七つの子問題
七つの子問題(なな-こもんだい)とは、野口雨情の童謡『七つの子』において、その歌詞の中の「七つの子」とは何を指すかという問題である。この問題は度々論争を起こし、様々な観点からの解明が行われているが、解決には至っていない。
前提条件[編集]
七つの子 歌詞
カラス なぜ啼くの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ 可愛い 可愛いと カラスは啼くの 可愛い 可愛いと 啼くんだよ 山の古巣へ 行って見て御覧 丸い眼をした いい子だよ
歌詞から導ける「七つの子」についての前提条件は以下の三点である。
- カラスは「七つの子」が可愛くて啼く。
- 「七つの子」は山の古巣にいる。
- 「七つの子」はいい子である。
カラスの子七歳説[編集]
最大多数派。七つを七歳と受けとり、「七つの子」はカラスの子供で、その年齢が七歳であるとする説である。歌詞について、自分の子供の可愛さを思ってカラスが啼くという最も標準的な解釈ができる。
しかし、野生のカラスの寿命は十歳前後であるため、七歳のカラスを「子」と表現するのはやや無理があり、子供が七歳であれば、親のカラスはかなり高齢と予測され、なぜ生きていられるのかという問題もある。また、これは後述のカラスの子七羽説にもいえることだが、カラスは基本的に巣を一年毎に放棄し、新しい巣を作るため、カラスの子供が「古巣」にいるとするのは現実的でない。
穀潰し説[編集]
カラスの子七歳説の亜流。「七つの子」はカラスの七歳の子供で、その子供は自立のできない穀潰しであるとする説である。この説であれば、七歳というカラスであれば大人とされる年齢にあって、親離れできずいつまでも子供であるという意味で、「子」と表現されているとの説明ができる。
しかし、この説によっても、親ガラスの年齢と、古巣についての問題は解決できない。 その上、そのような穀潰しが「いい子」と表現されていることについても疑問が残る。(これを皮肉であると解釈する見方もある。)
カラスの子七羽説[編集]
七つを子供の羽数と捉え、カラスの子供が七羽いると考える説である。七つ=七羽という解釈は明快で、カラスの子七歳説に次ぐ支持を集める。
しかし、この説の最大の難点は、カラスが七羽の子供を持つのが、生物学上不可能であるという点にある。カラスは四個あるいは五個しか卵を産まないのだ。 仮に、突然変異的に七個卵を産み七羽の子を持ったとしても、「七つの子」がいるのは古巣であるから、カラスはこの子供を育てていないことになり、不自然である。 さらに「七つの子」という表現は「子」と単数形であることから、複数の物事を指しているとは考えにくい。
人間の子供説[編集]
カラスの子七歳説と同様に、七つを七歳と解釈するが、「七つの子」は七歳の人間の子供であるとする説である。人間の子供がカラスに連れ去られ、巣に入ったが、飛んで移動することができずに古い巣に残されたと考えれば、少々強引ではあるが、古巣問題を回避できる。 この説を用いると、やむを得ず古巣に残してしまった人の子を思いカラスが啼くという、人間や動物という枠を超えた愛を感じる解釈ができる。
バラバラ殺人説[編集]
七つを七個と解釈し、「七つの子」とは何者かによって殺害され、七個の部位に切断されたカラスの子供の遺骸であるとする説である。 「七つの子」が複数でありながら単数であるという理論を見事に説明した。 歌詞の解釈の点においても、凄惨な殺され方をした子の生前の可愛さを思い出し、その亡骸を安置した古巣に思いを至らせ啼くという、あまりにも悲しいが、筋の通った物語が作れる。
子なし説[編集]
- 両辺から1を引いて
- 0 = 1
- 両辺に7を掛けて
- 0 = 7
以上より、「七つの子」を0羽の子であるとする説である。この説によれば、カラスは子なしということになり、もし子供がいたら可愛いだろうという感傷に浸って啼いているという自然な解釈が可能となる。しかし、「七つの子」が存在しないとなると、歌詞中の「七つの子」に関する描写は、全てカラスの妄想ということになり、カラスの精神状態が心配される。
結論[編集]
![]() 本項は第33回執筆コンテストに出品されました。
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