佐久市

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「佐久市」の項目を執筆しています。
Wikitravel.png
放浪癖に取り憑かれた人のために、ウィキトラベルのトラベルライター気取りたちが「佐久市」の項目を執筆しています。

佐久市佐久県(旧長野県東部の千曲川流域)の中心で、新幹線高速道路の力でにわかに発展を遂げていい気になっている都市である。

地理[編集]

新幹線の駅名にも採用された佐久平と呼ばれる盆地を占める。北に小諸市があるが、JR第三セクター化に伴う碓氷峠封鎖によって袋小路と化している小諸市にかつての勢いはもはや無く、豊浦町から小幌駅との姉妹駅を打診されるほどであった。長野県各地が分割・独立した際にも一応「小諸県」を推進しようとしたが、発展の勢いだけは上田市をも上回る佐久市を止めることはできなかった。

市域中央北部の佐久平駅周辺に飲食店やショッピングモールが立ち並ぶさまはさながら不夜城(夜10時頃まで)のようでもあり、一部でサクベガスと呼ばれている。本家ラスベガスと違いカジノは無いが、車で15分程度のエリア内(小諸市含む)にパチンコパチスロ屋が無数に立ち並んでいるため一応賭け事に興じることはできる。

このサクベガスの集客力は凄まじく、上田市からも人を呼び寄せているという噂がある。今はまだ10万人そこそこの街であるが、もう半世紀もすれば名実共に佐久県最大の都市に成長するだろうと言われている。

日本で一番海から遠い[編集]

南部の旧臼田町に日本で一番海から遠い地点が存在する。海から遠いことをアピールするなど海に憧れる長野人からすれば自虐以外の何者でも無かったが、これは日本で一番津波から遠い地点を意味することもあり、日本列島沿岸部住民に対するIターンに繋げるべしという声も一部に存在すると言われているらしい。中央構造線は通過しているものの活断層も少なく、この災害に強いという立地的特性を活かして首都移転の候補地として検討が始まっているとされる。

文化[編集]

某掲示板などでは永く佐久土人を僭称していたが、新幹線開業と高速道路開通によって関東地方への通勤の道が開かれると文明人の流入が相次ぎ、表面上は文明化された人々が大半を占めているように見える。しかし注意深く観察するとわかることであるが、地面と建物の床との区別が付かず、ショッピングモールの床に唾を吐き捨てる壮年の土人(オス)などが今も確認されることがある。

急激な都市化に対する反発も一部では存在し、前の支配者であった三浦王朝時代に計画されていた文化会館建設は現・柳田市長の為政下における住民投票によって中止が決定された。

住民[編集]

老害が非常に多く、民度が低いことで有名である。特に、岩村田、野沢、中込は、日本三大老害天国と呼ばれるほど老害人口が多い。塩川という老害が、万病のもとである。

食文化[編集]

誰が言い出したのか安養寺というお寺で受け継がれてきた味噌が名物であるとする活動が近年活発になっており、主に味噌ラーメンの形で供されている。長年名産品とされてきた佐久が可哀想であるが、もともと市民はそれほど食べていなかったので仕方ないのかもしれない。いっそ鯉を安養寺味噌で煮てはどうだろうか。また、味噌や鯉といったトラディショナルな名産品がある一方で、ケーキの街も自称している。欲張りな話である。

屋外装飾[編集]

スノーマシン市場を牛耳る樫山財閥が冬場のイルミネーションに異常なまで力を注いでいる。近年のクリスマスツリー十数本が立ち並び、白雪姫らしきオブジェや雪だるまトナカイなどがずらりと並ぶ様は圧巻で、厳冬期にあっても見物客数千人によって沿道は埋め尽くされる。サクベガスを過ぎて暗い郊外の道路沿いに突如現れる光のオアシスは嫌がおうにもドライバーの注意を惹き、国道の一部でイルミネーション渋滞を引き起こすなどの影響が出ている。毎年のイルミネーション費用を捻出するため財閥で雇用していた外国人労働者を一斉解雇したという噂があるが、これに対してはイルミネーションのLED化、消費電力表示盤の設置によって費用の低さをアピールするなど、更なる設備投資によって噂の打ち消しに躍起になっている。

政治[編集]

2009年までの20年に渡る王朝を支配した三浦大介は、自らの施政を後年に遺すため建設業に力を注いだ。建設業に従事する者らを讃え、彼らのために尽力した。市民規模の利用には広く、コンサート等を開催するには狭い勤労者福祉センターなどにその偉容の名残を感じ取ることができる。中でも文化会館の建設には並々ならぬ力を注ぎ、10万人の市民から50万人分の建設賛同署名を集めるなど、その実現に心を砕いた。

後に政権を継いだ柳田一族のプリンス柳田清二の時代に文化会館建設は中止された。50万の市民がどこに消えたのかは今も佐久市の歴史上最大の謎とされている。

交通[編集]

鉄道はJRの長野行き新幹線と小海線がある。両路線は佐久平駅で接続しているが、小海線は1時間に1本しか通っていないので接続は良くない。また小海線の中込駅以南は地元部族が昔ながらのレタス栽培や酪農を営む半未開の地となっており、大変に田舎であるため情勢によってしばしば運休する。

高速道路は上信越自動車道と中部横断自動車道が佐久小諸ジャンクションで接続している。ジャンクションは小諸市内にあるが、あくまでも「佐久小諸」ジャンクションであることからも佐久の発展と小諸の凋落ぶりが見て取れる。

このほか国道141号線と254号線が通過している。

新幹線駅名戦争[編集]

新幹線開業前、特急で潤っていた小諸が新幹線の駅名について難癖をつけたことが原因となる戦争が勃発した。新幹線を「騒音がうるさい」として佐久に追いやった小諸が駅名を「小諸駅」にするよう迫ったが、佐久は「佐久駅」にすると譲らず戦線は膠着した。「小諸佐久駅」にしろ「佐久小諸駅」ならいいと応戦があったものの、最終的には調停によって「佐久平駅」とすることで停戦を迎えた。佐久の戦略的勝利であり、その影響は小諸市内にある高速道路のジャンクション名が「佐久小諸」に決まるなど多岐に渡る。新幹線の開業によって小諸を通過していたJR信越本線は第三セクター「しなの鉄道」になり、難関の碓氷峠は封鎖され小諸は寂れ凋落の一途を辿っている。

関連項目[編集]