二子玉川

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二子玉川駅から転送)
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「女は普通に言えるだろうが、男にとってはタマ=アレだからな。恥ずかしい地名の典型例だ。」
二子玉川 について、両津勘吉
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二個玉皮(にこたまたま)とは、一応テンションだけは東京を保っている街の一つ。

概要[編集]

地名の由来はキンタマキンタマの皮から。(陰茎)を挟んで2個並ぶ「二子新地」(にこちんちん)と「二個玉皮」の両駅をキンタマに見立てている。そのため付近の住民はニコタマ(2個玉)と呼んでいるが、子宝祈願の意味合いもあるとされる。

皮を挟んだ向こう側の二子新地は以前は「二子新地前」という駅名だったが、「双子死んじまえ」と聞こえる事から付近の双子を持つファミリー層から苦情を受けて改称された事はあまりにも有名な話である。

それと同時に、二個玉皮というネーミングセンスはあの下品漫画のギャグセンスそのもので教育上宜しくない」とのPTAからの苦情があり、ニコタマ住人のアイデンティティを揺るがす地名抹消の危機となった。しかし、「キンタマは人だけでなく東急電鉄の繁栄にとっても大事な所であるので安易に抹消してはならない。」と東急市からの通達があったため無かった事にされた。ここでも東急市の政治的な手腕が発揮された。

住人はホモソーセージの歌を斉唱し、「いい日、はみ玉!!」とカニ玉をつまみに祝杯を上げたと言う。

ちなみにこの記事は、どんな手を使ってでも該当地域を高~く売りつけたい不動産ディベロッパーや、まんまと乗せられて移住してきた居住地域コンプレックス満々な一部のエセハイソ新住民達の苦りきった顔がうかんで痛快である。あのねぇアンタたち、一皮むけばこのあたりは玉電がのんびり田圃の中を走ってた所なのよ。

特徴[編集]

この地域では非常に双子が生まれやすい。またキンタマの皮もすごい。科学的な原因は現在調査中

上記の通り、地名の由来として二子新地と二個玉皮の間を流れる川を陰茎に見立てているのではないかとの説があるが、玉の皮が陰茎であるということは物理的に矛盾しているため仮説の域を出ない(田園都市線自体が陰茎を模しているとの説については金玉皮線の項を参照)。

ただし二子新地の南側には「下の毛」や「玉包み」という地名も確認されており、この周辺一帯は男性器をモチーフにした壮大な「ニコタマの地上絵」であると主張する学説もある。

二個玉皮炎発症の地。皮先病とは関係ない。

もしこれが事実ならば日本の考古学史を塗り替える大発見であるが、計画都市田園調布を作った過去がある東急市があえて計画的に地名を配置することにより第二の「ナス科の地上絵」を狙って捏造したという淫棒説もあり、二個玉皮再開発を進める東急市には疑いの目が掛けられている。

因みに玉皮の先っぽではいんきんたむしが生じており、その原因はニコタマの地上絵の呪いが引き起こした玉皮の尿道炎なのではないかと学者の注目を集めている。しかし尿道炎はいんきんたむしの原因に成り得ないため学者の頭を悩ませている。

この病気は近年「二個玉皮炎」と命名され、特に1985年3月31日まで二個玉皮駅近くには二個玉皮炎が存在していた[1]

気質[編集]

二個玉皮は田園調布成城と同様、東京の端っこにありながらハイソな感じを中途半端に出しつつもファミリー層もちゃっかり取り込もうというしたたかさを見せている。また高島屋(たかしやま)の存在感のあまり、「いっそ駅名を三越前みたいに高島屋前にしたら?」という意見もあるが、そこは東急にもプライドとかあるのでしばらくは変わらないだろう。

地理[編集]

玉皮を挟んですぐ金皮(かながわ)である。むしろ駅の魂は金皮にあり、そのカスが玉皮にこびりついた感じである。それでも大萎町線田園都市線にはなくてはならない駅でラッシュ時には各方面に迷惑をかけている。

瀬田・用賀方面には何やらコマザワンヌと呼ばれる人たちがいるらしいが詳しい事は知らない。民間伝承では駒沢公園にいるらしい。

都心が憧れる街[編集]

と言われることがあるが、嘘である。二個玉皮レジデンスと称し高い物件を売っているが、どう考えても六本木麻布には勝てない。これに対して東急では「表参道銀座には皮がないが、こっちにはある! 悔しかったら皮を引っぱってみろ!」と述べている。まるで、サイズ比べで漆黒の割礼チンポに負けた真性包茎くんの言い訳みたいだ。ちょっと、かわいそうでもある。

歓楽街としての歴史[編集]

ここまでさんざん下ネタを引っ張ってきたが、実際のところこの辺りは快楽園であった。世田谷側にはかつて気持ちイイせっけん屋がたくさんあった。同時期対岸の二個チンチンには待合茶屋というフランクフルトをアワビに突っ込むことが売りの店が十数軒ほどあったが、これは皮先でそういった娯楽施設が発達したのと同じ理由である。また、二個チンチンの「チンチン」は飛んだチンチンの「チンチン」と同じ意味であることからも、ここら一帯は天国へと繋がる花園だったことがお察しいただけるだろう。

関連項目[編集]

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