乗らずに残そう運動

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「この運動のおかげで僕は悠々とガラガラ列車で全駅乗下車できるよ」
乗らずに残そう運動 について、ある鉄道ネ申

乗らずに残そう運動(のらずにのこそううんどう)とは、経営困難に陥ったローカル鉄道の廃止反対運動の一つの形態である。アンサイクロペディアンの中にはエクストリームスポーツの一種と思われる方もいるかもしれないが、そんな大したものでもない。

概要[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「赤字83線」の項目を執筆しています。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「特定地方交通線」の項目を執筆しています。

かつて国鉄時代末期、国鉄の赤字対策として、営業成績の悪いローカル線を選んでそれらを片っ端から廃止するという暴挙が二度にわたって行われた。 一回目は巧く行かなかったため、二回目では周到に対策を執ったうえで赤字ローカル線の切り捨てを行った。 切り捨ての基準は一回目も二回目も輸送密度、つまりお客がどれだけ乗っているかであった。 このため、輸送密度の集計を行う時期に合わせて、廃止反対家たちは用もないのに当該路線に乗車し、輸送密度のかさ上げを引き起こすことで、廃止対象から見逃されるようにしようとした。これがいわゆる「乗って残そう運動」である。

しかしながら、国鉄側も馬鹿ではなかったというか、必死になって赤字路線を切り捨てたがったため、彼らが活動をやめた頃を見計らってこっそり再調査を行い「やっぱお客が乗ってねーじゃねーか。よし廃止対象決定!」となってあっさりナタを振り下ろされてしまうのが常だった。

これらの反省から、乗って残そう運動は金を無駄に費やすばかりで効果が無いと総括され、それなら正反対の方法はどうかということで考案されたのが乗らずに残そう運動である。

手法[編集]

どんな状況にあっても、絶対に廃止危惧路線には乗車することなく、口先だけで廃止反対を声高らかに主張する。声は大きければ大きい程よい。 声が大きければ、大企業とか資本主義を何かと目の敵にするマスゴミの目に留まって、美談のように連日報道してくれるようになるであろう。 そうなれば、当然鉄道会社側も何らかのリアクションを行わなければならなくなる。 この時、鉄道会社の幹部が自分の都合の良い暴言を吐けば、それがマスゴミを通じて世間に知らしめられ、世論の反感を買うこととなるだろう。

あとは、自分たちは絶対に乗らなくても、世論が自分たちに代わって廃止反対のためのアクションを多々起こしてくれるはずである。 そして、世論にほだされて廃止検討を撤回させられれば、反対運動家たちの勝利である。 実際に乗るのは、地方からやってくる鉄道愛好家だけで構わない。彼らだけなら実際1両で収まる。

実例[編集]

実際に行われた「乗らずに残そう運動」は、以下の例が有名である。

可部線
可部線で展開された「乗らずに残そう運動」は、まさにその後の同タイプの廃止反対運動の良いお手本となった。
1998年(平成10年)にJR西日本が可部線の非電化区間廃止を表明した際、広島県山県郡戸河内町(現:同郡安芸太田町)の反対運動家たちは、自分たちは1円たりとも運賃を払うこと無く廃止を阻止しようとした。
とにかく「1円でも運賃を払ったら負けだと思っている」らしく、中国新聞などメディアを駆使し、徹底した「乗らずに残そう運動」を展開した。
JR西日本広島支社に直訴に行く時にも、当然ながら死んでも可部線には乗らずにマイカーを使い、その甲斐あって同支社長から「廃止促進運動をやっとる」とマスゴミが鬼の首を取ったように飛び付きそうな暴言を引き出し、顰蹙ポイントをゲットした。
だが、世論の声も届かず、結局同社は可部線の部分廃止を決定してしまった。それでも「抗議の沿線ウォーキング」という、やはり1円も運賃を払わないパフォーマンスで抵抗するなどして、最後の最後まで1円たりとも運賃を落とすこと無くメディアを沸かせることに成功した。
結局、2004年(平成16年)に可部線の非電化区間は廃止されてしまったが、部分的とはいえ可部線の一部区間の復活が2016年3月に実現することとなった。結果的には成功だった…のか…?[1]
北海道ちほく高原鉄道
ここでも「乗らずに残そう運動」が展開されていた。自治体が出資する第三セクター鉄道だったため、「税金の使い方に文句を言おう」と言う大義名分が成り立つと思ったらしい[2]。とは言え、可部線ほどまとまった運動ではなかったため、あっけなく廃止になってしまった。
ちなみに、この路線の廃止反対運動では、"乗らずに残そう運動"には岡山電気軌道トラブルトラベルプランニングオフィスを利用するという新たな定石が産まれたが、前者は自治体の支援を前提としており、そもそも自治体出資だった第三セクターを廃止しようとしている以上自治体が支援するはずがなかったため、同社による救済もあり得なかった。後者に至っては自称会社役員痛い鉄ヲタでしかなく再建計画とやらも全く現実的ではなかった[3]。結果についてはお察し下さい
鹿島鉄道
実際に鉄道を不可欠としていた高校生を運動に引っ張り出したので「乗らずに残そう運動」とは言い難いと思われるかもしれないが、それを焚き付けた者は絶対に鹿島鉄道に乗らなかった。ここでも新定石に基づき、岡山電気軌道とト(ryを引っ張り出したが以下同文

現状[編集]

このように、2000年代は各地で「乗らずに残そう運動」が展開されたが、どれも成功することはなかった。 結局、2010年代には「乗らずに残そう運動」も意味が無いと悟られることとなった。

このため、今では十和田観光電鉄江差線岩泉線などで廃止が検討されてもほとんど抵抗を受けること無くすんなり廃止が決定してしまうようになった。

と思われたが 2015年になってJR西日本がだれものらない三江線の廃止を表明した所、地元自治体が公共交通手段がなくなるとして、実際は地元自治体に落ちる固定資産税の収入がなくなることを嫌って大反対している。存続運動が公共交通手段の維持が目的でないことは、地元自治体が財政負担を求められる第三セクター化を拒絶していることで明白である。

脚注[編集]

  1. ^ 可部線の部分復活は、もともと計画にあったもので、「乗らずに残そう運動」とは関係がないはずである。
  2. ^ 誰も乗らない鉄道に血税を捨てるくらいなら、それを公共サービスにつぎ込んだ方が有効だと誰もが思うはずだが気にしない
  3. ^ ちなみに「社員を安月給でこき使うことで人件費を節約する」「カードローンで運転資金を調達する」「青春18きっぷで乗れる列車を運行して客を呼ぶ」というものだったらしい。というか、ン億円も借りられるローンカードなんか持てるほどの大富豪なら、ポケットマネーで運営できるんじゃね?

関連項目[編集]

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ウィキペディア専門家気取りたちも「乗らずに残そう運動」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。