人生を賭けた革命ごっこ

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人生を賭けた革命ごっこ(じんせいをかけたかくめいごっこ)とは、世の中を転覆しさえすれば全てが良くなるという、大変判り易過ぎる革命理論、別名お子ちゃま理論に則って行われる、全時代的な破壊行動である。 平たく言えば、団塊世代及び同世代が熱狂的に支持するの言動の総称であり、彼等が日本人ではなく中国人朝鮮人であるのが一目で判る

過去の実際の発言録[編集]

北京には蝿1匹も居ない」
大躍進政策 について、人生を賭けた革命ごっこ
日本でも文化大革命を行うべき」
文化大革命 について、同上
「中国は市民社会に成長中」
21世紀の中国 について、同上
「日本列島は日本民族だけの所有物ではない!」
人生を賭けた革命ごっこ について、鳩山由紀夫
鬼畜米帝から日本の解放まで後1歩、人民解放軍の野戦司令官として、皇帝陛下に忠勤を尽くす!!」
人生を賭けた革命ごっこ について、小沢一郎
「日本は伝統的に中国の影響下(=中華臣民)」
人生を賭けた革命ごっこ について、仙谷由人
日本中華の属国となる事で初めて幸福になれる」
人生を賭けた革命ごっこ について、丹羽宇一郎
民主主義とは、選挙での第1党に許される合法的独裁である」
人生を賭けた革命ごっこ について、菅直人

↑からの帰納[編集]

「全ては中華の為に、全てはソビエトの為に。人民独裁の極致たる「民主主義」・・・それは則ち「易姓革命」である!!」
人間社会 について、人生を賭けた革命ごっこ
「「民主主義」こそが、人類社会の最終点」
同上 について、同上

国際社会の反応[編集]

「流石、イッてる奴は言う事も違う!」
人生を賭けた革命ごっこ について、国際社会
「超大国なんて地位、面倒で要らねーや。「G2」って事で「大中華」に全てあげちゃえ、地球なんて「家畜真理教」で共同統治だ!」
人生を賭けた革命ごっこ について、バラク・オバマ

概要[編集]

1960年の日米安保条約締結に端を発した学生運動は当時の日本文化に大きな影響を与え、文学や音楽・ファッションといった流行・・・即ち金の流れに一大転換点を齎した。

詰りは、声のデカい人々に対して時代はスポットライトを浴びせ、得てして光が集まる処にカネも亦た集まるという話である。そしてカネが集まれば人も集まり物も集まる。権力が生まれる。高度経済成長という時代は、それまで傾斜生産方式で一極集中的に経済発展が為されてきた日本において国の管理下から離れた場所にも経済発展の芽が生まれたという時代になる。

それは則ち「管理されない権力」が生まれた時代でもある。それが50年後どうなったかは、ミナサンノソウゾウニオマカセスル

発端[編集]

学生運動云々については深く述べない。けれど、そんな学生運動が最終的に安田講堂、そしてあさま山荘で潰えた事については少し述べる。なぜなら、そこで発火し、時代に燃え広がった炎が、消える事なく燻り続けた結果、40年後の2009年から2011年に掛けて、反面教師として国際社会という天下に発信すべき、残酷卑劣で而も下品な2人の総理大臣と数十人の閣僚を生み出す事になる。そして2011年時点における政権運営である。

何が楽しいって、何処ぞの総理大臣が2人続けて辞任する際に、未来であれば正しい評価が為されると信じきっている処だったりする。なお、1969年1月に安田講堂で機動隊が学生運動を力で押さえ付けた後、似た様な話が幾らでも湧いて出てきている。人間は自らを認める人間を欲する。しかし、その3年後にあさま山荘で学生運動家によるテロが全国にぶち撒けられた結果、それが学生運動の評価として一瞬で定着した。そして更に更に、その直後、日本赤軍による凄惨なリンチ事件が表に出ると、最早どんな策を弄しても救い難いレベルで一般家庭と学生運動は乖離、その後大学生が日本の政治を語る様な時代が訪れる事は無かった。

然しその時代の機運に触れた人々、特に実際に学生運動に関与したか、若しくはシンパシーを感じた人々は、この時代を境に、権力に敗れた事による反権力闘争を極く極く軽い立場で行い始める。所謂判官贔屓の如きモノなれど、一世代丸ごとという歪みきった世代構造はその後、日本の未来に大きく関わっていく。

なお本文章の殆どが民主党が政権を取ってから2年と1ヶ月少々、東日本大震災が発生してから半年後に書かれた物である。その為、若しかしたら、今後途轍もない善政が行われ、尚且つ震災復興に関しても大きな動きが行われる可能性が無くはない、などと云うてみた処で可能性が1%未満であるなら、そんな笑い話に時間を割く必要はない。

笑い話ですら最早なくなっている。

併せて今更ではあるが、本記事では学生運動と民主党政治を結びつけて語る。民主党政治の最後をテロの頻発と、仲間内での凄惨な潰し合いであるかの如く語る。まさかそんな事は起きるわけないさ、といった具合に語る。

ははは

然し、である。2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙で、70年近くに亘って行われた革命ごっこへの終止符が遂に打たれた。打ったのは、平素から彼等が蛇蝎の如く忌み嫌っていた若者達である。これを認めたくない彼等は全国で「1票の格差」という名義で提訴という名のテロ活動を行い、時計の針を逆回しに固定しようとしている。

無駄な足掻きは止めて従容として死に就け

革命の位置づけ[編集]

当方はアンサイクロペディアである為、この記事の肝となる「革命とは」との問いに対し、明確な間違いを以て、壊滅的な引用を行い、過ちの只中へ笑いながら突き進む事にする。

そもそも革命と云う物は某かの対象を全否定する事で行われる、自らの存在や自分達の居場所に対する全肯定である。則ち、正義を全否定し、恰好良さは恰好悪さを全否定し、嫌煙運動家は喫煙者を、フェミニズムは男性上位を、といった具合に、明確な否定の材料を揃えさえすれば、人間は動く。只それだけの話であるとする。

なんて酷い決め付けだ。然し、では民主党の政権交代を語る際に、どんなイデオロギーがあったかといえば、明確に存在しないと答えられる現状では、単純に自民党の全否定という材料に時代が乗っかったという、只それだけの話に悩む必要は無い。

実際、この全否定と謂う奴は大変に便利な代物で、「鯨を食う」只それだけで人とその文化を愚弄する事は可能であり、それを旗印に献金を募れば、あっという間にン億円もの規模で金が集まり、尚且つテレビシリーズまで作られる。そういった点において、人間の理性と謂う物は大変に脆く、逆に否定される側にしてみれば堪ったものではない。けれども、そう云った堪ったものではない側の反論を、全く聞かない事で革命は成立する。

と謂う訳で単純化して「革命というものは『自分は正しい』という砂糖に群がるの本能の様な物である」として、その砂糖に群がるアリに関し民主党を題材にして語る。

ちなみに、2011年9月9日時点で3月11日の震災から半年を経過しようというのに、未だに復興の財源となる2011年度の第3次補正予算を成立させる臨時国会は開会されていない。革命ごっこの辿り着いた一幕である。

そして2011年9月10日、経済産業大臣が任命から9日にして舌禍で辞任。なお、2ヶ月前に同じ舌禍で辞任した防災担当大臣がいたりする処が最早何とも言えない。

人生を賭ける、とは[編集]

ついでに「人生を賭ける」についても適当に話す。

人間の一生を80年として、10代~20代の時に信じる事が出来た存在をその後70年追い求められたら、それは人生を賭けたといって相違ない。信仰とは、そういった人々によって現実に形成されている。しかし、これが政治の話になると、大変に小難しくなる。蓋し政治に関しては、その対象が人物だとしたら20年持つなんて事は滅多になく、政党だとしたら50%の確率で離合集散を繰り返している。尤もこれは日本だからこその話である訳だけれども。然し逆に政治に無関心を装った処で、本当に無関心であると痛い目を見る事も確かである。兎角此の世は難しい。

然れども、これが一度判官贔屓とも成ると一気に様相が変わる。強いモノへの嫉妬という感情は、実の処、幼少時から死ぬまで、揺り篭から墓場まで持ち続ける事が可能であり、ソラあ、何処ぞの神様に7つの大罪に分類されても可笑しくはない破壊力を持つ。何せ、人生70年掛けて強い存在へ反発するんだから、或る意味、青の洞門もビックリの気の長さである。

その結果として強いモノが敗北し弱者が勝利したとして、勝って兜の緒を絞めるなんて殊勝な弱者が居れば良いのだが、常識的に考えてそんな者が居る訳がない。それが出来たら弱者ではない。けれど、そういった人々が終戦以降に大量に誕生し、学生時代にそういった思想に思いっきり感化され、40年かけて充分な社会的地位を確立し、そして遂に自民党政権を倒した、やった、万歳、よかったね。

そしてそれから僅か2年で学生運動から40年間の判官贔屓を丸ごと全部ひっくるめて「革命ごっこ」と揶揄されるんだから、或る意味悲しい話でもある。けれど革命ごっこ処ではない、革命泥遊び革命家中泥だらけ革命家屋倒壊革命生命崩壊レベルで碌でもない話が続く以上、寧ロ「揶揄サレル程度デ良カツタネ」ト言イタク成ルワイナ。

為すべきこと、為さず[編集]

これからは具体的な話をする。

学生運動で盛り上がった反権力運動とは、則ち権力若しくは財力が一極集中される事により、成田闘争に代表されるように弱者若しくは声無き人々の意見が無視される事への反発が1つの発火点であった。その為、40年後に民主党が政権を獲得してから即座に行ったのは、そういった権力基盤への全否定。則ち各種公共事業に金が集まらぬ様に事業仕分けをし、無理矢理に各事業の予算を削ってまでの為に子供手当てを実施し、政府の権力と謂う物を十二分に弱める事にのみ動いたわけで。

その結果、2011年3月11日に起こった東日本大震災以降、一連の権力・人材・物資を一極に集中させ全力で復興せねばならぬ様な事態で、完璧な迄に失態を演ずる・・・訂正、2011年9月時点でも失態を演じ続けている事に。そう、日本を潰し滅する事こそが彼等の目的にして存在意義であり、この失政は彼等にとって「成功」以外の何物でもないのだ。


詰まる処、日本みたいに大規模災害が予想される国家において、国家の権力基盤、即ち人・物・金を集中させる力を弱める事が、如何に国民の首を絞めるか、クソ戯けた行いか、考え無しにも程がある、という事が泣きたい位に見事に実証された。併せて3月11日以降、日本では2つの激甚災害が発生しており、平成23年7月新潟・福島豪雨及び平成23年台風第12号では、共に率先して国が動くべき規模の甚大な被害が発生している。

率先もクソも、丸で動いてないが。何一つ具体的な指針が示されてないが。

結局、権力という名の手足をもいで「自分が強くなった」と叫んだ直後、100mを全力で走らねばならぬ事態に遭遇した。なお日本の歴史を考えてみれば充分過ぎる程に予想できた話である。その癖に決して反省せずに強い事こそが悪だと未だに信じている。

まぁ、何だって好いけど。せめて大規模災害対策時ぐらい中央集権しとこうね、次が若し在ったら。

毛語録 読んで叫ぼう ナンセンス![編集]

学生運動華やかなりし頃、大変に能く見られた光景の一つに、自分達の理想と外れる学問やら結論に対して、只一言「ナンセンス」(無意味)とのレッテルを貼り付ける事で、それを時代遅れだの流行に乗れない連中だのと、差別、蔑視する光景が様々な場所で大変に能く見られた。因みにそんな光景は1980年代まで続く。しかし、こういった一つの儀式と化したレッテル貼りは、何時の間にか、意味が分からぬもの=ナンセンスという、叫べば叫ぶほど自分の無知を大声で晒け出すという状況にまで劣化し、最終的にナンセンスという言葉自体、消えていく。

そもそもナンセンスという言葉が流行し始めた頃、逆にセンスが有りまくり、時代の最先端、偉大なる社会実験とされたのが「毛沢東文化大革命という段階で、最早ブラックジョーク以外の何物でもない。まぁコイツ等は今でも狂信してるが・・・マァなんてすばらしいせんすのもちぬしなんでしようね。因みに本場中国で毛首席語録(正式名称)が出版された直後に、訳者不明ながら日本でも出版され、翌年には正式に大手出版社2社で文庫本として販売されている。また、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルス、さらにはレーニンスターリンといった対象がマジメに語られ、金日成フィデル・カストロチェ・ゲバラと何でも御座れ、ポル・ポトの支配するカンボジアですら素晴らしい国扱いされる時代だった訳だから、ソラ、日本共産党赤旗日本社会党マスゴミも皆儲かるワ、という話になる。

粗ッ方1991年ソ連の崩壊でパーに成った訳だけれどね。

で見事に夢が破れ、各国が隠していた現実若しくはそれまでヨタ話とされていた真実が世界中にブチ撒けられた訳だけれどね。で、そういった対象を敬慕し続けた人最終的にどうなったかについては、特に気にしない。そういう時代だった。目に視えぬ、現実では語れない程度の話に夢中に成っていた時代だった。仕方ないよね。はつはつは。

はっはっは

その為か、Wikipediaで「ナンセンス」を検索しても、ナンセンス文学に飛ばされたりもする。まぁ、アレだ。毛沢東が発明した言葉の中で、最大級に使用されている「反面教師」の正に実例と言える。因みに、同じくWikipediaにおける反面教師の記事では、似た様な言葉として「人の振り見て我が振り直せ」を例示している。

心底身に沁みる。

尤も、そんな社会実験のレベルで話が済むなら、世の中苦労しない。何が堪らないって、その時代、最先端とされた経済がマルクスの資本論だった事は事実である。認めたくは無いが事実である。そして、そんなレベルで時代から取り残された知識、グローバリゼーションとか言う以前に、為替どころか自分達の民族に関する知識すら殆ど持たぬ連中が、何処をどう間違って政権を担った結果どうなったかについては、2013年以降にこの記事を読む人々に対しては、想像にお任せするとしか言いようがない。

それ以前にこの文章を読む人は、見ての通りと言う他ない。

因みに、そんな時代背景の中、1968年にノーベル財団が新しいノーベル賞としてノーベル経済学賞を設けていたりもする。ウィキペディアにおける各国の受賞者を見ると、とりあえず、マルクスのマの字すらない。当然だ。在って堪るか。序でに、社会主義国家出身の受賞者は僅か3人。その内の2人はアメリカの大学で経済学の博士号を取得。受賞者の国籍は厭に成る程アメリカだらけ。ソラそうだ。常に変化し続ける経済について最先端の場所で最先端の学問を形成しないと生きていけない世界なんだから。そんな中で、世界が経済学に注視し始めた時代に、わざっわざ80年も前の古文書を最先端の学問として勉強した世代が、2011年現在、指導者にごちゃまんといる国があるわけで。まぁ、詰まり、何だ。

目も当てられぬとはこの事だ

楽しい話[編集]

2012年3月1日、この記事に関する恐るべき現実が明らかになる。なんと、GoogleYahooほかInfoseekに至ってすら、この記事名で検索かけても検索結果に表示されないという、実に判り易いというか何というか、世の中には自分に対する否定的な評価を見たくない、晒したくない人が大勢いる事が明らかになる。尤も、exciteでは確りとヒットした為、何ら問題はない。併せて、この記事はヒットせずとも、「カテゴリ:革命」や「カテゴリ:民主党」でヒットしまくる為、特に問題は無い。

なお、この記事が書かれてから半年が経過しており、2012年2月末には、菅直人前総理大臣による致命的な震災発生時の対応の不味さが白日の下に晒されている。喫緊の大問題について総理大臣が原発の構造について担当者からメモを取りながら自分で判断するて、あーた。

アホ!


そうだよな、アホバカだよな。つーか、それじゃ足りんな・・・気違いドブネズミも好い処だよ。でなかったら、あんな醜態晒す訳ないよな。併せて、大丈夫。どうせもっと酷い話が出てくる事は想定済みだから。

関連項目[編集]