利用者:くぎり/神
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
神の2007年初め位の版に現版を混ぜ、物言いを少し変えてみる。→現版
~ くぎり/神 について、フランシスコ・ザビエル
~ 神 について、磯野波平
~ くぎり/神 について、ある種の病院にて
神(かみ)とは、この世界の創造主(世界の支配者)なのに、人間以外にはまったく必要とされていない可哀想な存在である。主に電脳世界における特定の登場人物として登場することが多く、その場合の特質として、その他の登場人物を遙かに超越した存在であることが挙げられるが、やっぱり他の登場人物以外の存在にはまったく必要とされない。
それ以外にも、最終兵器やユートピアと並んで役に立たないものの代表にあげられたり、「神は死んだ」などのひどい言葉を投げつけられるなど可哀想な目に合うことが多々ある不幸な存在であり、可哀想に思った人々は物をあげたり「よいしょ」をしたりして慰めている。「髪=かみ」と同音であり、人間にはいつもついているという説もある。したがって、たまにかみに見放された可哀想な人間もいるという理屈になる。
単位は柱(はしら)。
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[編集] 概要
神とは、人間の精神観念上に存在する「全知全能なる存在」である。全知全能であるため、何でも出来ると考えられているが、出来ることが多すぎて何からして良いかわからなくなっているため、どれだけおだててもおべっかを使っても脅しても、何もしてくれないし何も教えてくれない、ただそこにいるだけの存在である[1]。 しかしながら、神の存在を疑ったり「無知無能」などと言おうものならもれなく地獄へご招待しちゃうような、ちょっとお茶目なところもあるんだけど、人間からは恐れられたりしている。
ちなみに全知全能は嘘である。それを証明する方法は、神に向かって「あなたの持ち上げられない岩を作って下さい」と言えばよい。作れたらそれを持ち上げられないから、作れなかったらその時点で全知全能ではない。
[編集] 神の存在
- 創造者。主としてプログラマー及びシナリオライターの事を指す。広義にはスポンサーや株主をも含めることがある。全知全能の存在と思われがちであるが、他の神との意見の食い違いや、バグという名の神をも恐れぬ大量破壊兵器に常に悩まされる悲哀を味わっている。
- 統制者。要するにプレイヤーのこと。神の特権として、究極時空魔法リターンことリセットを行使することができるほか、一定の範囲内で整形をする、性転換をする、若返る、人生やり直す、ハーレムを作るなどの特権を享受することができる。基本的には創造者の手の平の上で踊ることしかできないのだが、ここ最近は創造者に対して反乱を起こすことが珍しくなくなりつつある。
- 管理者。創造された世界の中に常に止まってその世界を管理する者達である。要するに登場人物の中で神の地位を与えられた者のこと。影が薄いかどうかは神による。結構良く死ぬが、外部からの干渉により何度でも蘇ることができる。
- 御客様。人種・性別を超越し、黒人でも白人でもあり、また男でも女でもある者を言う。基本的に創造者による略奪の対象であるが、致命的な反撃を繰り出してくる種も存在する。
全員チェーンソーが特効である。
[編集] 神の存在の理由
- 責任転嫁の対象(~祈りが足りないせいだのような)
- いわゆる、マゾ。苦しみを試練や修行であると思いこむ
- ある事象には、意味が無いのにあたかも意味があるかのよう捏造する。(生きる事、死ぬこと)
このように、神とは現実世界におけるアクセントであり、スパイスである。エポックメイキングな偉業を成し遂げたが故に神に祭り上げられる場合もある。基本的には経済活動が必須である。野球選手に神託を下して引退させる為にも利用されることがある。
[編集] 神を体感する瞬間
神はあなたのもっとも身近にあり、あなたの頭上からあなたを見守っている。あなたは時に神の存在を愛おしく思い、時には神の存在を疎ましく思う。あなたは神が自分自身と一体であるのを感じ、また神が自身から失われていくのを感じる。
ときには神に完全に見放されたようなものも見受けられるが、どうか安心して欲しい。神はきっと姿かたちや名前をかえて、あなたの脇や股間から見守ってくれているはずだから。
逝ってしまった時は、貴方はすでに神である。
[編集] 神を取り巻く状況
神を学術的に論じる学問に神学というものがあるが、そこでは神学者たちが毎日のように「ピンの頭の上に何匹の天使(神の使い)が乗せられるか」といったような、誰の役にも立たないパーティーゲームに明け暮れている。また、人間の不安定な精神をコントロールする役割を果たすものとして宗教があるが、そこでは神について「これが神です、凄いです」とだけ教えられる。
[編集] 存在に関する社会的影響
神はその存在を疑われているにもかかわらず、様々な方面で利用されている。それこそ便所のロール神(非常に薄いが無いとその有り難味が良くわかる)から各種宗教上の神々(自称神が多すぎてインフレ状態)まで、様々な状況で様々な神が利用されている。ペソより安いかどうかは神による。ちなみに、ギルガメッシュの場合は花輪一つと同価である。ねえ、お花はいらない?たった1柱よ。
過度の現実世界への直視は、太陽が目を焼くが如き悪影響を及ぼす。したがって、適度な現実逃避がかえって活発な経済活動を生みだす原動力となるのである。しかし、神の過剰摂取は身体頭脳精神に多大な悪影響を与えるため、使用上の注意を良く読んで用法用量を守って正しくお使い下されなければならず、また、これを全く受付けようとしない場合、免疫が付かないことによりかえって身体の抵抗力が落ちる症例が『共産主義は神をも超える思想である』と主張する特定の国々で多数報告されている。
[編集] 問題点
神は世界の創造主であるため、この世界内に物理構造を持たない。あえて言うなら多くの宗教に於いて、その創始者が自分たちの姿に似せて作った想像図や、あるいは彫刻が存在するのみである。どうして全能の支配者である神が自分たち人間に似た姿をしているのかについて、彼らは一切の言質を残していない。
ユダヤ教とイスラム教は神の姿を人間に似せて作るという行為を行わなかったが、しかしそのイスラム教にしても、コーランという本を作ってしまった事で、その背表紙を使って他人の頭を殴り倒す輩は後を絶たず、多くの宗教同様に、極めて非生産的な状況に陥っており、ことにラマダン期間中のイスラム教圏では、全体の生産性が著しく低下するという問題を抱えている。ユダヤ教にしても同じ事で、現在の旧約聖書のネタ元にも流用されている彼らの聖書が、あまりに古い時代に執筆された物であることから表現が古過ぎ、その解釈をめぐっては論争が尽きないほか、当時の生活事情に合わせた説話を掲載しているため、しばしば現代の読者が、当時の生活事情と同じレベルで生活しなくてはいけないと誤解していたりする。
勿論、多くの神像を持つ宗教では、この神を煽てようとして像を制作したり、その像を納める無駄に立派な建物を建てたり、その像に祈る事で時間を潰すといった非生産的な行為に没頭している。
[編集] 利点
神は、この世界そのものの創造主でありながら、どうしてだか人間などという蛮族を特別視しており[2]、人間のためになら自分が汚れ役になることをも厭わない。人間が自分が愚かで弱く貧しいのを神の試練だとして慰めたり、あるいは神の不手際だとして罵ったりという、そういった人間が自分の不幸を呪ったり自己欺瞞する際の、明確な原因として身代わりになって下さるのである。
また妻が不貞を働いた際に、聖書の言葉を元に妻を射殺する事は、アメリカ合衆国でしばしば見られる風習で、同じ理由で妻が不貞な夫の睾丸を蹴潰す際にも聖書が引用される。
そう、神は、人間が持つ愚かで邪な願望、更にはそれに基づく残虐な行為をも、大らかに認めて下さっておられるのである。例えばキリスト教では、隣人が気に食わないからといって右の頬を殴った際に、相手が反撃しようがしまいが左の頬も殴り飛ばさないといけないとしている。つまり、左胸の心臓を銃弾で打ち抜いたら、右の胸も打ち抜いてあげなければいけないのである。そしてこの教えにより、隣人を確実に仕留めることが出来るという次第である。その結果相手が死んだら、「いい隣人は死んだ隣人だけだ」といって愛する事も出来るし、また隣の夫婦の片割れに横恋慕することもキリスト教の上では推奨されている。
こうして神は人の最も不道徳で退廃的な性質を尽く許し、推奨しているのである。その他、神に関係する施設は、まことに結構な見世物にもなるため、神を見世物にして物を売りつける商売をしたり他人から金銭を貰ったりと言った悪徳商法では、まさに神は崇拝に値する利益をもたらす。
[編集] 神の死
基本的に神が死ぬことは無い。しかしチェーンソーで体をばらばらにすることで殺すことは可能。このことから、で中二病の世界的蔓延により大量発生した八百万の神達の真偽を確かめるため、チェーンソーでバラバラになるかどうかによる判定が行われたという。しかし、よく考えたら神でも人間でもバラバラになることには変わりないので、急速に廃れたという。
[編集] 注釈
- ↑ 科学的な見地に基づいていえば、神は存在しない。神が存在しないのだから、人間もまた存在しないのである。そして、人間が存在しないのだから神も存在しないのである。
- ↑ 理由は未だ不明であるが、最も有名な説では、『人間は全ての動物の支配者として、神が己に似せて造ったものであり、神の子そのものであるから』とされている。しかし、地球などという辺境惑星の食物連鎖の頂点に立っている程度の生物が、神の子供であるとは到底考えられず、この説には否定的な意見が多い。現在でも議論が交わされているが、人間如きが神の考えを理解しようという考えそのものが浅慮であり、その傲慢な態度こそを改めるべきだという意見もある。