二葉亭四迷

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木瓜の花は頭に咲いて活人は漫画となる世の中独り文章而已は黴の生えた頓珍漢の仮名綴りたるに頬返しを附けかね又は脳足らずの物言いを尽して唾を散らし廻るは拙しこれはどうでも厚顔無恥の事だと思立ては矢も盾もなくITの風烏合の衆一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真っ暗文芸春秋さまと新潮先生を頼み奉りボロPCに安酒の勢いを借りてキーボード打つ空のきおいドシャ降りの雨の一しきりざらざらざっと書流せばアラ無情始末に負えぬ抜作めが空しき我の青春を思いがけなく閉じ籠めて黄白も分かぬのりたまのやみらみっちゃな記事が出来しぞやと我ながら肝を潰してこの書の巻端に序するものは

平成癸巳初春                             一杏犀黒頁庵

<以下、言文一致に基づく本文>

質屋からの帰り

二葉亭四迷(ふたばていしめい、本名:長谷川 辰之助 はせがわ たつのすけ、1864年-1909年)は、最近流行りのいわゆる「意識の高い若者」のはしりといえるかもしれない。武家の長男として生まれ、幼き頃より大志をいだき、世界を視野に入れ、当時の最高学府でロシア語を学んだ……と、伝記にはよく書いてある。確かに彼は外交官となって世界をまたにかけることを夢見ていた。武士の子が一生を賭けるにふさわしい仕事と信じていた。その意識の高さが、あだとなった。

一迷 ブンガクへの脱線[編集]

そもそも彼は外交官を志す前に、陸軍士官学校の試験に三度落ちている。近視が原因だったのは一度目の結果ですでに明白だったのに、その後二度も受けたのである。頑固な若者は、ありあまる情熱を外交官になるためのロシア語の勉強に全て注いだ。ロシア人の考え方を知りつくしてやろう、と意気込み、東京外国語学校でロシア文学を熱心に読んだ。そしていろいろ読んでいくうちに、文学が心底面白くなってきたのである。翻訳の仕事がしたい。自分でも書きたい。しかし、文学を志すなどロクでもないとも思う。悩んでいたその時、外国語学校が商業学校と合併する、という報せを聞いた。

将来の外交官が商人なんぞと一緒に勉強すると思うと耐えられなかったので、彼は学校をやめた。文学をやる気だったくせに、変なプライドは残っていたのだった。当時の校長が「優等生なのにもったいない。試験免除するから戻っていらっしゃい」と引き留めようとしたが、それも蹴った。そして当然ながら外交官へのコースも途絶えた。迷走だらけの人生のスタートである。

二迷 ゴクツブシか、大翻訳家か[編集]

退学後すぐに彼は創作の傍ら翻訳の仕事をはじめたが、さほど収入があるわけはなく、同居する両親の世話になっていた。一家を背負って立つべき息子がブンガクなどという何の見込みもないものにうつつを抜かし、いつまでも親のスネをかじって生きているのだ。両親がひどく落胆したのは言うまでもない。家庭の雰囲気は殺伐としており、二葉亭は常に肩身の狭い思いをしていた。あるとき虫歯になった彼は、数日痛みに耐え、いよいよ限界を感じて歯医者に行かせてくれるよう頼んだが、全く相手にされなかった。毎日のように母が父に「離婚したくても行くあてがない。どうしてくれる」と泣いて食ってかかるのを隣の書斎で聞きながら、二葉亭は「俺なんかさっさとくたばってしめえばいいのに」と心から思った。ペンネーム「ふたばていしめい」はこうして生まれた。…苦しいね。

そんな彼の心をつかの間慰めたのは、坪内逍遥との文学談義だった。坪内は彼を文学者として認め、多忙にもかかわらず彼が頻繁に訪問するのを許した。坪内を通じてツルゲーネフゴーゴリの口語訳を発表し、二葉亭はやがて新進気鋭の翻訳者とみなされるようになったが、家に帰ればただのゴクツブシとして親の冷たい視線に耐えねばならなかった。

三迷 うまく書けない[編集]

彼は、自分は小説が上手くないと思っていた。坪内逍遥から「翻訳より確実に原稿料が入るから」と小説執筆を勧められ、聞き慣れた講談や三遊亭園朝の落語の文体で書き流したのが『浮雲』だという。なるほどやたら調子が良く、「おそれ炒り豆はじけ豆ッ」などと書きとばしていて楽しい。しかし内容はと言うと、主人公の役人が突然クビになり、悩んだ末に下宿のババアに打ち明けたとたんに冷たくあしらわれるようになり、いい仲になりかけていたその娘ともうまくいかなくなり、あげく要領のいい元同僚の男を二人してチヤホヤし始める、という実体験に近すぎて痛々しいような代物であった。ここまでを第一篇として、坪内の序文を付けて発表した。好評だったが、彼自身は不満だった。 二葉亭は文学などほめられたものじゃないと思いつつも、一方で高邁な理想をいだいていた。「人々のありようを描くことを通じて世の真理を発見し、自らのみならず他の多くの人々の助けとなる」というのである。それがいざ書いてみれば戯作調の低俗な文の連なりで、何度書き直してもよくならず、半ばやけくそで発表してしまったのだった。坪内のような有名人のコネを利用したのは我ながら卑怯だった、とも後に書いている。初めから気に食わない出来だったのを、何とか第三篇まで書き継いだものの、ドストエフスキーゴンチャロフの真似をしているのにほとほと嫌気がさした、と言って途中で投げ出してしまう。こういった経緯を彼は創作ノートに書き遺したが、その名前が『落ち葉の掃き寄せ』つまりゴミ箱である。

長篇小説を一つと「ゴミ箱」を3冊書いてからは、二葉亭は創作をやめ、専ら翻訳のみを発表するようになった。官報局に職を得、下宿を出て結婚し、実生活の方を重視し始めたのだったが、やがて離婚、その後はロシア語教師になったり結婚したりで、大阪から東京朝日新聞に移り、明治39年『其面影』を連載しはじめる。ここまでの約20年間小説を書かなかったわけだが、やはり続かず、『其面影』は何とか書き切ったものの、次作『平凡』は好評だったにもかかわらず、また投げてしまった。エスペラントをやり始めて、「世界の人を相手にドシドシ書くのだ」とまるでインターネットに初めて触ったガキのようなことを言っているが、書いていない。その2年後、特派員として向かったペテルブルクで肺を病み、帰る途中にインド洋の中途半端な場所で死んでしまうのだが、「もう何も書きたくないし日本に帰りたくない」と言っていたらしいので、本望かもしれない。

四迷 愛犬の失踪[編集]

何事も長続きせずに死んだ二葉亭だが、翻訳と、ペットへのこよなき愛情は生涯続いた。

官報局に勤め始め、やっと生活が安定してきたかと思った矢先の明治26年、愛犬「マル」が行方不明となる。二葉亭の嘆き悲しんだことといったら30歳になろうという男とは思えぬほどで、内田百閒といい勝負だった。似た犬を見つけて追いかけてみては失望し、涙を浮かべつつ木枯らしに吹かれて帰る日々が続いた。そんなときに長男が誕生する。犬のことでくよくよしている場合ではなくなった。しかし、このころ彼が友人にあてて書いた手紙には、犬がいなくなった悲しみをさんざん書き散らし、マルの事は一生忘れられない、と書いた後になってやっと一言こうあるだけである。

然るに造化の配剤は誠に不可思議なるものにて、一犬を失ひたる代りに一男を得申候


犬と人間の子とを一緒くたにするとは素晴らしい父親ぶりを発揮したものであるが、それだけではすまなかった。

マルを失ったショックは創作にも大きく影響した。長男の誕生で周りが大騒ぎしている最中、彼は『ポチ』という小説を書き始め、やがてタイトルを『初恋』と改めている。異常である。犬への愛をあふれんばかりに込めたこの文章は、明治40年に自伝的小説『平凡』の中に組み込まれて発表される。そこで彼はじつに十章にわたり、犬との思い出をつづっている。一部をみてみよう。

私に取っては、ポチは犬だが……犬以上だ。犬以上で、一寸まあ、弟……でもない、弟以上だ。何と言ったものか? ……そうだ、命だ、第二の命だ。恥を言わねば理が聞こえぬというから、私は理を聞かせる為に敢て耻を言うが、ポチは全く私の第二の命であった。其癖初めを言えば、欲しくて貰った犬ではない、止むことを得ず……いや、矢張あれが天から授かったと云うのかも知れぬ。


ポチはやがて犬殺しにやられてしまうのだが、その最期の場面においては、いかにポチが無邪気で人を疑うことを知らず、そのようないたいけな子犬を殺すことがいかに非道かをくどいくらいに説く。その上で一旦物語を中断し、「ポチが死んだあとは皆犬殺しに見えた」と、怒りと悔しさを露わにしている。

こんな調子で人間をないがしろにして犬のことばかり考えているうちに家庭は破たん、夫婦は離婚した。皮肉にもツルゲーネフ『アーシャ』の訳を終えてからだった。小説のなかの17歳の少女の「死んでもいい」ほどの片恋は理解できても、妻にねぎらいの言葉一つくらいかけてやろうとはつゆほども考えなかったらしい。二葉亭はこれで反省するどころか、明治35年に再婚してからも家族とはろくに顔を合わさない上、隣の家で生まれた子犬をまたも「マル」と名付けて溺愛している。いいかげんにしろ。

二葉亭にならっての涎のごとく長々と書いてきたが、そろそろここでオチをつけねばならない。とはいえ彼の小説も人生もオチなしの尻切れトンボであるし、何も思いつかないし、なんだかもうめんどくさ

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二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。 (Portal:スタブ)


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本項は第21回執筆コンテストに出品されました。
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