井戸奉行

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

井戸奉行(いどぶぎょう)とは、戦国大名後北条氏による統治下においてのみ創設された役職。文字通り井戸の管理、監視を担当する。

[編集] 概要

まだ水道がそれほど発達していなかった中世の頃、井戸は生活用水を湧出する貴重な水源であった。井戸奉行は、貴重な水源である井戸を厳重に管理するために置かれた役職なのだろう…と思う人がいるかもしれないが、全然違う。井戸奉行が創設された真の理由は、井戸に人を落とす殺人を防ぐためであった。

16世紀中頃、相模、武蔵を中心とする関東一帯で、人を井戸に落として殺害するという殺人が横行した。このような殺害方法が頻発した原因は、河越夜戦にある。

北条氏康が扇谷・山内上杉両家、古河公方足利晴氏の連合軍に奇襲を浴びせて壊滅させた迅速で鮮やかな電撃作戦で知られるこの合戦、奇襲されて連合軍が算を乱して潰走する最中、井戸に転落して死んだ難波田憲重という武将がいた。

井戸に落っこちて死んだマヌケな武将の話は、たちまち関東中に波及、模倣犯、愉快犯による便乗殺人が相次いだ。また、底の深い井戸に落とせば殺せる蓋然性が極めて高いこと、遺体回収が困難であり追及を逃れることができることなどから、井戸に落として人を殺す事が意外と効率的であることが発覚すると、この殺害方法が横行、関東中の井戸から死体の臭いが立ち込める有様であった。

そんな状況を憂いだ北条氏康は1551年に創設した役職が井戸奉行である。氏康は領内のありとあらゆる井戸に24時間体制で奉行を配置して監視に当たらせた。また、井戸に落として人殺しをした殺人者に対しては通常の殺人よりも厳重な処罰を加え、井戸落としの抑止に尽力した。

この話は、やがて隣国の武田信玄の耳にも入ることになる。しかし、話が伝播する途中で尾鰭がついた。信玄の耳朶に触れるころには、氏康は井戸を経由して出入り可能な地下要塞を建造しており、井戸奉行はその出入り口を守る門番であると、あまりに飛躍した荒唐無稽な話になっていた。ところが信玄はこれを信じ込んでしまい、氏康の軍事力を侮れないものだと認識し、氏康と同盟を締結することを模索するようになって、武田、北条、今川の三国同盟へと繋がってゆく。甲駿相三国同盟は、井戸によって結ばれた同盟だったのだ。

なんとも無様な死を遂げた難波田だが、武田、今川、北条という、東日本の三大勢力に少なからず影響を及ぼせたので、あの世で鼻高々に己の事績を誇っているかもしれない。