三河人

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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ウィキペディアの専門家気取りたちも「三河人」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。
「このオレが辺境惑星の取るに足らない下等種族に負けるとは!!」
~ 三河人 について、ベジータ
「スカウターが壊れた!!何て戦闘力だ!!」
~ 三河人 について、サイヤ人の方々

三河人(みかわじん)とは、愛知県東部に住む宇宙最強クラスの戦闘民族である。

三河には、愛知県に当たる「西三河」と、浜松県に当たる「東三河」があるが、通常は律令以前の「三河」に当たる「西三河」を指す。尚、東三河は、律令以前には「穂国」という別の国であった(と、豊橋市教育委員会は主張しているらしい)。

目次

[編集] 概要

性格は凶暴であり、極めてケチである。勝利のためには自らのも顧みないほど勇猛果敢なことで知られ、戦国最強と恐れられた。ただ無謀なだけのDQNの集団だというのは、天下統一を三河人に阻まれた尾張人のひがみである。

[編集] 社会・歴史

古来より、他国を侵略し財をなすという、乱暴かつ非道な生活を続けてきた戦闘民族。三河国は元々は小国であり、今川義元奴隷のように扱われていたが、織田信長が今川義元を倒したため自由の身となる。三河人はその高い戦闘能力と好戦性から全宇宙支配を目論む尾張人織田信長豊臣秀吉に重宝されていたが、次第に増大していく戦闘力を抑えることができなくなる。ついには助けてくれた尾張人を絶滅させ、天下の覇権を握った。

三河人の社会は、徳川家を頂点にした専制国家で身分制度社会であるが、性別民族による差別はあまりなく、良くも悪くも戦闘力を重視する能力主義社会である。身分は生まれた直後の戦闘力で決まり、王族、エリート、下級戦士とランク分けされている。生まれた直後の戦闘力の数値が低い者は使い捨てにされ、強敵のいない辺境の土地に送り込まれる。また戦闘力数値が高すぎる場合、成長後に地位を脅かす可能性があるとして、逆に処刑される場合がある。

瀕死から復活すると戦闘力が大幅に上昇する特質を持っているため、下級戦士でも激しい戦闘や修行を繰り返すとエリート戦士の戦闘力を超える場合がある。(鳥居強右衛門の戦闘力は10,000など)しかし鳥居強右衛門のような下級戦士は極めて稀な存在で、大半の下級戦士はそれ以前に死亡するため、下克上が起こることはまずない。

エリート戦士となるために三河人は成人までの間、大変過酷な英才教育を受ける。西のキブツ、東の三河と言われ、一時期は毎年のように、未成年児童や青年が英才教育を受けている間命を落とすという事例が散見された。現在では近代化のため幾分マシにはなったものの西尾市で同様の事故が発生している。

[編集] 超三河人

戦闘民族三河人が、戦闘力上昇のために変身した状態。

変身には一定以上の戦闘能力と、極端な感情の変化(食べ物の恨みなど)が必要とされる。更に種としての三河人の個体数の少数化が生物学的条件とされている。400年前に一度だけ現れた超戦士という伝説として受け継がれてきた。それを鑑みても外的・内的な覚醒条件を満たすのは容易な事ではない。

体に無理が掛かり過ぎて寿命を縮める要素が判明しており、これはいわゆる人の「火事場の馬鹿力(医学的には劇物と大差ないアドレナリンの分泌を脳内で行い、身体能力を一時的に向上させる仕組みだが、長時間行われるのは危険)」と似通っている。

[編集] 伝説の人物

鳥居強右衛門:

三河人の最下級戦士の身であるが、度重なる激戦と死線を潜り抜けてきたことによって、その戦闘力は10,000前後と、エリート三河人にも引けをとらず、その勇猛さは三河人のあいだでは有名だったとされる。 長篠の戦いの時、落城寸前の長篠城から密かに脱出し、岡崎城の家康に援軍を要請した。援軍が来ることを伝えるべく即日、長篠城に向かった強右衛門だったが、武田軍に城への接近を阻まれる。奮闘し、やがて姿を現した武田勝頼に渾身の力を込めたエネルギー弾を飛ばすが、勝頼も指先で作り出したエネルギーの球体を一挙に巨大化させて強右衛門に向けて撃ち放った。強右衛門のエネルギー弾はそれにかき消され、自身もなす術もなく飲み込まれた。

徳川家康

伝説の超三河人。元は今川氏の奴隷だったが、数多くの戦いを経て宇宙最強の戦士となった。 三方ヶ原の戦いでは、武田軍の追撃から命からがら逃れる時に馬上でうんこひりパワーアップし、超三河人へと覚醒、武田勝頼を倒した。

山本勘助

三河人で有りながら武田一族に寝返った裏切り者。戦闘力約4,000。

徳川方によって発見された時の政局。腐食が進んでいる。
大河内政局:

1574年に武田方の手に落ちた高天神城に一人残り、奪還されるまでの8年間、何も飲まず食わずの捕虜生活に耐え徳川への忠義を貫いた三河人の鑑。捕虜生活の間に行われた拷問は熱い蝋燭を背中に垂らす、爪を焼く、髪の毛を引っ張ってアメリカンクラッカーの相方にする、ウィキペディアに「hydeの身長は156センチ」と延々と書き込まされる、など凄惨を極めていた。しかし政局はこの拷問に対し悲鳴をあげたり苦痛の表情を見せるどころか、逆に笑っていたという。三河人が食べ物の恨みから戦闘力を上昇させることができる好例といえよう。因みにこの拷問を見ていた武田の兵士がのちにSMプレイを考案した。しかしいかに三河人といえども、8年間飲まず食わずの生活で次第に体を蝕まれ、1581年に救出された時には体の節々は腐食し、歩くのも困難となっていた。戦闘力約8,000。

[編集] 必殺技

「ボーナス30%アップ」:

現代において某Tヨタ王国でも使用される最強の必殺技である。ボーナスをアップすることで三河人の戦闘力は一時的に10倍近くに跳ね上がるが、やりすぎると過労死する。三河人に勝てる奴はこの日本にほとんどいないため、三河人が戦場で討ち死にする事はまず無い。戦で死んだ三河人のほぼ9割が「ボーナス30%アップ」による過労死だったとされる。

[編集] 宿敵

武田一族

甲斐国の独裁者で、私設軍を率いて地上げ等の活動を行ってきた。武田一族の部下には三河人より強い戦士が多いが、これは戦闘に秀でた戦士を各種族から選りすぐった結果であり、三河人のように種族全体で強い民族は少ない。

穂国:

メロンうなぎパイを好物にする種族。天竜川浜名湖の文化圏で、三河人からは「浜松のポチ」と揶揄されている。三河国に併合された後は「東三河」と呼ばれているが、「東三河は西三河ではない」というアイデンティティーが強い。戦国時代には今川義元武田信玄の領土で、今川一族と武田一族が没落すると徳川家康の領土に下った。

尾張人:

何にでも味噌をかけてしまう種族。鞄の中には常にmy 味噌を携帯している。その昔、ある尾張人が、三河人の食べようとしていたトンカツに勝手に味噌をかけるという事件が起きた。同じ愛知県民でも、三河人はソース派であるので当然激怒、以後360年近く争っている。 他県において愛知県出身者≒尾張人と思われていることは、三河人にとって大きな屈辱である。

[編集] 関連項目

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「三河国」の項目を執筆しています。
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