツのボンで行われた世界ジュニア水泳選手権にて準優勝。すでにこのときからロシアとの壮絶な闘いの歴史が始まっていた(後述)。選手権後の9月には、フランス政府が指定する特別強化選手としてナショナルチームに参加。チームメイトから「ピチュンヌ」(Pitchoune 仏語で「おチビちゃん」の意)というあだ名で呼ばれていたが、これはデデューが若くて小柄だったからではなく、彼女が水に飛び込む際に「ピチョン」と水滴が落ちる程度の音しかしなかったからだ、という伝説がある。
- 1997年〜03年
- この間の活躍はロシア勢との激闘の項目を参照のこと。
- 2004年
- 日本のコカ・コーラのTV-CMに出演。「中心都市へタクシーで向かう途中に橋で渋滞に巻き込まれるキャリアウーマン」という設定だったが、「地球の7割は父が統治する海なのに、なぜ娘である私が渋滞で足止めされなければならないのか」とブチ切れたデデューが、突然予定にはなかった橋からのダイブを敢行。あまりにも見事な映像が撮れたため、そのままCMに使用されることになった。
- 2005年
- 世界水泳を2連覇したところで、とりあえず引退。
- 2007年
- 「ライバルへの嫌がらせ」とばかりに復帰。世界水泳三連覇という前人未到の偉業を成し遂げる。またこの年、松任谷由実のライブショー『SHANGRILA III〜ドルフィンの夢〜』に出演。一応“共演”という名目だが、ネタに行き詰まったユーミンがデデューにすがりついたというのが本当のところで、結果大成功を収めた。ライブDVDも、ジャケットに『Yuming Spectacle』と記しておきながら、なぜかデデューの写真がデカデカと使われていたり、ライナーノーツもひたすらデデュ—のプロフィール説明に終始するという有様。『Dedieu Spectacle with Yuming』というのが正確なところだろう。ちなみにこのショーのイメージソングでもある『人魚姫の夢』のPVにも出演しており、デデュー見たさに初回限定盤DVD付シングルを買ったファンが20万人はいたとか、いなかったとか。
- 2008年
- 6月1日、長男ディーマ君を出産して母親になる。童話の人魚姫の見果てぬ夢をデデューは叶えたのだ。鯛も目を飛び出させんばかりの、文字通りめでたい出来事である。
[編集] 新人類としてのスペック
[編集] 頭部の小型化
生物にとってのCPUにあたる頭部も、温暖化対策でやたら省エネ小型化している。何人(なんびと)も街でデデューを見かけたからといって、うかつに近づいて「一緒に写メして下さい!」などとはしゃいではならない。彼女が立っている位置から3歩下がって、顔の大きさが同じになる位置を計算した上で写真を撮るのが、自分の頭の大きさにゲッソリしないためにも必要なことだ。またこの行為は「三歩下がって師の影踏まず」と同じように、アトランティス帝国の賓客でもあらせられる、海神ポセイドンの第三皇女デデュー妃に対する礼儀としても理にかなっているのである。
さて我らが日本でデデューの頭部の小型化に対抗できる者がいるだろうか、という愚にもつかないことを考えてみよう。
「小顔8頭身」の代名詞の安室奈美恵ですらいつもブーツを履いているから実際は7頭身しかないし、「9頭身」と騒がれている榮倉奈々も、8頭身あるかないかだ。こうなったら我が日本が誇る長身アンドロイドの絶対彼氏に登場してもらうしかないが、もこみちとて8頭身を少し上回るぐらいしかないのだ。デデューの小顔っぷりそんなレベルではない。なんと、164cmで8.6頭身である。もう何がなんだか訳がわからない。
[編集] ノーズクリップ不要の真相
デデューと言えば、「世界で唯一ノーズクリップをつけないで演技するシンクロスイマー」としても有名だが、これは、幼児には普通に備わっている鼻孔に水が入るのを防ぐ器官が、彼女の場合大人になっても残っているためである。
視界が悪い水中に住んでいる水生人類は、鼻孔の奥の特殊な器官を使って超音波を出し、反響定位によって周囲の状況を把握したり、遠方の仲間とコミュニケーションを取ったりしている。彼らがノーズクリップをしてしまうと、その機能が阻害され、むしろ水中で空間失調症を起こしてしまうのだ。また水中という音が伝わりにくい環境上、手話に似た独特の会話術も発達しており、彼らの日常的な会話のほとんどはジェスチャーや手話で済んでしまう。そういった環境も、デデューが卓越した表現力を持っている大きな要因になっていると考えられる。
[編集] 五輪無冠という事実
にわか仕込みのシンクロファンも、「史上最高のシンクロスイマーは?」という質問には、「そりゃあ、デデューでしょ」と答えるだろう。それほどデデューはシンクロ界では有名なのだ。しかし多少シンクロに詳しい人間でさえ、「彼女が五輪に3回出場したのに金メダルを穫ったことないのは知ってた?」という質問には、「冗談でしょ?」と驚くことも少なくない。冗談ではなくこれは事実である。
この事実に対する、「五輪にはシンクロのソロ種目がない」や「デデューとデュエットを組めるほどの人材がフランスにはいない」という一般的な認識もまったくもって正しい。しかし正確には「デデューとデュエットを組めるほどの命知らず、かつ強靭な人類がこの陸上世界にいない」のである。デデューがプールに入ると、水の分子が彼女の身体の構成物質と共鳴、わずかな動きにも反応してしまい、渦潮や高波が起こり易くなってしまうのだ。
[編集] デデューにまつわる化学式
デデューの身体は、主にヴィルジウム(Virgium、元素記号はVi)とデディウム(Dedieum、元素記号はDe)で構成されている。彼女をわかり易い元素記号で書くと「NpViDe3」となる。Npとは超ウラン元素ネプツニウム(彼女の父親ポセイドンの別名『Neptune』が語源)のことである。非常に不安定で、他の元素と活発に化学反応を起こし、巨大なエネルギー源となることで知られている(詳しいことは頭の固い方の記事で)。つまりNpViDe3は「ネプチューン(=ポセイドン)の第三皇女ヴィルジニー・デデュー」を意味する元素記号となる。筆者は高校の化学式で挫折したクチだが、ここは頑張ってデデューがプールに入った際に起こる化学反応を検証してみよう。
- デデュー(NpViDe3)が水(H2O)が塩素(Cl)消毒されたプール(PO2L)に入る。
- NpViDe3 + H2O + Cl + PO2L
当然最初に予想されるのが、不安定なウラン元素Npが他の元素と強烈に結びついて「物質の実体化」が起こることだろう。
- NpViDeDeDe + HHO + Cl + POOL → DOlpHiN
これはイルカショーのインストラクターレベルの水泳技術があれば、どうにか対応できる範囲の化学反応だ。問題なのはこの後に起こると予想される反応の方なのである。
- プールの水が急激に冷たくなってくる。
- VeDeDe + H + C + POOL → DeeP COLD
この化学反応により「急速冷凍」(Deep-Freeze)と同じような現象が起こり、多くの選手は低体温症で心肺停止、仮死状態になってしまう危険性があるのだ。
- そして極めつけは、気候条件に関わらず水面が「波打たされてしまう(be hove)」のである。
- Ve + H + O → HOVe
以上のような化学反応が起きてしまう結果、デデューがソロで演じているときは何の問題もないが、デュエットやチームのメンバーたちが一緒にプールに入ると、もろにその影響を受けてしまうのである。デデューは2000年シドニーオリンピックで、ミリアム・リニョとのデュエットで銅メダルを獲得したのだが、その陰でデデューとミリアムが血の滲むような努力をしたであろうことは想像に難くない。
[編集] ロシア勢との激闘
デデューの、ソリストとしてのシンクロ人生は、常にロシア製ガイノイド(それも毎回違った型の)との孤軍奮闘の歴史でもある。
ロシアは帝政の時代より不凍港を求めて南下政策を採ってきたが、度重なる失敗を教訓に、20世紀半ばになると、ツァーリ・ボンバなどの開発と並行して人型兵器の開発に着手するようになる。強化人間やガイノイドの開発である。開発はソビエト連邦時代に頻繁に行われ、同じく共産圏であった東ドイツとしのぎを削っていた。強化人間の開発は、薬物や遺伝子操作によって不自然な生命体を作り出すため、寿命自体が短く、何よりも「ドーピング検査をクリアできない」という事実ゆえに衰退していったが、ガイノイドの開発は現在でも続けられているようだ。特にシンクロの世界では、90年代後半からアメリカとカナダを蹴落として、完全にロシアのガイノイド軍団が主導権を掌握している。
[編集] 序章(vs. Type-Olga試作機)
デデューとロシア勢との激闘の幕開けは1995年まで遡る。16歳のとき参加した世界ジュニア水泳選手権で、ロシアのガイノイド試作機、Type-Olga零号機と相まみえたのだ。人間以外の相手に面食らってしまった彼女は、3.270という大差をつけられ完敗してしまう。
[編集] デデュー黎明篇(vs. Type-Olga)
その後、18歳でシニアの国際大会デビューしたデデュー。1997年のW杯では、大型ガイノイドType-Olga初号機Sedakovaと対決。またも2.151という大差をつけられてしまう。
猛練習の末、翌1998年の世界水泳にて再び初号機Sedakovaに挑んだが、ここでも1.150差で2位に終わる。しかも、わずかな期間で着実に1ポイントずつ実力差を詰めてきたデデューの潜在能力への警戒感を強めたロシアに、より強力なType-Olgaの2号機を送り込まれてしまったのである。
1999年W杯、初号機Sedakovaを倒すには十分な力をつけたデデューだったが、今度は零号機をベースに小型化・改良されたType-Olga弐号機Brusnikinaに1.659の差をつけられ、またもや優勝が遠のいてしまう。さらに2001年に福岡で行われた世界水泳でも1.147の差をつけられて、連続して2位に甘んじてしまったのだ。
[編集] デデュー覚醒篇(vs. Type-Anastasia)
結果的にはType-Olgaに4連敗したデデューだったが、シニアデビューからの4年間、ロシア勢の改良に合わせて進化を続け、「打倒ロシア」まであと一歩のところまで来たのは流石であった。それでも「陸上世界の練習では、今後も改良を重ねてくるロシア勢に勝てない」と判断したデデューは、故郷に戻り、父ポセイドンの元で修行を積む決意をする。そしてついにポセイドンの最強奥義「海神の馬」(Poseidon's Horses)を使いこなすまでに成長。これにより波や水飛沫までをも完全にコントロールする能力を身につけて陸上へと帰還したのである。
一方その頃、デデューの驚異的な進化に相変わらずの危機感を抱いたロシア科学チームは、計画されていたType-Olga参号機の開発を打ち切り、小型ボディを継承させたType-Anastasiaの開発に踏み切っていた。そして、Type-Anastasia mk1 Davydovaを2002年のW杯とヨーロッパ選手権に、Type-Anastasia mk2 Ermakovaを2003年の世界水泳に送り込んでくる。しかし界王拳を身につけた孫悟空よろしく急激な進化を遂げたデデューの敵ではなかった。デデューはヨーロッパ選手権で1.100、W杯ではなんと2.167、世界水泳でも1.834の大差をつけてこれらのガイノイドを撃破。ついにロシア勢を完全に退け、シンクロの女王として君臨したのだった。こうして彼女は「不世出のソリスト」と呼ばれるまでになったのである。
[編集] デデュー死闘篇(vs. 怪物イシェンコ)
デデューに連敗を期したロシアは、大会ごとにガイノイドを作り直していたことが敗因と分析。OSなどのマイナーアップグレードをしながら、1つの筐体を改良していく計画に変更してきた。そして莫大な国家予算と考え得る限り最高のロボット工学が投入されて誕生したのが、身長178cmの超大型ガイノイド、Type-Natalia OS Ischenko 1.0(通称「怪物イシェンコ」)である。こうしてデデューとイシェンコの壮絶なライバル対決の火ぶたが切って落とされたのである。
両者の初対決は2004年のヨーロッパ選手権。このときはデデューが貫禄を見せつけ、99.600という歴史的高得点をたたき出し、1.800差でイシェンコに圧勝。しかしイシェンコも負けてはいない。2005年の世界水泳では、差を0.751にまで縮めてくる。ロシア科学チームはデデューを徹底的に分析、イシェンコのOSを2.0にアップグレードしてきたのだ。この2005年の対決は、生身の人間であるデデューに、肉体的にも精神的にも大きなダメージを与えることとなった。前回大会に続き、芸術点で10点満点を出したものの、満身創痍となったデデューは引退を表明。シンクロの表舞台から姿を消してしまう。
デデューが去った後、イシェンコはOSを3.0、4.0と次々に進化させ、ヨーロッパ選手権とW杯を立て続けに制覇。ついに世界はソロ競技でのロシア復権を許してしまったのである。
[編集] デデュー復活篇(vs. イシェンコ最終形態)
ロシアとの激闘で身も心もボロボロになったデデューは、しばらくはマネージャー兼恋人のジェレミーとゆっくり過ごしたり、デザインの勉強をしたりしていたが、TVでイシェンコの活躍を観るたびに不満を募らせてゆく。そして引退から1年半経った2006年12月、「イシェンコの演技には芸術性がない!」と、やや大人げない発言をして2007年の世界水泳での復帰を表明する。
かなりのブランクがあったデデューは、短期間でイシェンコと闘う力を手に入れるため、太平洋マリアナ海溝のチャレンジャー海淵にある「水深と時の部屋」での修行を敢行。水深10,920mにあるこの部屋の中では水圧によって時空が歪み、陸上世界の1日が部屋の中では1年に相当するらしいのだ(「なんかどっかで聞いたことあるぞ」とか言わない!)。血の滲むような修行と仙豆太りを乗り越えたデデューは、最高のソリストを決める競技、ソロ・フリールーティンで巨大化したイシェンコ最終形態OSXとの天下分け目の頂上決戦に挑んだのである。
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2007年世界水泳。圧倒的攻撃力で迫り来るイシェンコ(右)を「海神の馬」で迎え撃つデデュー(左)。
運命の2007年3月22日、3日前に行われたテクニカルルーティン(デデュー不参加)で優勝して波に乗る新女王イシェンコは、圧倒的な科学技術力でデデューを待ち構えていた。下馬評では、「ほぼ互角か、技術力で勝る現役女王のイシェンコがやや有利」との意見が大勢を占めていた。たった4ヵ月で仕上げてきたデデューの無謀さを指摘する声も多く、実際デデュー本人も強気なコメントとは裏腹に、恋人には「あんな怪物とまともにやり合って勝てる気がしない…」と弱音を吐いていたようだ。
しかし、もはや本人も気づかぬうちにシンクロの神の領域に到達していたデデューに最初から敵などいなかったのである。「マリア・カラスの生涯」を圧倒的な存在感で演じ切ったデデューは、結果的には技術点でもイシェンコを上回ってしまう。技術点で9.9、芸術点で10点満点を連発した彼女は「合計99.500」というあり得ない点数をたたき出して、最終演技者のイシェンコの得点を待つまでもなく優勝を決めてしまったのだ。この日の対決は「メルボルンの奇跡」として永く語り継がれている。
大会後、デデューは2度目にして本当の引退を表明。シンクロ史に永遠に残る伝説となったのである。