二・二六事件

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二・二六事件(に・にろくじけん)とは、大日本帝国陸軍若き志士たちが敢行した第三新ニホンを作り出すための第二衝撃派である。昭和天皇は後に彼らを憐れまれ、事件の5年後に彼らをパール・チルドレンに指定なされた。

事件の背景[編集]

時は1936年。前年の大凶作により東北地方ではひどい飢餓が発生し、国民は飢えと貧困に苦しんでいたが、高橋是清ら政府高官たちは奢侈に溺れ、問題の最終解決策として国防費を増やすことに抵抗し、中国進出の強化という抜本的な解決策を採ろうとはしなかった。その前年、相沢三郎は政府高官の思想を支える永田鉄山統制主義分子を斬殺し、国民の熱狂的支持を集めたが、高官は決して反省しようとはしなかった。陸軍士官学校の青年磯部浅一は義憤にかられ、当時流行していた第三新ニホン建設計画構想に則って天皇中心の新秩序を築くことを夢見た。

磯部はどこまでも清廉な新世界を築くことを訴えて、真崎甚三郎大将や荒木貞夫中将、本庄繁武官長らの支持を獲得した。3人は北一輝魔王の著した革命の処方箋日本改造大綱を紹介し、クーデターを起こして3年間戒厳令を敷き、そのまま天皇中心の新世界を築くようすすめた。磯部は深く感激し、革命を妨害する「使徒」たちの指定作業に入った。

ちょうどその折、昭和天皇は英国の喜劇役者チャーリー・チャップリンが自分にそっくりなことを知り、是非とも直接面会したいという意思を外交ルートで伝えた。チャップリンは4年前の悪夢を思い出したが、やはり喜劇のタネになると考え、訪日を決定した。

この知らせを聞いた磯部は「これで自分も五・一五の志士たちと連帯できるぞ!」と感激した。そして、チャップリンの到着日を調べ上げ、即座に打倒されるべき「五大使徒」の罪状を記したビラを軍内に配布した。

五大使徒とその罪状[編集]

オッカダー
来るべき世界最終戦争の核となる海軍の力を削ぎし罪
売国奴美濃部達吉天皇機関説を支えし罪
皇道派の行動をネット右翼的と嘲りし罪
コレッキヨ
軍拡を願う国民の意志を踏み躙りし罪
南米ペルーのニセ銀山に国民の税金を注入せし罪
貧民の救済よりも自分の娼婦への忠誠を優先せし罪
斎藤実
朝鮮人に甘々の文化統治政策を採り、単一民族国家たる大日本帝国の血統を穢せし罪
関東大震災で井戸に毒を入れた不逞鮮人のために、切腹パフォーマンスを行いし罪
帝人事件で搾取主義財閥の領袖と癒着せし罪
鈴木貫太郎
海綿を食べただけの兵士たちを不当に大量処分せし罪
全身より敗北のオーラを発し、来るべき世界最終戦争において皇軍の志気に悪影響を与えるとの予言を北魔王より受けし罪
渡辺錠太郎
陸軍教育総監の立場を悪用して、正義の志士たる皇道派の同志たちを統制せし罪
この磯部さまに停学処分を与えし罪

クーデター決行[編集]

いよいよ約束の2月26日、帝都東京は雪となった。磯部とその仲間たちは、天も我らを赤穂浪士桜田門外の義士たちの系譜に含めていると大いに志気を向上させた。そして最初に憎き教官渡辺錠太郎を血祭りにし、大いなる復讐作業を開始した。

彼らは続いて総理官邸に出現、総理大臣の執務室に座っていた男を襲撃してみごと射殺した。彼らは大いに歓喜したが、よく調べてみると顔が微妙に違う。彼らはこれをみて、「総理め、どこに隠れた?暗殺者を前にして逃走するとは武士道精神のカケラもない奴め!」と更に激昂し、コレッキヨと斎藤実を人質にして表に出てくるよう要求したがやはり出てこなかった。彼らはコレッキヨと斎藤を実際に殺したが、それでも出てくる気配はなかった。そこへ鈴木貫太郎がひょいと出てきて、「くっくっく、お前が殺した者の名は松尾伝蔵大佐、オッカダー総理の義理の弟じゃ」と解説し、名前を教えたのだから助命しろと嘆願してきた。かくれんぼの達人に煙に巻かれた彼らは悔し紛れに鈴木に発砲したが、命だけは取り留めておいた。

そして隊長の磯部は占拠した官邸に真崎大将を招聘し、昭和天皇への上奏文を読み上げてもらうよう請願した。真崎は上奏文を持って皇居に向かい、昭和天皇と対面した。真崎は上奏文を読んだ。

陛下、来たるべき米国との最終戦争に備え、臣磯部は先軍思想の新国家第三新ニホン皇国の建国を妨害する反動勢力どもの首魁を膺懲いたしました。その中にはコレッキヨをはじめ、陛下の股肱の臣もいたかもしれません。然し、これは最終戦争で盟友となる独逸ヒトラー公との同盟を推し進める上では必要な犠牲だったのでございます。陛下、どうか臣たちの行為を義挙と認証され、即時3年間の戒厳令を発動し、全皇民の上に君臨する真の現人神におなり下さい

昭和天皇は次のように答えた。

「朕は革命のための犠牲はある程度は必要と考える。ところで、今日到着するはずのチャップリンは今頃何をしている?」

ここで宮内庁の役人が駆け込んできた。

「陛下、大変です。事件のことを聞いたチャップリンが機嫌を悪くし、乗ってきた船で帰国してしまいました!」

昭和天皇のお怒り[編集]

これを聞いた昭和天皇は心より激怒した。そして真崎大将の制止を振り切り、即座に磯部らを断罪するよう勅命を発した。その頃川島義之陸軍大臣は、香椎浩平らと共に磯部らを特進させると公約していたので、突然の断罪命令に困惑を隠せなかった。そして、茫然自失し何の処罰を採ることもできなかった。

そこで昭和天皇は、本庄繁ら関東軍の血をひく軍人たちに命令して、磯部らの居留地区に風船を投げ込んだ。風船の中にはこのようなメッセージが書かれていた。

「チャップリンが帰った。朕の本日の最大の楽しみが奪われた。朕の楽しみを奪う者がどうして救世の軍でありえようか。朕の楽しみを奪った君達は逆賊だ。朕を困らせた者よ、故郷の親たちの泣き声が聞こえぬのか?即時に投降し、朕の裁きを受けよ」

この勅命の前に一部将校はハラキリして抵抗したが、磯部らは裁判を受けるべく投降した。

裁判[編集]

天皇の娯楽を奪った罪は重く、磯部らは弁護士無しの裁判で全員死罪になった。革命思想を立案した北一輝も死罪になった。そんな逆境の中、磯部は次のように嘆願した。

「陛下、愚臣たるこの私は手法を誤り、陛下の心象を読み違えてしまいました。しかし、陛下の歓心を買う方法は誤りましたが、愚臣の陛下を思う心には些かの揺らぎもありません。陛下より死を賜るという栄誉に授かれ、無上の境地にございます。どうか臣たちの革命論をお読みになり、アメリカという大国に対し、是非とも聖戦を挑んでください」

その思いが天皇の心を動かし、昭和天皇は彼らの思想に触れた。そして深く感銘し、磯部の心の師匠に当たる真崎大将には無罪判決を下した。

岡田啓介も隠れたことが第三新ニホンの新精神に背いたということになって退任させられた。昭和天皇は後任のひろった君に対して、軍部大臣現役武官制を復活させるよう厳命し、来るべき世界最終戦争に備えた。

 同時代のジャーナリストたちは二・二六事件を同じくチャップリンが標的とされた五・一五事件と比較し、2月に起きたこの事件を第二衝撃派と呼ぶようになった。そして軍部は事件の5年後、ハワイで第三衝撃派を引き起こし、彼らの願いを叶えた。昭和天皇はようやく磯部らを許し、死者たちに「パール・チルドレン」の称号を与えた。

関連項目[編集]