判官贔屓

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判官贔屓はんがんびいき)とは、中間管理職への同情の念を表した言葉。

判官とは[編集]

判官とは律令制における四等官すなわち長官・次官・判官・主典の内、上から三番目の役職であり、「ジョウ」とも読む。四等官とは、役人を官司ごとに四階級に分類するシステムで、その表記は官司によって異なっており、国司では「掾」、省では「丞」、寮では「充」が「判官」に相当する。

上から三番目というとあまり身分が高くないように思えるが、律令制の全盛期には官司は四等官外にも「史生」や「使部」といった雑任と呼ばれる下級役人を多数抱えており、全体的に見ると決して低い身分ではない。今で言う中堅官僚に相当する。また、長官には皇族や高位の貴族が据えられて勤務実態が無いことも多く(親王任国、八省、大宰府等に顕著)、その場合には次官が事実上の長官となるため必然的に判官の役割も高くなった。一つ下の主典が記録係だったのと比べると、行政決定に参画する判官の権力は大きく、貴族の出世の登竜門としても重視されていた。

なお、政府中枢である太政官の判官だけは別格であり、高位の貴族からなる。

判官の悲哀[編集]

しかし、蔭位に預かれない出自の卑しい大多数の役人は五位以上に昇らず、判官を極官として生涯を終えることも珍しくなかった。彼らは上司である若い貴族の下で、日々実務官僚として激務をこなしていた。清少納言は「枕草子」の中で、式部丞たちがボロボロのを使っている様子を「いやしげなるもの」として記している。笏の裏には紙を貼って儀式の手順を書いておくのだが、頻繁に儀式に臨む彼らは紙を何度も張り替えるため、笏が糊でボロボロになってしまうのである。それにもかかわらず、給料の低い式部丞たちは新しい笏を作る余裕すらないのであった。

このような状況から、判官を憐れむ感情が世に広まり、「判官贔屓」という言葉が生まれたのだと推測されている。判官という身分が存在しない現代でも、中間管理職の代名詞として「判官」が使われ、彼らへの同情の念を「判官贔屓」と呼ぶことが多い。

源義経[編集]

源義経を贔屓することを「判官贔屓」と呼ぶことがある。これは、義経が衛門府の判官である「左衛門尉」の地位にあったことに由来すると言われる。しかし、義経が生きていた時代は既に律令制が崩壊した時期であり、義経が衛門府の一役人として、上司の指揮の下で活動していたという推測は実態にそぐわない。なぜこのような意味が広まったのかは不明だが、源義経に限って「ほうがんびいき」と呼称されることから、本来は判官とは全く関係のない別の言葉であるという見解が有力である。

関連項目[編集]