上高地

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上高地(かみこうち)とは、松本市の安曇村にある有名な観光名所のことである。本来は神恒内という名であったらしいが、観光客らが勝手に「上高地という名がいい」と無理矢理決め付けてしまったため、この名前になってしまったらしい。ちなみに、上高地スキー場や上高地高原というものはない。また、本項ではかつてこの地に存在した国家である上高地帝国(かみこうちていこく)についても述べる。

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概要[編集]

梓川が流れており、その途中に有名な橋、河童橋がある。橋の名の由来は、カッパがその橋を渡ったという噂があったことによるらしい。しかしその付近では過去に、多数の人たちが河童によって川に引きずりこまれ食われていたという言い伝えがある。つまり恐ろしい場所でもあるのだ。なお、厨房用品は売られていない(あれは合羽橋)。

ここから山登りを始める人がいるらしいが、歩き始めは平らな場所がほとんどで退屈である。登山道ではときたま、北海道から送られてきた天然記念物ヒ熊が大量発生していることがあるので、注意しなければならない。

歴史[編集]

江戸時代以前には上高地を訪れる道は徳本峠越えしかなく、外部からの支配が十分に及んでいるとは言いがたい地域であった。明治時代となり、ウォルター・ウェストンによりこの地が外部に知れることとなったが、上高地内部では外部からの侵略と外国人支配への恐怖から国家を設立した。これが上高地帝国であり、皇帝には上高地を知り尽くした内野常次郎が就いた。

大正時代には大正池や、釜トンネルが開通し、徐々に上高地が知れ渡ることとなった。1933年には上高地までバスが通るようになり、また上高地帝国ホテルも開業。まさしく帝国は繁栄を謳歌していた。

しかし、ここからは日本がアジア同様に上高地帝国を侵略していく番となった。まずは一帯を国立公園に指定し、帝国の食料源であった牧場を、「環境破壊」の名目で取り潰した。さらには、近隣に松代大本営を建設することとなり、ここぞとばかりに釜トンネル経由で日本軍が攻め込み、上高地帝国は滅ぼされた。

戦後になると上高地は観光地として脚光を浴びていくこととなるが、帝位を剥奪された内野は失意のうちにこの世を去っている。また、上高地帝国ホテルは名前のよしみで帝国ホテルが取得し、名前も変えずに営業を続けており、上高地帝国があったことを示す唯一の名残となっている。

交通[編集]

国道158号を通ること。たぶんがけ崩れに会うかもしれないので、防犯ヘルメットをかぶっていく方がよいだろう。車は捨てる予定のもの使うこと。なぜかって? がけ崩れにあったら車は捨てるだろう、というかふつう壊れるだろう、常識的に考えて。

釜トンネルから先は、一般車は通ることが出来ない。何故か? 入ったら釜トンネルで呪いがかかるからである。どんな呪いか? 一般車がそのトンネルを通るとそのトンネルから抜けなくなるのである。どうやら戦時中の進駐には観光客の乗用車に偽装した特殊車両を使ったらしい。しかしバスで通ると何も起こらない。おそらくバスは偽装が困難であったのであろう。

途中で焼岳大正池を見ることができるが、焼岳の爆発には要注意。焼岳をバカにすると爆発するという言い伝えがあるのです。

みどころ[編集]

  • 大正池 - 大正時代に出来たから大正池と名乗っているが、あまりにも普通の名前すぎる、というか安直。
  • 梓川 - その水は一見きれいに見えるが、飲めないので注意。
  • 河童橋 - カッパがその橋を渡ることで有名。しかしなぜ地上に? カッパなら泳げよ。
  • 田代池
  • 田代高原
  • ウェストン碑

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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