佐藤琢磨

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佐藤琢磨(さとう たくま)はF1で使われている日本製のミサイルである。ホンダ看板も務めている。hydeほどではないが背が低く「タクマはミサイル向きのデザインをしている」と言われている。(約1.051252hyde)

目次

[編集] F1以前

最初、彼のマシンは自転車であった。チャリ小僧である。だが大学生のときに自動車レースに転向するという、常識的には頭の悪い暴挙に出て、しかも本当にF1ドライバーになってしまうという奇跡を経験した。

[編集] 性能

初期の佐藤琢磨は性能が悪く、着弾前に自爆してしまうこともしばしばだったが、それでも数台のマシンを撃墜している。しかしながら、彼を使用していたジョーダンは維持費の高い彼を扱いきれなくなり、ホンダPL法に従って彼を回収せざるを得なくなった。

ホンダはしかたなく彼に自社マシンを与え、さらなる撃墜を期待してジェンソン・バトンに装備した。それにしても、この時期のB.A.R.ホンダは二人ともイケメンである。なにもくしゃおじさんに交換することは無かったのに。

ここで佐藤琢磨はその性能を遺憾なく発揮する。当時最強を誇ったフェラーリに狙いを定めて発射され、最強の番犬は仕留め損ねるも、後のレースで皇帝をみごと撃墜。多くのF1ドライバーを恐怖で震え上がらせた。

[編集] バージョンアップ

ホンダはこの性能に大満足だったが、同盟国であるB.A.R.は過激すぎる特性に少々不満だった。このため、同盟の期限が切れる2005年末に佐藤琢磨の廃棄を決定。一方ホンダも反省し、バージョンアップでマイルドな味付けにした後、鈴木亜久里に小遣いと車をやって代わりに彼の引き取りを要求した。鈴木亜久里はオマケでついてくる超水が欲しくて引き取りを承諾する。

バージョンアップ後の彼は、ミサイルとしての経歴を生かした「寸止めカミカゼ・アタック」を得意技とするようになる。接触するかしないかギリギリのところに飛び込まれた新人ドライバーは、パニックに陥って道を譲ってしまうのである。また、寸止め青旗無視、寸止め後方妨害など、規則違反寸前のギリギリの荒技を繰り出すようになる。むしろ井出有治のほうが素晴らしいミサイルっぷりを発揮したくらいである。いやぁ、サンマリノは見事だった。今のF1マシンがあそこまで飛ぶとは思わなかった。というか今の日本人ドライバーはこんなんばっか?

それはさておき。色々言われる彼であるが、3位表彰台の経験やコンストラクターズ2位のマシンの経験があるミサイルだけあって、少なくとも最後尾争いをしている新人ドライバーよりは上手い。というか歳も歳だしね。遅いマシンでの必死の戦いの中にもどこか余裕を感じる。そんな状況でケツっぺたで暴れ回っている彼は、むしろ微笑ましい状態であった。

[編集] 2007年

スーパーアグリF1に移ってからの佐藤琢磨の奮闘ぶりは、判官贔屓の日本人には大人気であった。

そこに目をつけたホンダは、今ひとつぱっとしないバトン、落ち目が見え始めていたバリチェロに見切りをつけ、スーパーアグリへの支援に本腰を入れることにした。スーパーアグリのエンジンはもともとホンダ製であったが、新開発のシャシーもホンダチームでなくスーパーアグリに使用させ、佐藤琢磨の人気をさらに煽り立てたのである。

チームメイトはホンダが強引に薦めたデビッド・アンダーソンでF3時代ではチームメイトとなったことがある。だがテストドライバー向けに作られたミサイルであるためにレースでのスピードが劣り結果的には佐藤琢磨が優勢であった。


その結果、ホンダチームがパフォーマンスに苦しめられる一方スーパーアグリはカネが無いにも関わらず好調、プライベーターとしては破格の速さを見せることになる。さすがに上位チームに食い込むにはほど遠い成績ではあるが、第4戦(スペイン)では数々の幸運に助けられながらも8位入賞を果たした。また、第6戦(カナダ)では なんとマクラーレンのキタナイ頃の眉毛を抜き去り6位入賞を果たす。このときはラスト4週で2ポジションアップをやってみせ、実況陣の絶叫を招いた。

だがホンダは自身が勝ってこそナンボという考えを捨てきれず、その挙句に非道の手に打って出てしまう。

その結果、2007年後半には亜久里がホンダが介した中国人による詐欺にハマり資金不足に陥るという予想外の事態に直面し、もともとの課題であったチームの絶対的な体力不足からマシンの遅さが足を引っ張るようになってしまう。(後にホンダはアグリが作ったパーツを奪うなど妨害工作を行い消滅へと追い込んだ)こうした事情から佐藤琢磨 上杉陸雅の走りは今ひとつであった。

[編集] 2008年

「まだまだ現役」を主張するホンダ宣伝部と、スペインでの1年前を彷彿とさせる活躍にニック・フライが

「我々がこんな貧相なポンコツミサイルに遅れをとるなど何かの間違いだ」

と愚痴をこぼしトルコGPへの参加が絶望視されていたりしたが結局、チーム自体が潰れてしまった。

このため、このまま廃棄処分されるだの無理矢理ホンダに再配備されるだの様々な噂が流れ、トロロに流れ着く形で再配備される等の選択肢も登場した。 お察しくださいの一言しかない状況下で、人々は彼の復活を願っていたとかいなかったとか。

ところが9月のある日、「佐藤琢磨らしき人がどこぞの髭剃りのCMに出ている」という目撃情報が噂される。タダでさえ変な方向に進んでるのにますます動向が変な方向に進んでいることは間違いなさそうだ。

10月中旬、自らのF1人生を賭けトロ・ロッソのテストに参加した。結果は途中で雨になり都合が悪くなったためテストをとりやめ、何とも言えずとても結果が出せたとはいえなかった。

首脳陣もどうしようかと悩んでいたが、11月中旬、第2回のテストに参加。他チームは開発に勤しんでいたためあまり参考にはならないが、見事初日ファステスト、2日目も2番手タイムを記録。ちなみに2日目のトップ4は全員赤牛系列で3人セバスチャンという奇妙な結果である。まあトロロのドライバー陣の中では一番速かったので、一応は首脳陣に好印象を与えたのかもしれない。これがF1人生の最期となるのか、はてまた返り咲くのか。 と言っていたら、トロロの首脳陣から「ドライバーはセバスチャン以外認めない」という理不尽な理由を付けられ(実際はカネだけが決め手だった)、トロロのドライバーは2期連続のダブル・セバスチャン(ブエミ&ボーデ)に。琢磨はとうとうF1浪人となってしまった。

ちなみに、数あるF1ドライバーの中でただひとり、琢磨はスーパーアグリとともにF1の暗部と現実を目の当たりにしながらもF1という夢を捨てずに自分の道を信じ続け最後まで戦い続けた数奇な運命をたどっている。

[編集] 他社の動向

ホンダの専売特許であったミサイル事業であったが、同じ日本企業のトヨタが2007年最終戦ブラジルにおいて、秘密裏に開発してきたミサイル「まぁまぁ王子」を傘下のウィリアムズに配備した。

だが、打ち出された中嶋は何を思ったのか非戦闘地域に飛び込み、さらには自軍の工兵部隊に着弾。重軽傷者2名を出すというまれに見る誤爆をやってのけ、ミサイル開発の難しさを示すこととなった。

それでもトヨタ陣営は、佐藤琢磨よりも弾速が速かった事などを評価し、「初めてにしては良かった。」として今後の改良に意欲を見せた。

[編集] 余談

佐藤琢磨がF1デビューして2年目以降、某chではアンチがF1関係のスレを荒らし始めるようになる。その流れは2004年にアメリカGPで日本人で14年ぶりの3位表彰台に立ちその流れは完全に止まったかに見えたが、翌年ウソのように不振を極めたためアンチが再燃した。特に2006年にデビューしたスーパーアグリのときにピークを迎え、アンチと擁護派が常に入り乱れ、そのうちF1を目指す日本人ドライバーすべてのスレを荒らすようになる。当然NaKajiki-MkIIの件でも琢磨のアンチの話題があとを絶たず、そのうち中嶋も同じ扱いを受けるようになった。

これだけ毎日のように荒れている某chだが、それの住人が多いとされるニコニコ動画での琢磨はウソのように応援・歓迎されている。しかし中嶋のほうは某chと同じ扱いを受けているためか不遇を囲っているようである。

[編集] 関連項目

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