三猿

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三猿(さんざる、さんえん)とは、空気読まない三匹のサルの像。以下のような身勝手な三匹の猿である。

  • 見ざる(見猿)- を両手で隠し、周りの状況を理解しないで、勝手にしゃべりまくる。
  • 聞かざる(聞か猿)- を両手で隠し、他人の話を聞かないで、やはりしゃべりまくる。
  • 言わざる(言わ猿)- を両手で隠し、周りのものが話しかけても、何も言わない。

この像は、古来から世界各地にあり、古代エジプトでも見られた。英語では皮肉を込めて"Three wise monkeys"と呼ばれる。

歴史[編集]

日本[編集]

日本では俗に「猿は毛が三本足りない」とか「猿知恵」と言われるように、猿は人間より知能が劣ったものと考えられていた。織田信長が、ごますりで出世した部下を「猿」と呼んでいたのが、その良い例である。ところが、この猿が天下統一を行い太閤となったことから、猿についての誤解を招くことになった。

猿あらため豊臣秀吉は、自分の幼名日吉丸からこじつけて「猿である自分(秀吉)は日吉神社(山王神社)の使いである」という作り話を、刀狩と同時に全国に押し付けた。庶民はこの暴挙に反発し、ちまたの空気を読めない秀吉の姿を批判するために、あちこちの庚申塚三猿を彫り付けたという。しかし、年月が過ぎてくると、「猿は日吉神社の使い」という説が定着してしまい、本来の「三猿は空気読めない猿」と異なり誤った解釈も発生して広まってきた。その誤解とは、「猿はの使いなのだから、庚申塚の三猿は役に立つ教訓を伝えているのだろう」というものである。

そういった考えから現代では、「三猿とは余計なことは見ない、聞かない、話さないという三ない運動の象徴」と考える人々も少なく無いのである。これはまさに、「情けは人の為ならず」を本来の意味と逆に受け取る人々の増加と同じように、伝統文化の破壊を示していると言えよう。

伝来[編集]

古代エジプトにもあった三猿が、どのように日本に伝わったかには諸説がある。

日本人ユダヤ人同先祖説
この説は「古代イスラエルの失われた支族が日本に移住したという説」であり、その支族によって三猿が日本に伝わったとする。これをそのまま解釈すると三猿が古代エジプト文明よりも先に日本に伝わった可能性もある。
なお、旧約聖書も日本の記紀も記述内容の正確な年代は特定しがたいことを考慮した場合、本仮説で年代が特定できる最初の出来事である大化の改新は、古代エジプトよりも遥かに後のことであるので、本説でもエジプトから日本に伝わったという可能性も完全には否定できない。
イエス・キリスト渡来説
歴史研究家竹内巨麿は「イエス刑死を逃れて現在の青森県戸来の地に来た」と主張している。彼の説は、竹内文書によって裏づけがなされているものである。この説に基づき、イエスが来日した時に、三猿も同時に日本に持ち込んだ可能性が指摘されている。
なお、イエスが死刑にされそうになったのは、周囲のユダヤ教宗教者(ラビ)たちの空気を読めずに迫害されたためといわれている。この点は、同じような非暴力主義を唱えたガンジーが常に三猿のアクセサリーを身に着けて、周囲の空気を無視していたというエピソードと共通する。したがって、イエスが三猿を日本へ持って来たというもの納得できる説明である。
ローマ帝国からを通して伝わったという説
中国唐代には、キリスト教の一派である景教(ネストリウス派)がローマ帝国より伝えられ、布教されていた。日本は当時、遣唐使を多く派遣して、先端の文化を取り入れていた。このような背景の下、三猿もローマと唐を経由して、日本に持ち込まれた可能性がある。

現代日本の三猿[編集]

前述の日本での歴史で述べたとおり、現代では三猿は誤解に基づき「三ない運動」の象徴として取り扱われることがある。三ない運動の詳しい説明は当該記事に譲るが、ここで特筆すべき影響として非核三原則を挙げることができる。

三猿の誤解に基づいた非核三原則とは、アメリカ海軍艦船が日本に入港したときに核兵器が持込まれていたとしても、「わざわざ現物を見てみることはしない、持込まれているのではないかという質問は聞かなかったことにする、持込に関する密約があったとは口が裂けても言わない」というものである。日本国政府は長年に渡って、この立場を堅持してきていた。

外部リンク[編集]


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