三沢光晴
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
三沢 光晴(みさわ みつはる、本名:三澤 光晴、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、世界で最も強いとされたプロレスラー。北海道夕張市生まれ、埼玉県越谷市育ち。格闘集団ノア(以下ノア)総帥。身長185cm、体重110kg。血液型O型。顔はブサイク。
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[編集] 人物
人気・実力などにおいて元プライドヘビー級王者のヒョードル、UFCの中堅選手ミルコなどを軽く凌駕する。ノアの小橋建太と共に、銀河系における格闘技界の頂点に君臨する。いくら打たれても投げられても立ち上がってくるところから「ゾンビ三沢」「受け身の天才」「ハイブリットボディ」と称され、若い頃はイケメンなので「エルボーの貴公子」とも呼ばれたが、世界的な格闘家として知られる近年には「格闘神」と呼ばれている。ミルコ・クロコップに勝った経験のある唯一の日本人として有名である。
一貫してグリーンを基調としたロングタイツを着用し続けている。 その事から三沢さん、ノアのカラーイメージが緑色となり、あらゆるものに影響を与えている。 ノア主催の貧困根絶キャンペーングリーンタイツプロジェクトを行なった事がある。
また、彼が旗揚げしたプロレスリング・ノアでは、リングマットに自身のイメージカラーと同じエメラルドグリーンの物を使用している。これは「目に優しい色だから」という理由もあるようだが、日本のプロレス・格闘技団体では青を採用することが多いため、プロレス専門誌の写真などでも特徴的な印象を与えている。因みに、アニメのタイガーマスクの終盤において、しばしばマットの色が緑色で描かれていたことから、タイガーマスクであった三沢がNOAHで緑色のマットを採用したこととの間に因縁を感じるものもいるようである。
2009年3月で地上波が撤退した後の6月13日に行われたプロレスリングノア広島大会での試合中に後頭部を強打して病院に運ばれたがまもなく死亡。死因は頸髄離断。46歳の中年だった。
[編集] 主な経歴
- 1978年
- 物心がついたときから最強過ぎる三沢さんは、レスリングの名門である足利最強大学附属高等学校に入学する。あまりにも最強過ぎた為、3年時に世界最強ジュニア選手権出場、国体(正式名称:国際世界最強体育大会)で優勝を果たす。 長く盟友として苦楽を共にする一つ下の後輩、川田利明とはこの時に出会っている。川田とは国体で優勝した際に貰った景品のヤクルトを巡り、全身血だらけになるまで殴り合うほど仲が良い。
- 1981年
- 3月、自衛隊からの熱烈な勧誘を受けるが、「入隊したら朝放送してるパーマンが観れない」という理由で断り、越谷最強の看板を引っ提げて全日本プロレスに入門する。同年8月21日、同期の越中詩郎を相手にデビューを果たす一方、この頃から最強の地下格闘結社ノア設立へ向けての準備を開始する。
- 1984年
- 3月 越中と共にメキシコ遠征に出発。現地での生活に馴染んできた5月頃には、普段の試合と並行してストリートファイトを敢行し、屈強で陽気なメキシカンストリートファイター達と激しく殴り合い、メキシコでもやはり非情なまでの最強過ぎっぷりを披露する。ちなみにこのストリートファイトの勝利者賞はタコスの皮であり、三沢さんの宿泊施設はタコスの皮で溢れかえったという。処分に困り果てるほど最強過ぎた為、とりあえず川田の実家に送りつけたという。
- 7月 ヒップアタックのしすぎで痔に悩まされ、日本から送られてきた大量のプリザエースの効き目も芳しくない越中を置き去りにして極秘帰国し、2代目タイガーマスクに変身。東京・蔵前国技館にてお披露目される。一方置き去りにされた越中は、全日本と連絡が取れなくなった為に急遽帰国し、 とりあえず川田の実家でしばらくのんびり過ごす事にしたという。川田もまたそれを受け入れたという。
- 8月26日、田園コロシアムにてラ・フィエラを相手にデビュー戦を行い、8分37秒、タイガー・スープレックス84%で勝利。
[編集] 主な得意技
- エルボー
- 肘で相手のアゴを打ちぬく非常にシンプルな技。連続で打ち込んだり左右の肘で打ち込んだり走りながら打ち込んだりとバリエーションは多彩。大抵手加減しているが、川田には本気で打ち込む。
- また、ぶっちゃけ試合が面倒くさくなった場合、相手の後頭部に打ち込んで早々に試合を終わらせる事もある。
- タイガードライバー
- 三沢の代名詞とも呼べるフィニッシュホールド。最近は雑魚相手でもないとこの技では仕留め切れない。
- 進化型のタイガードライバー'91は逆に危険すぎて滅多な相手には出せないほどやばい。
- エメラルドフロウジョン
- 一時はタイガードライバーに代わる超必殺技だったが、あまりに出しすぎたためにノアの聖闘士たちには効かなくなってきている。
- 欽ちゃんキック
- そのまんま。三沢さんはこの呼び方をお気に召さないようだ。
- 各種跳び技・断崖技
- 四天王の例にもれず、危険な跳び技・断崖技を出す事がある。エルボースイシーダやウルトラタイガードロップなどはまだましなほうだが、断崖タイガースープレックスや雪崩式エメラルドフロウジョンなどは殺す気で仕掛けているとしか思えない。ちなみに被害者は大抵の場合小橋。
[編集] 有名人による評
~ 三沢光晴 について、織田信長
~ 三沢光晴 について、足利義昭
~ 三沢光晴 について、アドルフ・ヒトラー
~ 三沢光晴 について、べジータ
~ 三沢光晴 について、伊藤静
~ 三沢光晴 について、庵野秀明
~ 三沢光晴 について、マイケル・ムーア
~ 三沢光晴 について、窪塚洋介
~ 三沢光晴 について、田代まさし
~ 三沢光晴 について、落合博満
[編集] 格闘技集団ノアの格闘技団体としての位置付け
[編集] 強さの位置付け
諸説あるが、現在数ある格闘技団体の中で実力NO.1であると解する説が有力である。
その根拠としては
- ①格闘集団ノアの戦士である杉浦貴(以下杉浦)※(1)が、当時メジャー総合格闘技団体である『PRIDE 武士道 -其の四-(2004.07.19)』にて、PRIDE GRANDPRIX 2004 BEST8ファイターであったジャイアント・シルバを“1R 2分35秒”で秒殺していること※(2)。
- ②三沢さんが、『真世紀創造Ⅱ』(ZERO-ONE)にて、柔道家の小川直也(以下小川)※(3)をグラウンドで圧倒したこと。
- ※尚、三沢さんのパートナーであった当時新人の力皇猛(以下力皇)も場外戦にて小川からマウントポジションを取っている。結論として、力皇のポテンシャルと格闘集団ノアの実力を社会に知らしめる結果となった。
- ③ほぼ全ての格闘技団体が、三沢さんの代名詞であるエルボーバット(肘打ち)を禁止していること(俗に“三沢シフト”と呼ばれる)※(4)。
- の3点が主に挙げられる。
- (1)議論の余地はあるが、格闘集団ノアにおける杉浦の位置付けは、中堅選手若しくはそれ以下である
- (2)議論の余地はあるが、試合開始早々にシルバは戦意喪失していたため、事実上の秒殺であることには変わりない
- (3)バルセロナ五輪銀メダリスト。全日本柔道選手権優勝7回(山下泰裕に次ぐ歴代2位)を誇り、柔道史に名を残す格闘家である
- (4)UFCにおいては肘打ちの解禁を行っているが、限定的なルールに留まっている
近年では、格闘集団ノアの次に位置する団体はどこであるかが盛んに議論されているが、レベルの差が大きすぎるために、不毛な議論ではないかとの見解も根強く存在する。
[編集] 企業としての位置付け
日本の格闘技団体において、初めて所属選手の福利厚生を制度化した団体である。
徹底したマーケティング戦略を武器に、常に高い経常利益を誇っている。一説には、一部上場企業のトップレベルの水準に達しているとの情報もある。
[編集] ノアを取り巻く近時の社会問題
- 残酷かつ過激な暴力表現を地上波で放送と放送倫理のあり方について。
- 憲法9条問題にみられる、三沢さんの合憲性。
- ノア社員になるために、長年に渡る就職浪人が多発しており、本来充分に優秀な若者が自宅警備員と化していること。
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