京急逗子線

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京急逗子線(きょうきゅうずしせん)は、京浜急行電鉄湘南への侵略への第一歩として敷設した路線のことである。

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歴史[編集]

最初の頃は、湘南電気鉄道という弱小鉄道会社が運営していたが、後にKQが買収し、逗子~鎌倉を貫き江ノ島へと通す計画であった。しかし、既に江ノ電が12世紀頃から鎌倉藤沢間を江ノ島を経由するルートで運行しており、しかも計画ルート上では国鉄横須賀線を横切る形となっていたために致し方なく逗子で路線を終了することになってしまった。

しかし、そんなことでめげるKQではない。その後、国鉄と裏取引し東急車輛の工場への窓口に逗子線を三線軌条化して使わせること承諾し、その代わり資金と資材は国鉄持ち、敷設人員はKQ側から出すことが取り決められた。

なお、この協定は現在も守られており、多大な維持費をJR側から拠出して貰ってる。

幻に終わった葉山方面延伸[編集]

湘南方面の延伸は諦めたKQであったが、次に葉山横須賀市西部方面を通じて三崎口駅まで路線を延ばし、油壺城ヶ島に達する路線を計画し、運輸省から建設免許を得たのであった。 しかし、これに反発したのが国鉄だった。天皇皇后をはじめとする皇室ご一家の葉山御用邸の最寄り駅である国鉄逗子駅お召し列車を走らせている国鉄にとってみれば、KQの逗子線が葉山方面に延伸されれば、皇室御用邸に参られるのにKQを使用されるのは確実となる。したがって皇室からの莫大な収入はなくなり、営業面に影響が出るだけでなく、皇室御用達の交通機関であると自負していた国鉄プライドを著しく傷付けることになるのであった。

そこで国鉄は延伸ルート上にある住民たちを1人あたりうまい棒1年分、帝国ホテル宿泊券100万円分などで買収して、反対運動を起こさせ、更に東急グループの総帥・五島慶太にも伊豆方面への利権と引き換えにKQに圧力をかけるように要請した。この結果、KQ東急グループに吸収合併され、付近住民の反対運動が激化したこともあって、葉山方面への路線延伸は自然と立ち消えてしまったのである。

時代の波に翻弄され[編集]

戦後、東急グループから独立した京急本線久里浜線の沿線開発を重点的に推し進め、盲腸線に終わった逗子線はローカル線扱いになってしまった。地元在住の三文文士が書いた小説「太陽の季節」が逗子を舞台にしてさらに映画化され、「太陽族」の大ブームを呼んだことから、逗子線方面にも夏季を中心に特急を走らせるなどの便宜をはかったが、京急本社としてはアホでマヌケなプロ市民が仰山いる逗子、葉山方面よりもインフラが整って比較的従順な住民が多い本線久里浜線方面に資本を投下した方が経営効率がいいと判断し、昭和50年代には逗子線特急を廃止し、神奈川新町駅からの急行を走らせるだけのローカル線扱いに戻してしまった。だが、平成の世になり、経営陣が入れ替わると、横須賀久里浜方面では乗降客・収支ともにJR横須賀線を圧倒していたが、逗子の方では逆にJRに苦戦するという状態だったので、1998年羽田空港駅がリニューアルオープンして、京成電鉄との間に空港間連絡特急を走らせるのと並行して、逗子線の急行を廃止して、全部普通電車にする代わりに普通電車の半分は金沢文庫駅で快特に増結して、品川駅あるいは羽田空港駅マッハ3の速さで直行するというダイヤ改正を行った。その結果、依然JRに営業収支では劣っているものの、1997年以前に比べてその差は著しく縮まってきたのである。でも、また社長をはじめとする経営陣が変われば元の木阿弥に戻るのは確実であり、予断を許す状況ではない。

停車駅[編集]

現在は廃止済み
  • 逗子海岸駅
現在は廃止済み

関連項目[編集]


東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「京急逗子線」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)