冤罪

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

冤罪(えんざい)とは、裁判所にて繰り広げられる、大変高度な誤審の一つ。

目次

[編集] 概要

「訂正:無罪」。これが、高等な過ちである冤罪である。特に、死刑から逆転無罪となる場合には断頭台からの生還となる。

なかにはマスコミ世間まで巻き込んだものへと発展するものまであり、発覚したときには国民全員で抗議の体勢に。

最近では、冤罪の被害者も取り調べの最初の段階では罪を認めていたものの、ある程度進んだ段階で「なんでだよ!!」と裁判長に猛反発する様子も見える。

[編集] 問題点

裁判の結果、冤罪の発生するのと同程度の確率で、無罪が確定した判例の中にも実際は有罪である場合が存在するのである。これが法治国家における裁判制度の内在する本質的欠陥である。

この欠陥を利用して飯を食っていこうとする職業を法曹と呼ぶ。この職業に就くためには司法試験なる怪試験に合格しなければならない。しかしこれはこの記事の範疇ではない。

[編集] 供給

冤罪は法曹の重要な食い扶持であるが、その供給を担うのはサツである。特に最近は白か黒か判らない痴漢事件が重要な稼ぎ頭となっている。特段の物的証拠を集める必要がなく、男衆を血祭りに上げることによって女権拡張団体のお褒めに預かることができるから、頭骸骨が厚く中味の機能の不自由な警察官には持って来いの仕事である。多くは裁判沙汰になれば冤罪となるケースが多く、警察官と法曹を潤している。

[編集] 主な実例

[編集] 冤罪確定事件

  • 1894年:ドレフュス事件 - フランス陸軍大尉に対するスパイ疑惑。そもそも軍事機密などなかった。
  • 1913年:吉田岩窟王事件 - 強盗殺人犯が同僚に濡れ衣を着せる。当人は獄中で暴れ、網走にも送られた。汚名返上は実に半世紀後
  • 1915年:加藤老事件 - 殺人犯が知人に濡れ衣を着せる。汚名返上は62年後(史上最長)。
  • 1946年:榎井村事件 - そもそも、証拠はパナマ帽だけだった。
  • 1948年:幸浦事件 - 「拷問王・紅林麻雄の事件簿1」。
  • 1948年:免田事件 - 別件逮捕→拷問(4日間不眠不休)→虚偽自白→証拠品(凶器・被疑者の衣類)破棄→誘導尋問→死刑→再審無罪。現在は年金問題で行政に申し立て中。
  • 1949年:松川事件 - 下山事件三鷹事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー」。20人逮捕、全員無罪。
  • 1949年:弘前事件 - 被害者の血を、被疑者のシャツになすりつけて警察が犯人を創作。後に真犯人は自ら名乗り出た。
  • 1950年:二俣事件 - 「拷問王・紅林麻雄の事件簿2」。拷問を内部告発した刑事は、署長により気違いということにされ、偽証罪で逮捕され、懲戒免職され、神経科医により痴呆症と誤診され、自宅を放火で燃やされ、という両津勘吉もびっくりな不運のどん底のような人生を送った。なお、事件そのものにも不審点があり、家族が夜中に部屋で寝ているところを襲われたのだが、殺された4人と同じ部屋で寝ていた2人と隣の部屋で寝ていた1人は殺されなかった上に朝起きるまで事件に気付かなかった。余程鈍かったのか、それとも…?
  • 1950年:財田川事件 - 拷問・自白調書捏造・手記捏造・証拠捏造・捜査記録破棄というテクニックを警察が駆使。被疑者は日頃の素行が悪かったので疑われたらしい。
  • 1950年:小島事件 - 「拷問王・紅林麻雄の事件簿3」。証拠品が未発見だったにも関わらず発見されたことにした。
  • 1951年:八海事件 - 主犯が4人の友人・知人を巻き込む。ただ、それも警察が単独犯行を頑なに否定し「共犯の名前を言わなければ死刑!」と脅したことによるとか。
  • 1952年:菅生事件 - 警察による自作自演。主犯と思われる警官は後年、ノンキャリアのトップ階級の警視長にまで出世した
  • 1953年:徳島事件 - 強盗殺人が狂言にされた。被疑者当人は無罪判決の出る前に死亡。
  • 1954年:島田事件 - 拷問による自白以外証拠が無く、目撃証言とも全く一致しない人物だったが、それでも一度死刑判決。
  • 1954年:仁保事件 - 一審・二審で死刑。その後、マンホール窃盗のみ有罪。
  • 1955年:松山事件 - 証拠品捏造(布団への血のなすりつけ)・スパイ送り込みにより死刑判決。
  • 1965年:蛸島事件 - 見込み捜査で外部犯の可能性を最初から考えず。なお、アレとは一切関係ない。
  • 1974年:甲山事件 - アリバイ証人を偽証罪で抹殺。その後、検察が執拗に有罪を主張し続けるも、5回の裁判全部が無罪判決
  • 1979年:貝塚事件 - 見込み捜査により、現場に残されていた犯人の6種類の痕跡全てと一致しない5人を犯人に仕立て上げた。
  • 1981年:みどり荘事件 - ずっとパンチパーマだったにも関わらず、「犯行の時だけ直毛だったんだろ!」ということで犯人にされた。
  • 1988年:警察ネコババ事件 - 15万円を警察に届けたら、警官がネコババした上内部でもみ消し、届けた人が横領犯にされ、いるはずのない証人やあるはずのない証拠が警察により発見(捏造)された。
  • 1994年:松本サリン事件 - 「農薬からサリンを生成できる」という疑似科学を信じ込んだ警察により、第一通報者が執拗に疑われ、マスコミによって犯人に祭り上げられた。
  • 2002年:富山連続婦女暴行冤罪事件 - アリバイ成立・足跡の大きさの相違という点があったにも関わらず、家族の発言と自白調書捏造が行われ有罪確定。その後真犯人は判明したが、当時の法務大臣は謝罪しつつ笑うという極めて不謹慎なエクストリーム・謝罪を行った。
  • 2003年:志布志事件 - 踏み絵ならぬ「踏み字」を強要。

[編集] 冤罪疑惑事件

  • 1932年:リンドバーグ愛児誘拐殺人事件 - 飛行機でパリに行った人の息子が誘拐・殺害された。犯人は大工とされたが、証拠品の梯子の作りが稚拙だったり、取調べ中に関係者が自殺したりした。後年、「自分が殺された息子である」と名乗り出た人物も登場した。
  • 1947年:福岡事件 - 裁判所に押しかけた被害者の仲間の中国人たちが「死刑にしろ!」と騒ぎ立てたため2人の死刑確定。その後、同日に片方は死刑執行、もう片方は恩赦で減刑というよく分からない不公平な対応が取られた。
  • 1948年:帝銀事件 - 精神疾患による虚言癖があったが、自白採用。しかし歴代法務大臣はさすがに変だと思ったのか、32年間死刑執行されず、その後病死。
  • 1949年:三鷹事件 - 「国鉄三大ミステリー」の一つ。高等・最高裁判所は被告人の顔もろくに見ないまま死刑判決。
  • 1951年:藤本事件 - 被告人がハンセン病だったため、(本当は滅多なことではうつらないのだが)感染を恐れた警察・検察・裁判所が差別的待遇を行ったうえ、さっさと死刑にした。
  • 1952年:白鳥事件 - 米軍による証拠捏造。「再審でも"疑わしきは被告人の利益に"」という方針(白鳥決定)が示されたが、この事件自体は解決せず。
  • 1961年:名張毒ぶどう酒事件 - 死刑確定後33年目にしてようやく再審開始決定がされるも、翌年取り消し。
  • 1963年:狭山事件 - 同和問題が絡む複雑な事件。物的証拠が捏造の可能性が高い上、関係者が次々に謎のエクストリーム・自殺を遂げている
  • 1966年:袴田事件 - 数週間に渡る拷問の末自白。ただしその調書45通のうち44通が証拠採用されず(残り1通も疑問あり)。現在、死刑囚となっている被疑者は長期拘留のあまり精神に異常を来たしている。
  • 1967年:布川事件 - 強盗殺人だが何が盗まれたのか明かされていない。また、逮捕された2名の指紋が全く検出されておらず(指紋は43点も出たがその中に2人の指紋はない)、現場に落ちていた髪の毛のDNAも一致しない。
  • 1971年:三崎事件 - 犯人は「物凄い勢いで階段を駆け上がった」人物だが、足が不自由な身体障害者手帳所持の人物が有罪になった。
  • 1979年:野田事件 - 被害者の持ち物であったキャンディ・キャンディのカバンを警察が捏造した疑い。発見された被害者のカバンは非正規品(海賊版)だったのだが、警察が後に証拠提出したのは正規品(本物)である。おまけに発見時の写真はひどいピンボケで判別しづらい。
  • 1990年:足利事件 - 1000分の1.2の確率で犯人と同じDNAだったため有罪にされる。その後技術進歩により再鑑定で不一致となり2009年に刑執行停止・釈放(再審は今後)。警察庁長官・県警本部長・国家公安委員長・検事は謝罪したが、逮捕当時の捜査に当たった警察官や裁判官は一切謝罪していないばかりか、「思い出したくもない」「今でも犯人だと信じている」などとDNA鑑定技術を真っ向から否定する妄言を放ったため炎上騒ぎを起こした。
  • 1992年:飯塚事件 - 足利事件と同様の確率で犯人と同じDNAだった。なお、再審請求準備中に極めて不思議なほど早く死刑執行されてしまった(先に死刑確定したのは60人いた上、再審請求をしないで死刑を待つだけの人も多数いたにも関わらず)。
  • 2001年:御殿場事件 - そもそも事件があったかどうかさえ分からない。ちなみに警察は天気を捏造した。
  • 2004年:四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件 - 68歳男性がどこかの女により、「この人痴漢です!」…ではなく「この人泥棒です!」と言われ、店員・客・警察により20分間押さえつけられた上死亡。なお、監視カメラの映像によると男性は全く泥棒などしていない上、女は5分ほど前から男性の様子を窺うという謎の行動(カモ探し?)をとっていた。
  • 2004年:松山白バイ事故 - 止まっていたバイクに白バイが突っ込んだのが、安全確認をせず右折しようとして白バイにぶつかったことにされた。しかも無罪判決が出た後、警察は白バイの修理代と白バイ隊員の治療費を請求した。
  • 2006年:高知白バイ衝突死事故 - 止まっていたバスに白バイが突っ込んだのだが、バスが動いていたことになった。バスが止まっていたことを証言する者は乗客・外の人含め25人以上いるのだが、「第三者の証言でも信用できるとはいえない」という訳の分からん判断で証言却下、しかし警察身内(後続の白バイ隊員)の証言は採用。ブレーキ痕の長さも不自然であり、また白バイの推定速度が目撃者(100km)と同僚(60km)で大いに異なる。

[編集] 関連

Wikipedia
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