九五式軽戦車

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九五式軽戦車(きゅうごしきけいせんしゃ)とは、旧日本軍が本格的に戦力化した軽戦車第1号である。日本はそれまで軽戦車より豆戦車や軽装甲車に重点を置きすぎていたことや歩兵戦闘の強化などの必要性が発覚したため作るまでに至ったのだ。ライバルにはコメリカM3軽戦車ソレンBT戦車がいたが、太平洋戦争になるとM4中戦車T-34などの中型の戦車からバズーカ及び迫撃砲までがライバルになってしまい空を飛んだり海を航行したりした事でも有名である(後述)。

本車両初期型。細部が大幅に異なる。

概要[編集]

前述したように日本が最初に開発した軽戦車である。それまで日本陸軍は軽戦車のような中途半端な兵器に着目せず常に上等の豆戦車や軽戦闘車両などに目を向けていた。ところが、中国戦線においてソビエトがBTと呼ばれる軽量型戦車を開発していた事が発覚する。当然軽戦車なんて日本だと簡単に作れそうなのだがなにせ豆戦車とはどう違うのか?やどの様に使えばいいのか?など様々な疑問が浮上し結果的に混乱した。しかし、偶々ドイツが軍縮の最中にヒトラーの命令でトラクターと偽った軽戦車「Ⅰ号戦車」を開発して就役させたばかりだったのでそちらを参考に開発されたが正確な元ネタは不明でBT戦車を参考にしたという説もある。後期はヴォルテックスグラインダーを完備しアメリカ軍の戦車と一戦を交えた。

完成[編集]

なんだかんだで開発に時間を要したがなんとか1935年に完成した。名前の由来だが完成した年が皇紀でいう2595年であるため後ろの95を取って命名された。その為、「1895年に完成した」や「時速95kmだから」など間違われることが多い。武装は九四式戦車砲で37mmと車体前後の機関銃である。この戦車砲は開発部が割り出したところ「一度発射すると半径100kmが壊滅する。」という事態が発覚したがこれは間違いで本当は「一度の砲撃で半径156kmが壊滅する。」が正しい。昔ながらのリベット接合を採用しており溶接式の車体と比べると破損した箇所のリベットを外して部品を付け替えればいつまでも使えるという安心設計を誇っていた。

長所[編集]

前述したとおり脅威の威力を持つ戦車砲や付け替え可能な部品などが話題を集めた。また、恒例のディーゼルエンジンを採用したため巡航速度はおよそ40km。なんと馬四頭立ての馬車に匹敵する。また、移動速度は180kmであるため風のように軽快に走る。だから敵兵曰く、逃げ足も速い。他にも無線機を装備せず車長が実際に指示を送るときは操縦士を蹴飛ばして行うという。余談ながらこの「蹴飛ばして指示を送る方法」は他国の軽戦車にも見受けられた。

短所[編集]

同じ軽戦車であるアメリカのM3軽戦車が最大で4人乗れることと比べてこちらの九五式は最大3人であり1人乗れないこと。この為、誰かが負傷すれば2人で攻撃と移動を行わなければならないのだ。また、事もあろうに「蹴飛ばして指示を送る方法」だけあることや一番生産数が高かったことも相まってこの戦車の操縦士は非常に肩をこりやすい。だから長期戦闘時になると孫の手が必要になったり肩揉み要員が必要になったりする。前述した戦車砲はあまりの火力を持つため全員が退避しないと砲撃ができないという問題も持つ。更に他のリベット接合の戦車にでも言えることだが、リベット接合は非常に被害を受けやすく太平洋戦争において投入されたバズーカにより凹んでしまう事態も招いた。異常に挙げることから様々な派生型が誕生した。

諸元[編集]

全長と車体長は4.3mに統合されており、鉄道輸送を前提にしていたことが分かる。しかし、鉄道網が連合軍の攻勢により占領されたあとは全長9.5m・車体長は8.41mに拡大された。これによりエンジンをより強力な仕様にかえることができた。

全幅は2.7mしかなく比較的小さめ。それでも日本陸軍の中ではちょうどいい。しかし、M4中戦車が投入されるが否や歩兵援護という開発の前提が書き換えられ14.6mに変更される。

全高は2.28mと大人の身長より上ぐらいしかなかったがいずれにせよM4中戦車とは比較にならないため6.92mに拡張された。

重量は初期が7.4tと軽量で砂浜の上や木造の橋などを容易に渡れる。しかし、武装とエンジンの強化により重くなり最終的に56.3tと重量級になり、世界に例を見ない「軽戦車」として君臨することになる。

懸架方式にはこれまでの日本軍の戦闘車両に採用されたシーソー式で上下にガタガタと揺れる。これはコーリャン畑がある満州国での戦闘に備えたものであった。

速度は40kmとM3軽戦車の50kmより劣るが後期になると新型エンジンの影響で70kmで疾走するようになった。燃料を満タンにした上で行動距離は脅威の240km。アメリカのM4中戦車は満タンにしても130kmしか移動できず、これは当時の連合国を脅かした。

装甲[編集]

砲塔の外周と下部はたったの12mmしかない。これは、当時の日本陸軍の戦車開発が遅れていたことや港湾都市が整備されていない東南アジアへの持ち込みから来てるのだが結局後期生産版は総じて46mmに変更された。

上面と車体上面全部/車体前面傾斜部/車体底面は9mmに統一されており初期の頃は米軍の手榴弾で凹んでしまうという事態が相次いだため急遽58mmに拡大される。しかし、その分重量は増した。

ハッチと車体上面後部は6mmでまとめられており米軍の機関砲だけでも歪んでしまう。その為この部分は45mmに変更された。

車体後面は10mmであるがアメリカからしてみれば薄っぺらい為バズーカ砲だけで外れそうになると言う事態を招いたため110mmに変更された。

装備[編集]

主砲は九四式37mm戦車砲と呼ばれる高性能の戦車砲であり装弾数は最大102発。しかし、この武装ではM3軽戦車を撃破できず、小破しかしなかったため急遽大本営は三菱重工に依頼し新鋭の五二式130mm戦車砲を搭載した。これによりM3軽戦車はもちろんM4中戦車を容易に撃破し日本陸軍の士気は向上したが生産数は劣っておりオリジナルと比べるとわずか340両しか生産されず全ての部隊に行き渡らなかった。他に九七式7.7mm機銃を2丁車体前後に付けており最大で3000発の弾丸を発射することが出来たため、米軍の歩兵隊を容易に一掃できた。

エンジン[編集]

三菱NVD6120と呼ばれる戦車用のエンジンで空冷直列6気筒を兼ね備えていた。その後、車体の大型化とともに改良を加えて三菱NVE9420と呼ばれる大出力エンジンを搭載した。馬力数も120から750に跳ね上がった。

太平洋戦争において[編集]

その火力からアメリカを徹底的に追いつめてしまう実力を持つ。しかし、リベット接合であるためかバズーカ砲や対戦車地雷により辛酸を舐められそうになった。また、後述する派生型はソビエトの戦車をも相手にしてしまい威力はまさに1位だった。攻撃力は後継機の九八式軽戦車にも引き継がれた。

派生型[編集]

現在もさまざまな国家で改良を重ねつつ、運用されている。

  • 九五式重戦車:攻撃型。 同上。
  • 北満型:コーリャン畑を移動する際、サイズが収まりきらず周辺のコーリャンを踏み倒す事故が相次いだためシーソーのようなシステムを組んだ仕様。これにより被害は軽減された。
  • 九五式攻撃型戦車:こちらは多砲塔戦車に近い。元より武装が増えた分機動力がやや低下したが火力も十数倍になったため過激に稼働する。また、戦局を有利に出来る反面構造が複雑であり量産性が低いという事も有名。
  • 特三号戦車:空挺戦車である。なんと、翼を装備しており攻撃機に吊されて戦場まで運ばれそこから投下し後は翼を切り離して戦うというものだった。
  • 特二式内火艇:水陸両用。

戦後[編集]

戦後はいろいろな目的で使用された。バスの牽引やブルドーザーなど戦後開発の様々な形に使用された。この他にも、目的を失ったケロロ軍曹を嬲り倒すなどかなり実用性は高いがやはり旧式化が激しいため日本を含め一部の国しか使用していない。

関連項目[編集]

Wikipedia
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  • 陸上自衛隊
  • タイ:数少ないフル稼働する車両がある。ただしエンジンは換装されており実際の車両とは異なる。