兜合わせ

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兜合わせとは、江戸時代に武家で行われていた武具の品評会である。

概要[編集]

戦国時代が終わり、江戸幕府日本を仕切る太平楽の時代が訪れると武士は次第に名のみの名誉職になっていった。形だけは「士農工商」と一番上に置かれたものの、戦がなければ武芸を披露することも出来ずお上からの俸禄だけで細々と暮らすしかなくなってしまったのである。不満を訴えようにも「武士は食わねど高楊枝、辛抱しろ」と周囲にたしなめられるのが精々であった。というか不満を直訴しようものなら一族郎党の首が飛んでしまいかねないので、周囲も必死に止めたことだろう。

また武士は上級階級とされていたため、町人文化花開いた江戸時代においてもそこへ混ぜてもらえなかった。武士が町をそぞろ歩いたりしたら、何をしているのかと役人に誰何されても文句は言えない時代だったのである。[1]腹は減るし暇つぶしもない、という状況をなんとかしようとある武士が思いついたのが武士の魂である刀の比べっこ、「刀比べ」であった。武士であればよほど金に困らない限りは[2]帯刀しており、また戦がなくなってからは装飾品としても価値が重視されその拵えはまさに芸術品と言える領域になっていた。暇な武士たちは我も我もと刀を持ち寄り、現在にもつながる刀剣鑑賞の基礎が出来上がったのである。

しかし質素倹約の三河武士が建てた江戸幕府、そういった「金が動きそうな娯楽」には敏感であった。女歌舞伎や春画同様、厳しく取り締まってしまったのである。その結果として刀剣文化は衰退し、開国後の明治時代には価値のないものとされ海外の好事家に二束三文で買われてしまった。その為刀も春画も一級品はみな海外に散逸しているわけだが、それは武士たちにとっては「遠い時代の話」でしかない。この楽しい遊びを捨ててなるものか、と頭をひねって「刀がダメならば、兜を比べようではないか」との結論に至った。兜もまた太平の世では美術品扱いであり、龍や鬼をあしらった変わり兜は全国各地で盛んに作成されていた。また「いざという時の備えとして、兜が壊れていないか調べるために開帳する」という事でお役人をごまかし、武士たちは再び比べっこに熱中したのである。それでも見つかった時に備えて、お互い兜をかぶったまま相手の頭に自分の顔をこすりつける様にして眺めていたというから、なかなかに不便な姿勢だったはずだがそれでも武士たちの数少ない娯楽だったようである。

現代の兜合わせ[編集]

平成の時代においても兜合わせは盛んにおこなわれているが、実際に兜を並べるよりも創作物の中で描かれるほうがかなり多い。これは日本の現代建築事情と兜の保管がかみ合わないからだとされる。また現代では女性の方が兜合わせを好む傾向があるが、男性が兜合わせをしている姿を眺めるのが好き、という少々変わった趣味の女性も多い。

兜が扱われやすい作品ということか、生身での戦闘が多い映像作品やゲームなどを題材として「彼らが兜合わせをする姿」を趣味の本で披露することもよく見られる。この場合は狭義の兜に限定せず、サークレットやヘッドギアなども含まれるのが殆どである。かつて女性は貝合わせという貝殻を使った遊びに熱中したものだが、これまで男性の領域であった兜合わせにも適応してしまうあたり流石は現代女子である。その柔軟性は枚挙に暇が無い。

脚注[編集]

  1. ^ 漫画「サムライうさぎ」でも、「武士が屋台で蕎麦など食べているのを見つかったら、おおごとになる」と言うくだりが存在する。実際幕府にしてみれば、武士は仕事以外で屋敷から出ないでほしかったようだ。もめ事を起こされてはかなわん、ということか。
  2. ^ 質に入れてしまう不届きな武士もたまにいた。鎌倉時になったらどうするつもりだったのだろうか。

関連項目[編集]