伊達政宗
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
伊達 政宗(だていたち まさむね、永禄10年8月3日(1567年9月5日) - 寛永13年5月24日(1636年6月27日))は、戦国時代のサムライ、俳優、大道芸人、893大名、東北楽天ゴールデンイーグルスの真のオーナーである。
戦国時代は中二病患者や気違いが多かったことでも有名だが、彼はその中でも重度の中二病であった。しかし窮地に立たされたりいざと言う時になると空気の読める人に変貌する処世術に長けた男であった。そのため乱世を無事生き残り、江戸時代には仙台藩の初代藩主となった。隻眼のサムライとしても有名であり「独眼竜」などと言うオサレな異名を持つ。
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[編集] 生涯
[編集] 幼少期~梵天丸もかくありたい
奥州有数の893大名伊達組の当主、伊達輝宗の長男として生まれる。幼名梵天丸。幼少の時ホトトギスに右目をもぎ取られた。ホトトギスを殺して右目を奪い返した政宗だが、どう頑張っても右目をはめ戻すことは出来なかった。やがて「この右目を食べればそのうち生えてくるはずだ」と思った政宗は右目を食べてしまったが当然右目は戻らなかった。セカイ系愛好家な父 伊達輝宗の影響もあって幼い頃から中二病であったらしく、野原しんのすけが公共の電波の前でケツを露出したと言う話やミラーマンや田代まさしの武勇伝、モノウル・テレ・ベルジャネゾが「もう革命起こすってレベルじゃねぇぞ!」と言ってひよこ陛下に反旗を翻したなどの話を聞いた時、「梵天丸もかくありたい」と言って周囲を感動させた。どうやら彼の周りにはイエスマンしかいなかったらしい。
そんな政宗に空気の読み方を教えたのが伊達三傑の一人、守役であり幼馴染の片倉小十郎こと片倉景綱である。この二人の主従愛は後世にも美談として語り継がれ同人誌などが出版され、この二人のあれを妄想して精神的に満たされた腐女子は1万を越えたという。しかも政宗の場合、若い頃からそっちの道に励んでいたという証拠となる武田信玄に匹敵するやらないかな恋文が残っていて、弁解の仕様がない。そのためかなかなか嫡男が産まれず愛姫との関係がギスギスしたりしちゃって、もう。
彼が中二病になってしまった原因として、母でありキツネっ娘スパルタ女王である義姫から「テヘッ♪塩と間違えてトリカブト入れちゃった。キャハ♪」と毒を盛られたりしばかれたことなどが挙げられる。彼の母親は出羽に領土を持つアキバ系変態紳士893最上組の首領・最上義光の妹であり、兄に萌えられ過ぎて困るほどヤンデレだった。彼女は片目の政宗を立派な魔王にするため、小田原に出兵する直前の彼に「おやつは300円まで、腹が減ったら盗めばいいじゃない」と犯罪を推奨したり、カルピスやアミノサプリと言う得体の知れない飲み物を飲ませてスパルタ教育を施したという。政宗も母のヤンデレっぷりに実は萌えていたのだが、家臣たちは理解できなかった。
[編集] 青年期~人取橋
政宗が17、18歳となり青春真っ盛りを感じていた頃に父・輝宗は非業の死を遂げた。事の発端は政宗が近隣の小893「二本松組」を屈服させたことだった。二本松組組長二本松義継は降伏して許しを乞うたが政宗は「許して欲しければkiss my ass!」と意味は分からないが覚えたての英語を使ってカッコつけて脅した。イカされるか殺されるか、どちらにしても無事では済まないと思った義継はまず人の良さそうな輝宗に頼み込み、隙を衝いて刃物のようなものを突き付けて輝宗を拉致して逃走した。
二本松勢はそのまま人取橋の辺りまで三歩進んで二歩下がりながら逃走したため案の定政宗の軍勢に追いつかれた。二本松義継の誤算である。父親を人質に取れば、政宗も妥協するだろうと考えていた。だが政宗は、人質輝宗を抱えた義継を前に、鉄砲隊に命令。「撃て」後に片倉小十郎は『輝宗が「政宗ワシを撃て!田代神やミラーマンのような英雄になるのではなかったのか!三沢さんだけはガチだからワシを撃て!」と叫んだ為、政宗は心を鬼にして一斉射撃を命じた。政宗は泣く泣く鉄砲を撃ったのです』説明している。当然、輝宗が撃てと命じたのは政宗の妄想ではなかったか、そして三沢さんも実は八百長をしていたのではなかったかという反論もあった。しかしその時の政宗は輝宗が自分を撃てと命令したと思い込んでおり、まさに自分が悲劇のヒーローであるかのような妄想にふけっていた。一歩間違えれば猟奇殺人者にでもなってたんじゃないだろうか。
感傷に浸る間もなく南方から蘆名組を乗っ取って大勢力になった坂東太郎こと佐竹義重ら南奥羽、北関東の893連合が攻め込んできた。人取橋の合戦である。伊達軍は数に圧倒されもはやこれまでかと思われたが、伊達三傑の一人鬼庭綱元が「水戸城にタイムパトロールが検閲の為突入した」と言う虚言を2ちゃんねるを通してばら撒いた。この知略は見事成功し、総大将佐竹義重らは「タイムパトロールって言葉の意味は分からんが危険なにおいがプンプンするぜーっ!」と撤退せざるを得なくなった。政宗は九死に一生を得た。
政宗は弱体化した大崎氏を攻めるべく出兵。しかし、大崎氏出身の妻がいる伯父・最上義光が「生意気な甥をシメてやる!」と出兵してきた。政宗も負けじと応戦したが、義光の包囲網はほぼパーフェクトでさすがの政宗もかなり危険な状態であった。これを「大崎合戦」という。しかし義光にはある致命的な弱点があった。息子の危機を察した義光の妹・義姫が戦場に乗り込み「そんなことするお兄ちゃんなんか大嫌い!」とツンツンしたところ、義光は泣いて平謝りするしかなくなった。義光は妻から「私と妹どっちが大事なの!」と罵られ、家臣団や諸大名から「このシスコンめ……」と軽蔑され、もうどうしようもなかった。こうして優しいママと詰めが甘い伯父のおかげで助かった政宗だが、これも自分の力だと信じ込んでますますつけあがった。本当にどうしようもない。
[編集] 空気が読めずに太閤の逆鱗に触れそうになる
その後、政宗はまとまりの取れない蘆名組のボンボンの蘆名義広(芦名義勝とも)を擦上原で討ち破り、義広は実父である佐竹ファンドのボス佐竹義重にすがりつき「父上~政宗がいじめるよ。」と訴えた。他にも秀吉工作に夢中で警戒を緩めていた敵や、子供が当主で弱体化した大名をチマチマといじめ、伊達組は奥羽有数の893となった。ちなみに奥州王を名乗っている政宗だが、どう見ても奥州統一などしていません、ありがとうございました。
政宗は天下取りの為関東の北条氏政と手を組んだ。しかし佐竹義重のチクリもあり豊臣秀吉のまいた警報ブザーに引っかかってしまい、政宗は氏政もろとも秀吉の駆除対象となってしまった。しかし当の政宗は「秀吉なんて所詮貧農出身のサルだろうよ!! 名門藤原氏の嫡流である独眼竜の俺に勝てるわけがねえ!」と浮かれていた。中二病患者の悪いクセである。政宗は連戦連勝に奢ってすっかり空気の読めない人になっていた。浮かれている間にも秀吉は小田原城攻めを決行、小田原城はあっという間に完全包囲された。政宗は一転して顔面蒼白になり、そんな彼を励まそうと義姫は手料理をふるまったがその劇的な作用で政宗は「ゴシカァン」「クシカツ」と擬音語を出し始めさらに発狂、弟を斬殺した。なんとか家臣が政宗の暴走を止めたが、劇薬を作った義姫は山形城の兄・義光のもとへ帰っていった。
やっとこさ小田原に辿り着いた政宗だが、秀吉は「あ?! 今更何のこのこ来てんだ、この小僧が。貴様なんぞ温泉で溺死すればいいのに」と逆鱗に触れ、処刑寸前だったが徳川家康と古田織部の嘆願でなんとか助命され危機を乗り越えた。しかし、このように追い詰められた状況になったからこそ、一皮むけた政宗は空気の読めない中二病患者から一転して空気の読める芸人になったのである。彼は死装束を着て小田原攻めをしている秀吉の前に現れるという身体を張った電撃ネットワークもビックリの芝居をかました。この己の命をかけた芸が秀吉のツボにハマったのか政宗は命を助けられたばかりか本領まで安堵された。ただし火事場泥棒行為で奪い取った蘆名組の領土とエロ画像数枚は没収されることとなり、没収された会津領は蒲生氏郷と木村吉清に与えられ、残りの土地は日光の猿達が温泉を掘って観光地にした。
[編集] 関ヶ原
関ヶ原の戦いでは家康側東軍にすり寄ることにした。東軍の方が有利そうだった上西軍の変態陰陽師直江兼続と肩を並べるなどと想像しただけで鳥肌が立ってしまったからである。徳川家康の方は「この戦いに勝ったらお前の領地を100万石にしてやる、ついでにお前のアナルも100万石にしてやる」と約束状を政宗に送っていた。無論性的な意味で。
そんなこんなしている間に西軍の上杉が最上の山形城へ突撃してきた。片倉小十郎こと片倉景綱は「上杉と最上が戦って共倒れになった後で攻撃すれば?」、伊達成実は「ただポテトチップス食いながら高みの見物してると太る、それにあの変態陰陽師の首を撥ねる絶好のチャンス」とそれぞれ政宗にアドバイスをした。政宗としては山形城にいる実の母・義姫の身が心配だが、反面あのキツネ顔の伯父の手助けなんかしたくないという思いもあり、複雑な気分であった。政宗が援軍を出す、出さないを花びら千切りながら決めかねている間に関ヶ原の戦いは予想外に早く終了、上杉軍は帰ってしまった。蚊帳の外に放り出された政宗はブチ切れて独眼竜ビームを乱射。しかし陰陽師兼続を仕留める事はできず、腹いせに味方の南部利直の領土に独眼竜ビームを乱射した。さらに「変態陰陽師を取り逃がしたのは最上のキツネオヤジが弱いからだ!」と責任転嫁。政宗はまたしても中二病に感染していた。
戦後、政宗は「100万石ゲットだぜ」と期待ワクワクで家康と会ったが、家康は「100万石?あれはジョーク」とごまかした。政宗は「いくら徳川殿と言えど約束を破るとは許さん!」と再度成歩堂龍一を雇って第二次戦国逆転裁判を起こした。しかしこの裁判で政宗は徳川側の検事狩魔豪、狩魔冥の親子から南部の領土に八つ当たり独眼竜ビームを食らわせた罪と、最上を見ながら花をちぎっていたことを糾弾された。そしてヘタレの成歩堂君は狩魔親子にしごかれてトンズラしてしまい、結局おあいこと言う事で100万石のお墨付きは無しになってしまった。政宗はこの事を非常に恨んでおり、「100万石プレゼント」の約束状は怨念と共に保管される。約束状は400年を過ぎた今も仙台市博物館に展示されていて、宮城県民はこれを見ながら「本当は福島も岩手も俺たちの領地のはず」と恨んでいる。
なお、政宗は役立つどころか汚名挽回してしまったヘタレの成歩堂にケツ叩き1000回の刑罰を食らわせたが、ケツ叩きをしている現場を妻の愛姫に目撃されてしまい、その大人げない行為をとがめられて逆に政宗が愛姫にケツ叩き1000回されてしまった。政宗の大人気なさと愛姫の怖さに全米が泣いたと言う。
[編集] 大阪の陣~晩年
関ヶ原の後、政宗は徳川家康の六男松平忠輝に娘の五郎八姫を嫁がせた。「タヌキ親父の血統に独眼竜の血が混ざれば最高のサラブレッドが出来る」と調子に乗っていた政宗だが後に忠輝は兄の秀忠に嫌われ追放された。また天下取りの野望を捨て切れない政宗は支倉常長をスペイン・ローマに派遣した。後に支倉常長はスペインで闘牛を学び闘牛士となって帰ってきた。仙台で牛タンが名物になったのは、闘牛で牛がたくさん死んだからである。しかし幕府から「農耕に使う貴重な牛さんを、遊びに使うなぞもってのほか」と睨まれたため、政宗は常長をシカトした。
大阪の陣では徳川軍として参戦。後藤又兵衛を倒し、調子にのった政宗は真田幸村・毛利勝永隊が自軍の十分の一程度しかいないのに目を付け、すかさず襲いかかった。しかし逆にフルボッコにされ、政宗はまたしても「中二病」の発作が出る。その時、味方の神保相茂が目の前にいた。政宗は、味方を前にして鉄砲隊に命令。「撃て」。一斉射撃をされた神保隊は全滅した。政宗は「むしゃくしゃして撃った。前にいたから単純に邪魔だった。まさかこんなことになるとは思わなかった。」と言う柳沢敦もビックリの釈明をした。政宗は島津忠恒らから非難を浴びたが「味方を撃ち殺すことより独眼竜の目の前に立ち塞がる方が罪が重い」と一蹴している。しかしこんなふてぶてしい態度を取れたのは単に撃ち殺した神保が単なる無名の旗本だったからである。
最晩年は徳川家光に取り入り、「将軍様に逆らう奴はオレが皆殺しだ!」等バレバレなご機嫌取りと処世術によって「自称天下の副将軍」となり、徳川政権の荒波を泳ぎきった。またグルメに目覚め、自分で料理を作るほどいれこんだが、ここでも「中二病」が出て「食の千年帝国を目指す」と発言し、伊達成実に怒られたりしている。そして、本人もまさか畳の上で死ねるとは思わなかったそうだが、あれだけ暴れたわりには地味な大往生を遂げるのだった。
[編集] 人物・逸話
- 自称留学経験済みのイスパニア帰りであるのに、イスパーニャ語とEngrishを誤認してなぜかメリケン語が堪能だった。おそらくイエズス会系のNOVAに駅前留学していた時に宣教師にダマされたと思われる。(なお、当時まだメリケンは未開拓の土地だった)
- 伊達家では馬に派手な装飾を施すのが義務化され、伊達家の軍馬は改造軍馬と呼ばれた。
- 常に天下取りの野望を捨ててはおらず「俺は数や力に流されて頭下げるような飼い犬どもとは違う」と公言していた。しかし晩年の彼はどう見ても徳川の飼い犬です、本当にありがとうございました。
- 秘蔵の恥ずかしいポエムを日本中にバラされたことがある。
- 料理の腕も一流であり料理の鉄人に出演した事がある。
- 只野姉弟(勝、作十郎)と姉弟丼アーン♥♥していた。
- googleの翻訳で海外サイトを翻訳すると「日付masamune」になる。
- DQNエピソードの多さから戦国時代のDQN四天王、「北の政宗」という有り難くない称号を与えられる事となった。
[編集] 実は独眼竜ではなかった?
独眼竜として名高い政宗だが、実は独眼竜ではなかったのではないか、との説もある。最初にこの説を述べたのは株式会社カプコンである。同社が製作したゲーム戦国BASARA2において伊達政宗は主役格の一人で、彼は「独眼竜は伊達じゃねえ」と度々口にしている。更に1=2の法則にのっとれば、伊達政宗の両目は見えていたという事になる。政宗は中二病患者ゆえ眼帯を付けて隻眼のふりをしていたのであろう。これに対しては「政宗が2つとも見えているなら、小十郎には4つ目がなければいけなくなり、これは因果律に反していてありえない」との反論もある。
伊達政宗は眼帯をせざるをえなかったという説もある。これによると、伊達政宗の右目は開いている状態だと常にそこからビームのようなものが永続的に発射され、これを制御する為に眼帯が必要なのだと言われている。事実、後世に発見された資料の中に政宗が眼帯からビームのようなものを発射している絵がある。また、アメリカには実際に目から常にビームが発射されており、それを制御する為に特殊なゴーグルを付けているスコット・サマーズというミュータントがいる。ミュータントはその特異な能力ゆえしばし迫害や差別の対象になりやすく、もしこの説が正しければ政宗が母親に忌み嫌われた理由もおのずと明らかになる。
[編集] 関連項目
| この項目「伊達政宗」は、執筆者が無い知恵を振り絞って必死かつ適当にやっつけ仕事で書きましたが、大滝秀治から「つまらん!この項目はつまらん!」と駄目押しされてしまいました。もっとキンチョールで蚊を退治してくれる協力者を求めています。 (Portal:スタブ) |