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埼玉西武ライオンズさいたませーぶらいおんず)とは、所沢にある不人気プロ野球球団。間違えがちだが大西ライオンは所属していないし、某CMでお馴染みのさよなライオンは西武の専属マスコットではない。


コメント コメント所沢西武ライオンズもありかもしれない。他人からのお言葉も入れたいのだが、思いついてないのが現状。


特徴[編集]

チームの特徴[編集]

  • 観客動員数はお菓子の球団と同等か多いくらいだが、声の大きさで負けているのとアンチのネガキャンで不人気に見られている。
  • ホームランが多いし盗塁も多いし守備率も高いし投手陣も駒が揃ってはいる。のに、なぜかいまいちパッとしない。何故なら実力に反して名前がダサすぎるからである。とは言え元を辿れば福岡の球団であるため、ネーミングセンスの無さ云々はむしろ博多の人間の問dバキューン!!
  • 週刊プレイボーイも認めるほどに選手の育成能力が高い。そしてトレードが巧く、トレード相手は殆どが黄色いお祭り球団こと阪神タイガースであるが、いつも西武ライオンズ側が得をし、阪神側が損をしている。ある意味商売上手。これを「レオレオ詐欺」という。最近は傘を振り回す球団ともトレードが多い。福地寿樹とか平尾博嗣とか石井義人みたいな「あれれ?」な選手をもらってきては育て上げるため、「再生工場」の別名を持っている。
    • しかし、これによってスターになった選手は、スターになって実動7年ぐらい(育成期間含めておよそ10年ちょっと)でどこかへ行ってしまう、ある意味報われない球団。清原和博の実動12年は奇跡、「生涯西武宣言」の西口大先生は神とも呼ばれていたが、それでも結局どこかへ行ってしまう。そのため現状、最も生え抜きのレギュラーが多い球団
  • 無駄に強いがパッとしない為、ナベツネリミッターのようなものが掛けられず、常に逆暗黒時代状態である。また復讐を得意とし、彼らのリベンジ試合は殺人野球、暴力野球と呼ばれる。しかし左右病である上、連敗が始まると止められない(=オセロのプロ)。中継ぎがカスカスで、一旦は落ち着いたものの、最近はまた酷い有り様である。だが、2007年や2009年よりはだいぶマシになっている。M4まで来てV逸するという2年前のどこかの球団みたいな事をやらかす(2010年)。
  • FA宣言した選手からも無視される。チック辛いさん乙女ウゴ・ケデブ氏がFAする時に「Aクラス争いがしたい」って言ってたのにもかかわらず西武は無視、そして巨人・阪神・ソフトバンクである。言っとくけど、阪神よりは間違いなくAクラス率高いかんな?また、「Aクラス争いがしたい」選手たちと比べたら確実に恵まれてるはずなのに、何故か彼らは出ていってしまう。それは何故かって?金だよ、金金金!!!(堤の時代は金あったんです。)
  • 監督一人につき、清原や松坂や涌井などの大物即戦力ルーキーを引き当てる運の強さとジンクスを持つ。渡辺久信に至っては2年連続では6球団競合の当たりくじを引き当てる驚異の強運。でも誰も西武に指名されて嬉しそうな顔をしない。特に大物(2004年の涌井や2007年の岸など)に限って。後は松坂大輔菊池雄星は「無」の顔、大石達也は特にこれといった喜びコメントなし、清原に至っては西武からの指名が嫌過ぎて大号泣

コメント コメントロッカールーム云々は一部しか分からないとのこと。


ファンの特徴[編集]

  • 昔はアンチホークスが多かったが、現在はアンチジャイアンツがかなり多い。そして西武鉄道が好きで、東武鉄道読売新聞スポーツ報知ソフトバンクダイエーが嫌い。福岡ソフトバンクホークスに勝つためには、応援する球団の選手がホークスの選手に対し、故意に怪我をさせることを奨励する。ハゲ鷹の連中の選手生命が絶たれようが、あるいは死亡しようが、そんなことは知ったことではない。
  • ソフトバンクの携帯を使用した者は異端である。iPhoneはauを使う。Yahoo!は見ず、ポータルサイトはgooなどを使用する。「水色は新鮮な色」で、「オレンジ黄色(大阪のお祭り球団の色ではない)が汚い色」と信じている。だけど今のユニフォームカラーはレジェンドブルーという名前の紺色
  • ハム工場ガム工場を散々罵倒していたくせに応援スタイルを丸々パクり、我が物にすることが成功。どういう心境の変化? また、神宮球場でチャンステーマ2が流れると、外野スタンドはスポーツテストの如きシャトルラン大会となる。

黄金時代[編集]

1980年代から1990年代前半までは、もうどうしようもないぐらい強かった。1989年にダイエーが福岡で誕生するまでは博多の旧ライオンズファンのおかげでそこそこ人気もあった。本拠地の西武球場より博多の平和台球場のほうが熱狂的な応援がなされていた。

しかし、ダイエー誕生後は博多のファンが離れていき、不人気球団の筆頭となる。

1990年代はパは西武、セはヤクルトと、不人気同士がやたら強かった(逆に言えば球界一声のデカイ読売があんまりだった)ので、プロ野球全体としてはやたら盛り上がらなかった。中には「ある意味暗黒時代だね」という人までいる。ちなみに巨人の裏に隠れてはいるが、選手の囲い込み等は当時の西武も相当えげつないことをやっていた。かつて『世界の富の半分を持つ』とまで言われた西武グループの栄枯盛衰については、是非ともググって頂きたい。

黄金期のスターティングオーダー[編集]

当時の小学生ならほぼ暗記しているオーダー。圧倒的に強かったが人気は微妙だった。

主軸はほぼ固定。吉竹春樹にかえて安部理が入ったり羽生田忠克が入ったり。バークレオ…

当時、日本シリーズは10月末のデーゲーム開催で、学校から帰ってきて、若しくは隠れて日本シリーズをテレビorラジオ観戦しようとしたら、映っているまたは中継先は必ずと言っていいほど西武ライオンズ球場という20代後半~30代は多いはず。

ライオンズのドラフト[編集]

西武ライオンズのドラフト指名は独自性が強く、 ドラフトウオッチャーの小関大先生も「知りません」と言うような選手を平気で指名する。

ライオンズ誰それ枠
  • 森山良二(1986年・1位・福岡大大濠卒)
  • 中島裕之(2000年・5位・伊丹北)
  • 佐藤隆彦(2003年・7位・元フィリーズ1A・G.G.佐藤)
  • 山本歩(2005年・大社5位・関西学院大)
  • 宮田和希(2008年・6位・甲賀健康医療専門学校)

根本陸夫が築いた広いネットワークと禁則事項ですを使った囲い込み戦略で他球団を出し抜いてきたが、近年は平凡なドラフトが増えてきた。 あ~あ、金が欲しいな~

西武の選手[編集]

投手[編集]

先発[編集]

岸孝之(11)
寄せ集め球団と競り合って交渉権を獲得した。その甲斐あって、2008年の日本シリーズでMVP獲得。ナイターとGにやたらと強いが、逆にには弱い。
軽い。胴上げすると飛んで行くので注意が必要。もっと食べたほうがいいよ
カイジに似てる。
2012年は涌井がアレなせいでざっくりとエース…、かと思ったら何かに取り憑かれ、終盤で失速してチームの勝ち頭を牧田に掻っ攫われるという悲劇に見舞われる。
西口文也(13)
西武のエース
タコ踊りのできる宇宙人。
得意技は「ノーノー未遂」。
留学生を使って箱根駅伝で優勝した大学当時のエース(故人)に似てる。
00年台後半から不振に陥り給料泥棒扱いされていたが、37になって初めてウェイトトレして、2011年に大復活。
ファンは200勝とノーヒットノーランと日本シリーズ勝利は是非達成してほしいと思っている。球界に星の数ほどいるベテランの中でも好感度は高い。
この人が将来引退するときは全世界の西武ファンが涙するであろう。
石井一久(16)
FAで加入。天然。調子の波が激しい。
フリーダムな国でも投げてました。
ふにんき球団からふにんき球団へ移籍してしまった。
WBCの主催者。
ヒーローインタビューではよく愛犬を語る。
肩や足にメス入れていて、しかも見た目あまり熱心に練習しそうにもないのに、20年もプロでやるのは何だかんだで凄い。しかもまだ147キロとか出すし。
菊池雄星(17)
2010年ドラフト1位。でも1年目は一軍登板無し。とにかく母校愛。
2011年6月12日、ついに一軍初登板初先発。だけど泣くなよ初登板くらいで。
150km/hを出してるが、高校後輩が160km出して、スピード狂にならなきゃいいけど。
ランナーを背負ってもあからさまにオロオロしなくなったりで、いい意味で石井一久の影響を受けてきた。
涌井秀章(18)
2010年前半までは、球界を代表するエースだった。2007年シーズンは最多勝、2009年は沢村賞を受賞。
WBCで地味に一勝をあげている。
フラグ発言でおなじみ。誤解される事が多いが涌井のフラグは「口に出した事が必ず実現する」というものである。予言者とも言う。
ダルビッシュ有の影響を強く受けており、髪型と女性問題に現れている。が、容姿そのものまでは真似できなかったようだ。もっと愛想良くしたら人気でるかもよ?
この人痴漢ですという疑惑で謹慎もさせられるほど女性運が悪い。とりあえずまともな女性と付き合えることを願っている。
野上亮磨(20)
ダル軍団。キレのあるストレートとスライダーを武器に甲子園で準優勝。外国人社長の会社を経て、2012年は谷間の先発で存在感を見せる。直球・変化球とも角度や球威に乏しいため、被打率が高い。
牧田和久(35)
2010年ドラフト実質1位入団投手。26歳の遅咲きルーキーで、下手投げ。「まきだ」じゃなく「まきた」。 何だか三井浩二|兄やんを彷彿とさせる境遇なので、ファンは何かノスタルジアを感じる。
ムエンゴ。5点リードで降板も、俺達により勝ちを消され、9回1失点や10回1失点でも勝利投手になれないなど、ハム武田勝を上回る悲運さ。
シコースキーが離脱、岡本篤志が2軍に落ちた後は、自ら抑えに回るというベテラン顔負けの便利屋扱いもフル回転で、2011年度の新人王ゲッツ!クライマックスシリーズファイナルステージ第2戦なんてなかった。
パワプロなどの野球ゲームに「下手から浮き上がってくる感じを表現してほしい」とクレームをつけた。果して実現されるのか?

先発兼中継ぎ[編集]

十亀剣(21)
2011年ドラフト1位の社会人右腕。強化版館山とか。絶対藤岡行くよな競合だよなまさかナベQの奇跡三度か!?と言う大方の予想を裏切っての1巡目での単独指名成功。周りから「堅実で良いピッチャーを取った」と言われる一方「逃げたか」「クジ引けよ」「逃げんなよ」的なコメントもちらほら。
名前が厳つええ。「じっかめけん」でも「じゅうかめつるぎ」でもありません。ドラクエでそんな剣、終盤の街で売ってそうだけど。「とがめけん」です。一つ良しなに。
即戦力ルーキーとしてロングリリーフを中心に登板。
調子のいい時のストレートはたいへん魅力だが、セットポジションで球威が急落するという致命的な弱点を抱えている。
平野将光(23)
いけめん
2010年は先発でそこそこ活躍。2011年は途中から中継ぎに降格し信頼度を上げるために主にビハインド兼ロングリリーフ要員に。
2007年の大学・社会人ドラフトで禿監督2010/9/3で4連続四球のあと、おかわり君のチーム初スイングがグランドスラムだった時の投手ロッテの失敗ドラ1を連続で抽選を外した時の外れ外れ1位だが、この3人の中では、1番まともな投球をしている。
2011年は威力のある速球とフォークでロングリリーフを担当、ってなんか似たような特徴の人横浜にトレードされてたな…
あの人の系譜なのか、2012シーズンは炎上続き。
小石博孝(29)
2011年ドラフト2位の社会人左腕。かなり変わったフォームが特徴。完全に牧田で味占めた
愛情を持ってお菓子を作るという男らしからぬ趣味を持つ。そして俳句を得意にしている。
行く行くは牧田→十亀→小石→大石って言う「存在しうる投球フォームの盛り合わせ幕の内」リレーが…、見れたら良いなぁ。
・・・と思っていたら、2012年9月26日、牧田→小石→大石→松永→長田→ウィリアムス→岡本篤の豪華リレーが実現。
交通事故やっちゃった…しかし、門限20分前に常磐道走ってたって、何やってたの??
武隈祥太(48)
年上女性からモテそうな「かわいい」顔をしている。
高校の先輩の遅球王が目標。
130km/hのストレートで空振りを奪えたり、チェンジアップがよくキレるので、スローカーブをマスターすれば遅球王2世の称号を得られる…はず。
2012年は禿に一度バッティングピッチャーと言われてしまったが、その2ヵ月後の初先発試合で8回1死までノーノーピッチングといい意味で期待を裏切った。西武ではスーパーマンだった相手監督を「何だよ!くそ、つまんねえ!」「武隈…中継ぎだろ?」とブチ切れさせたのだが、その後は肘やっちゃってたのが原因でピリッとせず二軍落ち。

中継ぎ・抑え[編集]

下記の俺達と違って他球団のリリーフ投手と遜色がない人たち。大半が先発からの転向組であり、俺達から這い上がったのは過去1人しかいない。ちなみに2年以上活躍するものはほとんどおらずまた俺達に戻る人たちが後を絶たない。 そんなわけで現在絶賛空きポジション状態です!

俺達[編集]

元甲子園のアイドル1.5軍選手を大量生産して逃げやがった…さらに、92年の沢村賞が二軍投手を焼け野原に…

岡本篤志(22)
三代目総帥候補筆頭
そこそこの速さの速球と三振の取れるチェンジアップを持っているが、得点圏に走者を置くとストライクが入らなくなるという、典型的な俺達。
1ヶ月好投、2ヶ月炎上という質の悪いバイオリズムを有している。
大石達也(15)
ナベQが残り籤で1/6を引き当てて入団した期待の星。あだ名は達っちゃん
早大時代を見れば抑え専門で行きたいが、柳瀬や久米を酷使し潰した球団(当時の投手コーチは現西武の一軍投手コーチ壊し屋無能の杉本正)という反面教師の存在により、先発候補に。
まあ、抑えに回ると俺達入りしかねないし…しかも背番号15の前任者はお察し下さい
実質ドラフト1位どころか4位。一年目の2011年は競合してまで獲得した選手とは程遠いくらい普通の大卒投手になっていた。
2012年は一軍昇格を果たすも、元同僚に引っ張られるような格好で8月に二軍落ち。
長田秀一郎(34)
慶応卒。小島よしおに似てる。小野寺より遅い140キロ前半なのにずばずば空振りが取れる。最近松脂アレルギーが発覚したためロージンではなく土を代わりに使ってるとか。
唯一、他球団と遜色のない中継ぎ。
坂元弥太郎(37)
投手版喜田剛。Mr.たらいまわし。2010年の大河ドラマを見ていれば、おってなる名前。
北の球団乳酸菌飲料会社から移籍して1年目で活躍しました。調子こいて先発したら散々だったけど…脱北に成功してになり、関東へとんぼ返りし、地元に戻る。
そこそこの活躍をしていたが、シーズン終盤練習時間を勘違いする痛恨のミスをして監督の逆鱗に触れ二軍落ち。
松永浩典(38)
「甲子園は子供の砂場」発言をしたかの松永浩美とは無関係。あまりのノーコンさでついにサイドスローに転向もピンチじゃびびって自滅するのは変わらず。
あまりにも使えないため、背番号24を剥奪される。
2011シーズンは星野さんに代わってワンポイントの座を射止める。
ウィリアムス(54)
左投げの抑え候補の助っ人。
投球スタイルは阪神のあの人の晩年そのもので、背番号も54。クイックが苦手。
サイドから放たれる150km/hの直球にカツンと曲がるスライダーを持つが、いかんせんコントロールが日によってバラバラ。
初球ストライクが入るまで、ファンはドキドキである。それでも西武の中では、一つ頭の抜けたセットアッパーなのは間違いない。
末永く頑張って欲しいけど今年で38歳なのよね…。
ブライアン・シコースキー
グルグルグルグルグル(ry。
千葉ロッテマリーンズから来た豪腕。
グラマン復帰までの暫定的クローザー。と思いきや2010年パリーグセーブ王。
2010年8月下旬まで「リードしての登板で救援失敗0」という絶対王者っぷりを発揮していたが、シーズン終盤の肝心な試合で救援失敗を重ね、優勝を逃した一因に。クライマックスシリーズファーストステージ第一戦の救援失敗で「寛容力」の著者の寛容力もついに限界に達し、第二戦の1点リードで迎えた9回は起用されなかった。素人目で見ても、あれ、タダの過労じゃねえの?そんなわけで2011年早々と戦線離脱し戦力外。
その後傷が癒えたらしく、西武にテスト入団し、合格。

新人投手[編集]

増田達至
2012年ドラフト1位。ナベQの元同僚が監督を務める社会人チームで監督に抑えとして徹底的に鍛えこまれた。
ナベQがクジ引き当てた瞬間に「6枚目として…」とか世迷言抜かし始めたのに焦ってか、「プロでは抑えとして勝負したい!」と強気な自己アピール&監督が「抑えとしてならプロで十分やっていける、ナベちゃんには一番必要な戦力」とニッコリ笑顔で釘刺したのが功を奏してか、大石と二人で来年は抑え候補としてラインナップされた。俺達解消の希望の星。
高橋朋己
2012年ドラフト4位。
昔、日本代表合宿に参加していた社会人右腕。肩に若干の難があるため、先発ではなく中継ぎ候補。有能な選手であることには間違いないのだが、増田・相内・佐藤が濃すぎてどうしても空気に…
佐藤勇
2012年ドラフト5位の高卒左腕。
この子もドラフト指名特集特番で「母子家庭の5人きょうだいの末っ子として育ち、兄3人と姉は中学を出てすぐに就職したが弟は高校に進学して野球部へ入部。その際にお母さんに5万円する高級グローブを買ってもらい、それを大事に使ってきた」と言うバックグラウンドが公開、視聴者の涙を一遍に誘った。またその後の会見で「(契約金で)お母さんに恩返しがしたい」とか言うんだもん。
入団契約した時には「契約金は故郷の福島県に寄付する」とまで言い放った。何、この人格120点の未成年は。細川も見習え、コノヤロー。

コメント コメント新人選手は本記事ではコメントアウトしている。一軍で出場してからでもいいのではないかと考える。


捕手[編集]

星孝典(25)
星秀和と混同するよ。注意。球界の盟主と自称する球団から来たほしほしゅ。
銀仁朗が怪我で離脱している間に2番手捕手として定着。菊池・岸との東北バッテリーでは相性がよく、特に菊池の専属女房。楽天と菊池に次ぐ東北の希望の星。孝典と菊池雄で「星星バッテリー」や「東北バッテリー」と呼ばれている。
毎試合配球メモをとるなど熱心で、リード面では銀仁朗を凌駕しているため、本当の正捕手は星という声が一部から聞かれる。
その甲斐あって2012年からは背番号が25に変更(ちなみに銀仁朗は27)。でも野田の22番継承してほしかったなあ。
炭谷銀仁朗(27)
炭の谷に住んでる人。が大好き。レイザーラモンのあの人とは遠い親戚。
好調時は金仁朗、さらに調子が良い日はプラチナ仁朗に進化するが、最近はもっぱら錆仁朗と呼ばれている。
実家が畳屋など、リアルドカベンの経歴を持つ男。
阪神タイガースあの人に憧れるあまり、しぐさやバッティングフォーム、淡白な打撃までも真似し、涌井といっしょに何かすごい賞をもらった模様。
2011年、福岡に逃亡した若頭に代わってついに球団の正捕手になるも、オールスターで炎上する武田勝に対するリードが悪すぎるとボヤキの爺さんボールに呪文を唱える人、そして解説者とファンにまでもそのリードを酷評される。その後怪我しちゃったのでもう勘弁してください…
2012年は開幕からやたらと盗塁を刺しまくり、4割を超える盗塁阻止率と1割を超える打率を記録し、金色のグラブをゲット。
肩が買われて日本代表にも選ばれ、オフのキューバ戦で値千金のHR。なお、この年のシーズン本塁打数は0である。
上本達之(49)
98甲子園のサヨナラボークの当事者。
ATMから無心して書類送検。
それでもめげず、ダルから代打で逆転2ランを打ったり、7連敗を止めるサヨナラ3ランを打ったりと活躍している。
本職は捕手だが、一塁、外野も守れる便利屋。左の代打の切り札等、まだまだ頼りになる存在。
応援歌が何故か「ライトフェンスを直撃」だが、普通にホームランを打てるので越えて欲しい。

内野手[編集]

金子侑司(2)
2012年ドラフト3位。新アイドル候補。俊足好守の内野手でショート候補だけど、打撃に難あり。なんだこのショート候補の飽和状態は。
山崎浩司(5)
戦犯とのトレードでやってきた。
セ・リーグとパ・リーグの両方で隠し玉を成功させ、記念Tシャツまで発売されたという凄い経歴を持つ。先輩に対しても容赦なし。
ただし、最近はオリンピックがある年に移籍している。ということで2016年に移籍予定。
ヘルマン(6)
ケガがちの片岡の穴を埋めるためにやってきた内野手。どんなときも全力疾走&ヘッドスライディングが持ち味。センターやったりサードやったり色々守れるがセカンド以外はお察し下さい
とにかく足がべらぼうに速い。牽制悪送球で一塁から一気にホームインするとかおかしなことやっとる。色々と見ていて面白いドミニカン。
ライオンズの歴代助っ人最多盗塁記録を更新。
打率は高くないが、ボール球のハーフスイングを止めるのがうまいのと大げさな避けっぷりで出塁率はいい。何気に得点圏打率も高く、通称「打点乞食」。特にランナー3塁と満塁時での成績が鬼。何せシーズン開幕してから3ヶ月近く経ってその間ほぼスタメンで出続けて、やっと打った来日1号HRがグランドスラム。
3A時代の成績が非の打ちどころがないほどすごい。もっと早く日本に来てほしかった。
斉藤一美曰く「ドミニカ製高性能小型ミサイル」
片岡治大(7)
走ることしかのないK-POPアーティスト。(本人も認めちゃった。)
初球ぽp量産機。
2007年から4年連続盗塁王に福本以来の3年連続50盗塁達成という世間のイメージ以上にすごい人。
脱臼癖を抱えており、近年は怪我の影響を隠せなくなってきた。
まだまだ老いるには早いが、盗塁死が増えてきたのも心配。
2013年からは登録名を「片岡治大」に変更。やすゆきとは読めない。
オーティズ(14)
下記のホセのように、パ・リーグを転々とし、2012年6月に入団。
内野と外野どこでも守れるが、守備はお察し下さい
浅村栄斗(32)
高3夏の甲子園で大阪桐蔭の1番打者として走攻守に活躍し打率.552・2本塁打の成績を残し優勝に貢献したのに、なぜかドラフト3巡目まで残っていた。
ナカジの後釜候補No1。しかしナカジがショートから離れないので、レフト、ライト、ファースト、セカンド、サードと守備位置を転々。
ナカジが故障でスタメンを外れても、永江恭平と原拓也がショートを守り、浅村はセカンドとファーストを守っている。
そしてナカジは2013年にアメリカに行き、浅村の明日は如何に。
鬼崎裕司(56)
あの俺達二代目総帥・力者とのトレードで神宮からやってきた。通称根性バント。2012/9/22の日ハム戦、8回裏無死一二塁、ツーストライクの場面でバントを決め、まさかのヒロインに選ばれた。原よりも根性があると思った人は多いだろう。
永江恭平(59)
甲子園水増しスピードガンで149km出した強肩ショート。
浅村をセカンドに追いやって、ナカジがメジャジとなった後のショートに入る予定。
2012/7/16の日ハム戦、9回裏の1死満塁から守備固めでサードに登場。プレッシャーのかかる場面できっちり打球処理。原より余程守備固めに向いてると思った人は多いだろう。
あまりにも打てないと思っていたら、ナカジ腰痛発生時まで一軍では守備練習しかしていなかったことが発覚。打撃は長い目で見てあげよう。
中村剛也(60)
おかわり。
三振のし過ぎで二軍落ち……も今は昔。現在は立派に中軸を打ってる。足が速いのはもう皆知ってるが、それでも急に走られたりするとハラハラする。
彼に統一球は関係なく、2011年に最終的に自身最多タイの48HRで2位のロッテ選手を2本差で振り切り本塁打王を獲得。よってこのボールは「飛ばない(って触れ込みで出てきたくせに何これ。実際は飛ぶじゃん詐欺じゃん、この)ボール」の略であることが彼によって判明。
近年は怪我が多く休みがちで調子も不安定だが、いるといないとでは大違い。
2010年怪我、2011年活躍、2012年怪我ときているので、2013年シーズンは・・・手術で半休確定らしいです、はい。
大阪桐蔭に進学したのは、通学時間が家から5分という「近いから」が理由らしい。スラムダンク流川か!

金子も同じ理由でコメントアウトしている。


外野手[編集]

栗山巧(1)
下手に手を出すと逆襲を食らうので十分注意。
豚コーチこと大久保博元から散髪指令を受け、伸ばしていた髪をばっさりと切り落とした。が、伸ばしていた当時よりイケメンになったため、「短髪でイケメンな奴が本当のイケメン」の法則に基づき、彼はイケメンであると考えられる。
野球選手の握力王を決めるバラエティ番組の企画で、如何にも強そうなガタイのいい選手を押しのけトップになった。握力は80.7kgだった。
昔は中学生に馬鹿にされるほどの守備力を誇っていたが、ゴールデングラブを獲るまでに成長。
タイムリーやサヨナラ打を打った後のドヤ顔はもはや名物。そのため、彼が打つのはタイムリーではなく「ドヤムリー」である。
2012年シーズンより選手会長&キャプテンに就任するが、選手会長経験者は100%他球団に移籍するというジンクスがある。なので、選手会長は武山辺りにしとけば良いんじゃないかと思うんだが…。
大﨑雄太朗(9)
G.G.の息子。そっくり。ドラフト下位指名ながらも活躍している。東野峻といい渡辺直人といい、茨城県出身のプロ野球選手は下位指名になるほど活躍するのか…。
常総学院出身、木内の爺さんの教え子のため、野球偏差値はなかなか。
得意技は芸術的なレフト前もといモノマネ。
二軍で3割を打ち続け、二塁もこなしていたが、一軍での守備のやらかしが監督の心証を悪くしており、なかなか一軍に上がれなかった。
2011年に3割をマークし、2012年に二度目のプチブレイク。特に6月の月間打率が.375と化け物じみている。
坂田遼(31)
ぺヤング。左のおかわり。
打った後のフォロースルーが美しい。いつかおかわりと4番5番コンビをと思うファンも多い。
守備も案外安心できる。本家同様、意外と俊敏なのか?
しかし、本家と違って統一球には対応していない。
星秀和(33)
ナベQの高校の後輩。お気に入り。捕手として入団したが銀仁朗の入団であっさり内野転向。と思ったら外野も守ってる。
よく目薬をさしていてその直後好プレーを見せたこともあり「あの目薬はなんなんだ」と問い合わせが一部に殺到したという。
打撃フォームはいつの間にか掛布
2011年は秋山、熊代、斉藤にあっさり抜かれて厳しい立場となったが、2012年はまさかの捕手で出場。しかも星→星という交代。審判、星捕手と言っても、どっちの星だか分かりませんよ?


米野智人(36)
傘を振り回す球団から来たお茶!wの人。通称決意のコンバート。2012年、4月26日の戦ではワイルドファルちゃんから満塁ホームランを打ち、斉藤一美を泣かせ、工藤公康を黙らせるなど活躍。
このHRはAS前までのファンの希望であり、某動画サイトでは↑の実況付きの動画が再生数1位になっていた。
木村文紀(41)
ハンカチ世代。セの不人気の増渕君を抽選で外したため、外れ1位で獲得。
ナベQの背番号41を背負う。その重さに負けていたが、2011年後半戦から覚醒しつつある。俺達として。はまった時のピッチングは大沼を彷彿とさせる。
地元埼玉出身であり、ナベQの背番号を引き継いだためか、球団からの期待値は高い。オフは毎年のようにハワイウィンターリーグやオーストラリアウィンターリーグに派遣されている。
結果が伴わないと思っていたら外野手にまさかのコンバート。決意のコンバート2世になれるか?
嶋重宣(42)
5位力が凄まじい赤い鯉のチームから来たゴジラ。移籍後1号が満塁ホームランとド派手だったけど、俺達によってヒーローになり損ねた。その後はお察し下さい
高山久(44)
1999年ドラ1であることは、もうファンですら忘れている。
打撃フォームがいつの間にか落合になっている。
2010年戦力外候補筆頭と思われていながら活躍、2010年の安打数>2000~2009年の安打数、2010年の本塁打数=2000~2009年の本塁打数になった。
2011年から魔法が解けてしまい確変が終了。熊代・秋山の台頭で再び苦しい立場に。
握力はキャプテンよりも高いと言われている
石川貢(53)
走塁型の外野手。守備はお察し下さい
足がそこそこ速く、守備が下手、右投げ左打ちという境遇は2005年の栗山を彷彿とさせる。
しかもデッドボールで骨折とは…そこまでイケメンではないが、本当に栗山2世かも。
秋山翔吾(55)
西武ファンなら誰でもロマンを感じる苗字と名前。あ、ロマンと言っても一場靖弘でもロマンでもありません。
新入団選手発表で、背番号が24でないことに違和感を感じたファン多数[1]
2012年には中村不在時に「3番 センター 秋山」が実現。
強肩俊足好守と守備走塁は本家並。特に肩は懐かしの羽生田忠克を彷彿とさせるレーザービーム。ライトからノーバウンドでホームに届く。
長い間弱肩拙守だったライオンズ外野陣にようやく補充された強肩外野手。ランナー2塁でライト前ヒットだと、相手3塁コーチは殆どランナーを制している。そして聖域栗山からセンターをもぎ取った。2011年の菊池の完投勝利もCS進出も完全に彼のおかげでした。
まだ若手なのにレーザービームも含めて守備のクオリティがマジでパねぇ。なのでパ・リーグが公式でアップするyoutubeのファインプレー系動画には彼と岡田幸文の動画が多いため、別名「岡田秋山チャンネル」とも呼ばれている。
余談だが顔がウナギイヌに似ている為、キャプテン発案の元、秋山翔吾のうなぎTシャツ&タオルなるアイテムが発売された。
熊代聖人(58)
高校時代は佐藤しょーまきゅんから決勝ホームランを放つなど活躍。
たこ焼き君。
上述の秋山と並ぶ俊足強肩の外野手。斉藤・秋山・熊代と、今まで弱肩拙守だったライオンズ外野陣に灯った希望の光。
スイッチヒッターになったが、対右打率はサッパリ変わらず依然として対左の先発止まり。
高校時代は140km/hを超える速球を投げていたので、秋山並みの強肩を持つ。ライトが秋山でなく熊代でもなめたらあかんて。
田代将太郎(61)
2011年ドラフトで入団。八戸大では秋山を差し置いてセンターを守っていた。また足が速い。ここ2年で外野守備が相当堅くなるぞ。
斉藤彰吾(65)
弱肩・拙守の外野陣に割って入る強肩の守備型外野手。
豚コーチの教えか、二軍でバッティングが開花。一軍も経験し2011年以降期待大。
横浜ハーパーの来日初本塁打(二軍)をフェンスの向こう側でキャッチして阻止したのはこの人。
熊代、秋山の出番が増え、おもに守備要員に。懲罰ドラフト組の中で武隈と並ぶ当たりくじ。

主なマスコット[編集]

レオライナとあと何匹か
ライオンのボス的存在。千葉じゃないので鼠王国じゃなく手塚先生仕様。

首脳陣[編集]

一軍[編集]

渡辺久信
監督。通称ナベQ。現役時代は西武黄金期の右のエースとして活躍。イケメンで女性からの人気も高かった。帽子の下はお察し下さい
1983年ドラフト指名記者会見のパンチパーマリーゼントに驚愕した人は多いはず。
1989.10.12の対近鉄ダブルヘッダーで自信満々で投げ込んだ高めストレートをラルフ・ブライアントに上段まで運ばれてorz
TV等を見るとわかるように大抵隣にレオちゃん人形が置いてある。こっちが西武の本物の監督という噂も…。
ドラフトのくじ引き係っつーか2年連続で1/6を引き当てる驚異的運勢の持ち主。
就任以来、暴力野球、殺人野球と呼ばれる報復行為のサインを出している。まあサイン通りなのかただのノーコンなのかは投手に聞いてみないとわからないが、おそらく後者であろう。
杉本正
小野の後任の投手コーチ。通称デス杉本。
わしが許さんに「稚拙な継投」と評させる継投をしたり、投手を潰したり、ルーキーの投手を酷使して潰したり、ベイスターズの防御率をリーグ最下位にしたり、前年度1位だった韓国の球団に呼ばれるも途中で二軍に降格し1年でチーム・防御率共に6位にして解任されるクラッシャー。
ライオンズでも無能っぷりを発揮し、チーム防御率リーグ5位、中継ぎ防御率は12球団でダントツの最下位だった。
交流戦最終戦の広島戦はまたも中継ぎ陣大崩壊で試合終了後にミーティングで無能杉本は「試合をつくれていないので何か考えないと。個々に意見を出し合った」と発言。投手陣崩壊の原因の一人だろうお前は。
いつも険しい顔でベンチにいる。東尾修とは現役時代から仲が良く指導力がなく選手を潰す無能なのにコーチやフロントの仕事に就くなど世渡りのみ超一流である。
石井貴
一軍投手コーチ。
90年代の西武を支えたエース。
いた年々ずーっと「モンスター」(石井丈、豊田、西口、松坂etc.)が一人はいたから不動のエースって訳にはいかなかったけど、実は2桁勝利をバンバンやってる上、キャリア最後の賞が2004年の日本シリーズMVPというとんでもない人。
当初は二軍投手コーチを担当。実績的にも人望的にも本来なら一軍コーチだけど、「だからこそ二軍をお願い!」と監督に頼まれて現在二軍投手育成していた。育てた選手は特にいないけど…。
現役時代のあだ名は「投げる金剛力士像」「レクター博士」。
光山英和
作戦兼バッテリーコーチ。
縁もゆかりもなかったがファイターズ贔屓の放送局からやってきたバッテリーコーチ。なぜファイターズのコーチにならなかったのかはお察し下さい
河田雄祐
一軍外野守備走塁コーチ。
現役コーチでは一番長い2003年からライオンズでコーチを続けている。地味で目立っていなかったが、帝京魂を持った先輩にいじられかなり知名度が上がった。
あだ名は「ベム
田辺徳雄
一軍打撃コーチ。
黄金時代後半は9番ショートが定位置。
応援歌の歌詞がが水戸黄門チック。「人生楽ありゃ、苦もあるさ~ゆけゆけGoGoGo!…」って。そのままじゃん。
二軍打撃コーチだった頃は結構有能で、浅村のアッパースイングを矯正したりと指導能力が高かったためか、一軍打撃コーチに昇格。
安部理
一軍打撃コーチ。
黄金時代は日替わり7番レフトの一員。
なんでこの人が? って声が当初は挙がった。てっきり、白にゃんこ打線の4番かと思ってた。
奈良原浩
一軍内野守備走塁コーチ。
黄金期末期のショート&ガムヲが来てからはセカンド。98年ハムに移籍。

二軍[編集]

潮崎哲也
新二軍監督。黄金時代のサンフレッチェ(杉山・鹿取・潮崎)の一人で、伝説のシンカーの使い手。
黒田哲史
元々用具員だったのになんとなくコーチになっちゃった幸運の持ち主。
現在は二軍の守備走塁コーチだが一時期は何かの間違いで一軍打撃コーチ補佐を担当していた。通産58安打の男に補佐も糞も…
妻はタイムショックの置物
宮地克彦
二軍外野守備走塁コーチ。
日替わり3番の一角。ダイエーに移籍した後はリストラの☆になった。
橋本武雄
二軍投手コーチ。
ハシゾー。俺達が誕生する前の優秀な左のセットアッパー。
引退後はコーチ。
高木浩之(1995-2008、2013-)
二軍打撃コーチ。
現役時代はセカンドで神的な守備を見せた。視力障害がでたタイミングで初球K-POP王が台頭した。

OB[編集]

西武ライオンズは、たくさんの有名な選手を生み出してきました。

歴代監督[編集]

根本睦夫(1978-1981)
特殊潜航艇の異名をとった球界の寝業師。
戦国時代なら毛利元就宇喜多直家松永久秀に匹敵するほどの謀略家。
広岡達朗(1982-1985)
管理野球で黄金時代の礎を築いた。
玄米食、豆乳…今でいう健康食品を選手に強制した。
根本管理部長や森ヘッド(のちに監督)と確執が生じ、辞任。
森祗晶(1986-1994)
黄金期時代の監督。90年代前半、当時のオーナーに「監督をやりたければ、どうぞ」と言われた。
東尾修(1995-2001)
革靴を裸足で履く人のお義父さん。現役時代はスライダーとシュートを武器にマウンド上でリチャード・デービスとプロレス大会を開催するなど、西鉄暗黒期~西武黄金期を支えた。
90年代後半の「白にゃんこ打線」の生みの親。解説は酒を飲みながらやっている。
伊原春樹(2002-2003)
黄金期時代の頭脳。鬼軍曹。監督だった頃は、伊原さんと呼ばれていた。
「ライオンズブルーの血が流れている」と言いながら紳士集団であることを自称する球団のヘッドコーチをやってた。
伊東勤(2004-2007)
東尾とは犬猿の仲の不動の正捕手だった。彼の前で超有名野球漫画を読んではいけない。
彼の監督最終年は、現役でも経験したことのない26年ぶりのBクラスの責任を取り辞任。
雰囲気が暗く、観客動員は最低。
ただ、彼のもとで育った中島、栗山、中村、片岡、涌井らが翌年の快進撃を呼ぶ。
お菓子に釣られ、2013年からは黒いお菓子球団の監督に。

チームスタッフ[編集]

西武は引退したOBを積極的にチームスタッフないしはコーチとして雇う面倒見の良さで有名。沼者?えーと…。

谷中真二(1997-2001,2008-2010)
チャラ尾との交換トレードで阪神に行って輝いた。
2008年に戻ってきて2009年の戦力外候補と思われたが、三井浩二岡本慎也を差し置いて何とか生き残った人。
2010年東京ドームでの巨人戦で敗戦処理ででるなど活躍するもさすがに戦力外通告され引退。お疲れ様でした。
現在は打撃投手をやっている。
大島裕行(2000-2012)
翔さんの前の高校通算本塁打記録保持者。高校時代は暴投王からHRをかっとばしていたが…
今やチャラ尾さんの影響で日サロ通いが続き、本業はもうお察し下さい
彼の実績により、高校通算本塁打はあてにならないことがはっきりとした。
泥臭い打撃を身につけ、一軍でも凡退の場合でも地味に進塁打だったり、見えないところで活躍する。けど、大島パワーとは何だったのか?
2012年を以て潔く引退。現在は若獅子寮の副寮長。
佐藤友亮(2001-2012)
秋山と熊代が入団するまでは、西武で唯一守れる外野手だった。スタメンは少ないが抹消されるとファンが焦る。
打撃は非常にイマイチだが左投手、特につよぽんにはなかなか強かった。
頭髪が監督ほどじゃないけど、だんだん寂しくなっている…。
巷で流行のスポーツ速読をやっていたらしいが、効果はあったんだろうか??
2012年を以てエリートもついに引退。
現在は編成部アマチュア担当。
平尾博嗣(2001-2012)
西武の元木大介。あの歳であのスタイルは、はっきり言ってキモ(ry
それでもチャンスでしっかりと打ってくれるから良しとする。出家後はより勝負強くなった。
実質生え抜き。代打の神であり、困ったときの平尾さん。
2008年日本シリーズでの八面六臂の大活躍をファンは一生忘れません!
現在は阿部とタッグで、球団職員に。
小野寺力(2003-2011)
二代目総帥
守護神の座を外国人に奪われた。でも2008年は中継ぎでそこそこ活躍。しかし2009年は、炎上しまくり、第二球場に強制送還された。
パワポケ10では先発として扱われていた。
二代目襲名直後のトレードは、一部ファンを震撼させた。
2012年移籍先のヤクルトでも戦力外となり引退。2軍用具担当として復帰したが、なんやかんやで狭山丘陵の居心地がいいのだろう。現在、「イケメンすぎる2軍用具担当」としてブレイク間近。
阿部真宏(2010-2012)
赤田将吾とのトレードでオリックス・バファローズからやってきた内野のユーティリティプレーヤー。守備固めとして普通に期待と思いきや中村・片岡不在時に大活躍。
現在は平尾とタッグで、球団職員に。
芝崎和広(1997-2005)
97年ドラフト6位、通称「闇の97年ドラフト組」の一人。その中でも一番頑張った人。
現在は打撃投手。

その他のOB[編集]

土井正博(1975-1981)
この人に育てられたライオンズの名選手は数知れず。選手もファンも感謝すべき存在。
清原にデッドボールのよけ方を禁則事項ですにより教えることが出来なかった。
他球団ファンにとって彼の白髪・白ひげはかなりインパクトが強いらしく、ネット上で「あの白髪の爺ちゃんは誰だ」という質問をよく見る。監督より目立ってんじゃねぇの?
セの赤いチームに行けば、見た目サンタクロース間違いなし。
もう70歳近いけど、握力は50キロ。しかも打撃指導のスイングの鋭さはDHなら現役でいけるレベル。
秋山幸二(1981-1993)
AKB48の一角。超人的なプレーでファンからの人気も高かったが、スーパーマーケット球団にトレードされ、現在は携帯会社球団の監督。気性が荒い。
石毛宏典(1981-1994)
チームがピンチになると宇宙からやってきたウルトラセブン。西武黄金期のリーダーとして、うまくチームをまとめていた。守備は秀逸、3割20本20盗塁が常に期待でき、おまけにバントまでうまいというすごい選手だったが、監督就任を断って移籍して以降はお察し下さい
ヒウィッヒヒーでライオンズ愛を感じるツイートが目立つ。将来幹部での復帰あるな。
工藤公康(1982-1994,2010)
16年の時を経て、カムバックしたハイパーおじさん。西武黄金期の左のエース。2010年は恐らく、現監督を「ナベ」と呼べた唯一の所属選手。
やっぱりモーロクなのか、出てきたらハラハラする投球をされる。と言うかした。監督より年上なためか打たれてもなかなか二軍に落ちなかった。そして戦力外に。いっそのこと、焼け野原の投手陣を何とかして欲しいが…。
黄金時代は、当時ボリュームのある頭だった監督と共に、「クドちゃんナベちゃんのキャンプフライデー」なるものをやってた。
ライオンズナイターのゲスト解説を務めたが、自分以外最年長の西口との面識は無いとぶっちゃける。2010年は黒歴史なのか?ファン感謝祭では戦犯になったこと認めたのにね。
まだ現役を続けるかと思いきや、なんとモバゲーベイスターズの監督になってしまった。と思ったら絶好調にその座を譲ってしまった。そしてひっそりと現役引退。
文化放送ライオンズナイターで号泣アナとよくコンビになる。
大久保博元(1985-1992,2008,2010)
捨てられた球団に戻ってきた上、捨てられた時は恩を仇で返したプライド無きピザ。ヘタに動かすと以下略。傷害容疑で書類送検。またノコノコと戻ってきたが結局やらかしてクビ。裁判所に仮処分申請するも却下され殊勝なコメントを出し一件落着…かと思いきや忘れた頃にいきなり提訴。
2008年に育てたおかわり中村が統一球の影響で2011年に特にハネたため、あちこちで「私が育てました、私の手柄です」体で取材を受けてる。「今より1、2m位手前で打つように」指導したのはもう聞き飽きましたって。1年で4冊ぐらいの雑誌で見たから、そのフレーズ。でもそのおかわり本人が「2011年は大久保さんに教わる前に戻した」と発言しているのは禁則事項です
菊池をボコってクビになったのが分かったとほぼ同時に実は左肩をケガしてたのが分かったので、多くのファンからは「まさか、あの野郎…」と言う疑惑が消えていない。
2011年から楽天の打撃コーチに。いや、あの…、東北の皆さんに勇気と元気を与える前に首脳陣のトータル好感度が低すぎるんですが…。
楽天では一時期3位だったが、何かやらかしていたのか5位に転落。まあ、2008年も「前のコーチ(土井お爺ちゃん、立花コーチ)の指導の賜物」とか言ってたしな。能力疑問視されてもおかしくないぞ。打撃投手に罵声を浴びせてワシに激怒されて二軍監督に降格するなど、やはりコーチ能力はなかったようだ。臭い物に蓋方式で楽天の2軍監督に。
清原和博(1986-1996)
誰もがご存知番長清原。西武時代はスマートな好青年だったが、水道橋ナベツネズに行って地蔵と化す。プロ野球に数々のドラマを生んだ、素晴らしき打撃三冠無冠の帝王。
何だかんだで西武の居心地が良いんだろう。2011年は何とライオンズナイターのイメージキャラクターに就任。解説した時の試合はほとんど勝ってるとか。2012年は西武のユニフォームを着ていた。
PL学園→黄金期西武と見た目とは裏腹に野球偏差値が高いので、打撃コーチもしくは二軍監督待望論も一部である。
タイラー・リー・バン・バークレオ(1987-1990)
清原、秋山と共に本塁打アイドルユニットAKB48を結成し大活躍。
鈴木健(1988-2002)
清原が抜けた後の4番打者。2002年にヤクルトに行ったが、応援歌が何故か新日本ハウス
オレステス・デストラーデ(1989-1992)
本塁打王、打点王を獲得したキューバ製サイボーグ。西武黄金期の5番打者。そのパワーは今も健在で、西武球団が獲得を目指している。
森慎二(1997-2005)
150kmを超える力強い速球と落差のあるフォークボールで奪三振を量産し、
年に数回は四球と暴投で試合をぶち壊した90年代後半~00年台前半の中継ぎエース。
ランナーを出してからのチキンハートと芸術的な暴投は大沼に、球速の割に打たれる速球と襟足の長い髪型は小野寺に受け継がれた。
豊田清(1993-2005)
8年先発で2桁前後の成績で終始した後、抑え転向で覚醒、守護神の名を欲しいままにする。何だかんだで通算セーブ数は歴代10位。
その後FAで巨人に移籍。
巨人では微妙な成績だったが、そもそも西武での最終年も微妙な成績で、つまりは衰えてたってことなんです。はい。
広島に移籍後、「自分の満足できるピッチングが出来なくなった」として1年で引退。お疲れ様でした。久保に軽くアドバイスしたら覚醒して今の位置になった指導力を買われて巨人の2軍コーチのお誘いが来てるらしい。
ちなみに彼曰く「野球選手は走れなくなったら終わり(by帆足和幸)」らしいですよ、聞こえてますか、投げれなくなった人?
佐々木誠(1994-1998)
黄金時代のスーパーヒーローらとのトレード、いわゆる「世紀の大トレード」で西武に移籍してクリーンナップ・下位打線何でもござれだった万能バッター。99年に阪神に移って、その後何やかんやあって、今はNTT西日本の監督。
増田達至を「こいつはプロなら中継ぎ・抑えでやっていける」と徹底的に抑えとして育成した。その愛弟子が2012年ドラフトで1位指名され、元同僚「6人目の先発として」とか世迷言を抜かし始めたその日のうちに「中継ぎ・抑えなら全然プロでもやっていける。今の西武にもナベちゃんにも、一番必要で戦力になれる」と穏やか且つキツめに釘を刺した。そのお陰か元同僚も「来年の抑えは大石か増田か新外国人」と普通の考えに至った。サンキューサッサ。
松井稼頭央(1994-2003)
90年代後半の遊撃手を務めた。
ガムヲ
バスターでホームランを打ったこともある。
小関竜也(1995-2005)
不動の2番。
退団する際は一悶着あった上に[伊東勤|伊東]監督に全く連絡がなかったことから、西武不信の大きな一因にもなった。
その後メジャー挑戦を表明した後、読売に拾われ、最後はに。
実家はラーメン屋。
大友進(1996-2004)
小関の前はこの人が2番。
大友いいとも。足が速い。
高木大成(1996-2005)
現役時代は「レオの貴公子」とまで言われ、人気選手であり主力打者。チームの柱であったが、怪我により引退。
引退後は球団の営業(ある意味広報)となり、ファンサービスを向上させ、西武の不人気解消に努力しているが、頭がこれまた監督同様にお察し下さいな状況になってきている。
ドミンゴ・マルティネス(1997-1998)
マルちゃん。
守れないという理由で切られたが、後釜の助っ人がお察し下さいで白にゃんこ打線化してしまった。
和田一浩(1997-2007)
髪の毛はこの頃からお察し下さい
晩年はゲッツー量産機。
土肥義弘(1998-2004,2009-2010)
横浜ベイスターズから戦力外を受けて、帰ってきた左腕。ベイスターズ時代は先発だったが、西武に戻ると中継ぎに転向した。
2010年を以って中島より先にまさかのメジャー挑戦。
その後まったく音沙汰がなかったが、2012年にひっそり引退。
赤田将吾(1999-2009)
帆足の前の選手会長。オリックスに移籍した時、あの涌井が泣いた。
松坂大輔(1999-2006)
涌井の前のエース。海外に行ったら日本にいたときよりさらに太りだした。
彼により、横浜高校出身の投手は必ず太るというありがたくないジンクスが出来た。まあ、涌井曰く「西武の練習は横浜高校より楽」らしいので。
星野智樹(1999-2012)
お笑い中継ぎプロ野球選手大会、キングオブリリーフで2,3回くらい優勝している。
左打者は容赦なく咬み殺す。コバトン。2000年台前半は対松中ローズ最終兵器だった。
2012年戦力外。その後、トライアウトを経て現監督が同じ名字の球団へ。
ミンチェ(2000-2011)
日本での通名は許銘傑。許さん。FA権を取得した位ものすごい昔からいる眼鏡の外国人。
毎年、シーズン終盤の大事な試合で完投したりして「解雇ほぼ決定」→「残留」を繰り返していた。片言のヒロインがとってもかわいい。
そんな選手だから2010年も期待していなかったら中盤まで活躍。やたらとダルビッシュの投げる試合に投げていた。
2010年までは先発の時と中継ぎの時では中の人が別人になっていたが、2011年は先発では完封、中継ぎではピンチを好リリーフといい意味で別人になり、結局セットアッパーとして定着。
2011年、登録名が「ミンチェ」に。あれ? 似たような名前の投手がにいたような…。本当はもっと前から変えたかったんだけど「成績が悪くて言えなかった、2010年は納得できる成績だったので申し出た」という他の選手にも見習って欲しい謙虚さを持ち合わせている。マジメな営業マン風の見た目は伊達じゃない。
FA権取った後も「ずっと西武にいる」って言ってたのにまさかのに移籍もまさかの大炎上。
数々のサヨナラを演出。
大沼幸二(2001-2010)
言わずとしれた初代俺達総帥にして名誉総帥
結構速い球とそこそこのコントロールで二軍では神の如く(というか神)好投するが、一軍にあがると痛打され試合を壊す。
言わずとしれた総帥閣下であり、現在に生きる野球の神様であらせられる。ブルペンで球を放る儀式を執り行うことにより味方の士気を鼓舞し、敵チームを恐怖にすくみ上がらせ、数々のライオンズの奇跡的大逆転を呼び込まれた。マウンド上で持てるお力の全てを開放することは壁の無い西武ドームの屋根を吹き飛ばしてしまう恐れがあるため、ライオンズの究極のピンチにのみ、自らそのお力の殆どを封じられた上でマウンドに降臨される。立派なたてがみを持つそのお姿は獅子神レオの化身とも噂される。沼者万歳。
2011年、10年背負った背番号15を譲った上で、球界のお荷物にトレード。
開幕戦で同点で救援として出場。「四球→送りバント→四球→運よくレフトフライ」で打者森野を迎えるところ(2死1、2塁)で佐藤祥万(21歳)にマウンドを譲る。という変わらぬ投球術を披露。その後、彼は仕事をしたつもりなのだろうか。ベンチに笑顔でハイタッチして戻ってきた。佐藤が森野を見逃し三振に取り、消火をしたから良かったものの。
2012年にはスキャンダル専門誌に既婚者でありながらふしだらな生活をしていることが暴露され開幕前から炎上するという俺達総帥としての貫禄を見せる。これでは島流しにされるのも仕方ないと言える。
2012年シーズン途中、肩痛により現役引退。さらば総帥。2008.9.23の魂のピッチングを忘れません。
アレックス・カブレラ(2001-2007)
55本を打ったのも数年前の話。オリックス→ソフトバンクに渡ったが、地蔵は保管されたままである。
中島裕之(2001-2012)
女性に人気があるアイドル。足はそこそこ速い。魔送球が発動することもあり、エラーは多い。ただし古木あーっとにはとても及ばない。
サザエさんの中島ヒロシの絵を掲げられている。小学校時代はカツオこと山崎勝己とバッテリーを組んでいた。
「もし西武の最強オーダーを考えるなら」の妄想では松井と完全に二分している。
2012年オフには案の定海外FAでメジャーを目指し渡米し、マネーボールの球団に移籍。
帆足和幸(2001-2011)
日本で数少ないパーム使い。よ~く見てみると平尾っぽい…? が髪を切った。ライオンズ左のエース。
ONE PIECE好き。得意料理はハムエッグ。
地味に2011年から選手会長に。お願いだから地元の鷹には行かないでね。え?行っちゃうの?行っちゃった。
移籍を決めた日にちゃんと自分の足で球団事務所まで行って面と向かって移籍を告げた、人間として100点の対応を見せた。ちなみにファンの間では人間として帆足100点、ミンチェ14点、細川-130点とされている。
しかし福岡ではお察し下さい
スコット・マクレーン(2001-2004)
カブレラと共にツイン・バズーカを結成。
2009年、広島に半年復帰。
ベニーに投げられる細川。後ろは偶然にも体当たり大好き早川。今日もロッテの餌食である。
細川亨(2002-2010)
バスター打法が特徴だったけど今はやめちゃった。サイクルヒットなんかやった気もするけど基本は低打率。
ロッテには早川大輔に何度も体当たりされ脳震盪を起こしたり、デッドボールを受けたベニーに投げられるなどマリーンズの攻撃をある意味で食らいまくる可哀想なヤツ。ジャンクスポーツに出演した際浜田から若頭と名付けられる。
そのバット投げ名人首投げハワイアンも今はロッテにいない。
実はボヤキングに「(あの人復帰前は)今の日本球界で一番の捕手」と言われている。2010年に楽天戦で19-4のドカ勝ちをした時も打線じゃなく、若頭の「6回表の牽制」が一番褒められている。
打撃は通常は自動アウトがデフォだが、シーズンに1回は確変状態に突入し、3試合3ホーマー12打点なんてこともある。
2010年オフFA宣言。が掻っ攫っていった。そのためソフトバンクはさらに西武をカモにした。さらに、人間的に屑であったことも発覚。あの球団行くとチックもそうだが人が変わるように洗脳されるのか?オセロの黒い方のように。
石井義人(2003-2011)
そこそこ打てる選手。安打製造機として期待された。2005年にチームメイトのハゲた時計台との首位打者争い時にはインボイスSEIBUドームのアナウンスで「俺達の首位打者!」とアナウンスされていた(あれ?俺達って禁則事項です)。
サードホセ、ショートナカジ、セカンド石井義、ファーストカブレラのファイヤーフォーメーションで松坂がブチギレたのも今となってはいい思い出。
2011年戦力外で読売に拾われ復活。
後藤武敏(2003-2011)
二軍の帝王。2008年には亡き母ちゃんの力で覚醒したが、確変は2009年で終わり、2011年にはモバゲーベイスターズにトレードで移籍。
向こうではクリーンナップを打っている模様。
G.G.佐藤(2004-2011)
登録名の理由は、中学校時代のあだ名「じじぃ」から。脱いだらすごい、脱がなくても十分キモい、ムキムキの身体が自慢、というか、見た目も仕草ももはや日本人ではない。外国人枠に入るべきである。
ヒーローインタビューの時に上げる奇声が印象的。
野球ファンと一般人では彼の印象に大きな差がある
北京オリンピックでポロリの印象が強いが、2007年は136試合出場で守備率10割に2008年はパリーグ捕殺王と堅守の部類に入る。
それでも「3割20本が常に期待できる日本人選手なんてそうそういるもんじゃないぞ!!? それぐらい凄いんだぞ、彼は!!」と西武ファンの主張も空しく、「週刊朝日調べ・CMに使いたい男性タレント・使いたくない男性タレント・使いたい女性タレント・使いたくない女性タレント」ランキングで使いたくないの40位と極めて中途半端なランキングに入った。
2011年は1試合も出場せず戦力外。星野には壊されたんじゃありません、粉々にされたんです
2013年からはお菓子球団でキ・モ・ティー!を流行らせるようだ。
ホセ・フェルナンデス(2004-2005,2010-2011)
中村の離脱により急きょ再入団。オリックス時代のような成績かと思いきや大爆発で安い買い物となった。
間違いやすいがよく激走してヘルメットを落としていたフェルナンデスはない。
ロッテ→西武→楽天→オリックス→西武と転々としており、あとソフトバンクと日本ハムに入ればパリーグ制覇である。
ホセとナカジで36失策の三遊間は伝説。
山崎敏(2004-2011)
ヤマビン。山岸との中継ぎコンビが最強だったのは過去のこと、菊池雄星に背番号を奪われた。
走者を出すと投球間隔が異様に長い。これを利用して、混雑する攻守交替時ではなくヤマビン登板時にトイレに行くのが通のライオンズファン。
正津英志(2005-2009)
勝ち運に恵まれており、10年以上やっているのに未だに負け数が2ケタを超えていなかったが、2009年4月18日に2ケタになってしまった。『ほにゃ~』とした雰囲気が出ている。地味だが2008年シーズンはそこそこ活躍していた。
江藤智(2006-2009)
昔は広島、巨人でも大活躍していたが今ではその存在を忘れられている。それでもけなげに頑張っている江藤さん…、惚れてまうやろーーーー!
おかわり君に4番としての帝王学とHRの打ち方のコツを伝授したのはデーブではなく江藤さんというのがもっぱらの話。
岩崎哲也(2007-2011)
一年目はキングオブリリーフ星野智樹の登板回数を超え、新人王候補に選ばれるなど大活躍するも、二年目になると二軍暮らしの続いた選手。これまた2011年戦力外に。トルネードサイドという独特のフォームだったが、後年牧田で味占めた。
みなみ。…おもちゃじゃないけれどね。
ジェーソン・ジョンソン(2007)
松坂の穴を埋めるべくやってきたが、3億が無駄になる悲惨な成績に終わった。
アレックス・グラマン(2007-2011)
笑顔が怖い強面。
先発時代は俺達を支えた炎上投手の一人だったが、中継ぎに回ったら途端に好投した。抑えに回り、西武の守護神の座をほしいままにしているにも関わらず、恐ろしい程に目立たない。彼も電車通勤をしており、チームのみならず親会社への貢献度も高い。彼がいなくなってから終盤逆転負けを食らう試合がかなり増えた。
2010年怪我が治ってからは中の人が変わり別人のように打たれるようになってしまった。
2008年日本一の立役者も2011年限りで戦力外。
種田仁(2008)
がに股打法で有名な人だが、ここでは一軍出場がないまま引退したため、所属していたことを知る者は少ない。
クレイグ・ブラゼル(2008)
当たればボールどっかとんでく人。4番なのに電車で通勤。親会社に貢献している。しかし、デーブと衝突して退団し藤本の存在に気がつかない球団に拾われた。しかも伸び伸びと超絶大活躍で向こうのファンは「安値で最高の買い物や!」って喜んでたのに、統一級の影響をバリバリに受けて調子を崩して2012年を以て退団。
ヒラム・ボカチカ(2008-2009)
代表がダジャレで取ってきたボーカロイド。ピッチャー?ボッカチカにしてやんよ。まゆ毛がキリッとしている。誰がなんと言おうとWBCプエルトリコ代表である。
原拓也(2008-2012)
弱肩に定評のある外野陣よりよっぽど肩のいい内野手。
内野の穴を埋めるユーティリティプレイヤー。
俊足選手に見えるが、実は走塁面でおかわり君より禁則事項です
強肩堅守にバントもこなす、字面だけ見れば使い勝手のいい選手だが、競った終盤にバント失敗、1点差ゲームで狙ったようにエラーと致命的な勝負弱さでファンにはあまり評価されてなかった。
ナベQのお気に入りと言うのは嘘だったのか、猛牛へトレードされた。
清水崇行(2009)
巨人ではライトへの弾丸ライナーが危なかった。気付けば引退していた。
藤田太陽(2009-2012)
タイタイマン。
阪神タイガースから飛ばされて来た愛すべき1.5軍選手。思った以上に使えている、きっとみんなうれしいハズ。
ブログが笑える。ほとんど毎日更新している。しかも試合終了後30分前後で即更新される。
2012年戦力外。広報お疲れさまでした。その後東京本拠地で巨人じゃない方に。力者と言い、俺達回収が趣味なのか?まあ、そもそもの大元がコーチやってんだから、お前んトコが責任取れやって話ではあるのだが。
ディー・ブラウン(2010-2011)
レフトの守備につかれるとハラハラする。
彼にとって、チャンスで打席が回ってくると「マネータイム」となり、気合が入る。が、三振も多い。
彼が打席に入るとき、ファンは「ディー!」と叫ぶが、ブーイングにしか聞こえない。
ライアン・マルハーン(2011)
不振の打線のテコ入れとして途中入団した助っ人。チームは最下位なのにオールスター明けからだいぶ経った8月過ぎから合流した。プロ初打席がホームランで一瞬喜んだが、よく考えればそれは外れ助っ人の証。その後は見事に尻つぼみ。
野原しんのすけ(2011)
カスカベからやってきた大型新人。出塁率100%ネ申おすわり君とコンビを組んでいたが、ケツだけ歩きによる走塁を違反ではないかとNPBに見咎められ検閲により削除されてしまった。[1]ちなみに中島がメジャー入りを決断したのは、自分の打席でこの人が代打に出たからと言う説もある。
江草仁貴(2011)
黒瀬とのトレードで阪神からやってきた。第二の太陽になるかと思いきや防御率詐欺の触れ込み通りあっさり打たれるなど幸先の悪いデビューとなった。その後もぱっとせず二軍に落ち着いていた。2012年にはファンだったという広島へ。結局西武には、炎上するために来たようだった。
その後ロンドンでめちゃくちゃ頑張って感動を与えた人と結婚! 勝ち星もホールドもセーブもゲットせずに、嫁をゲットするとは…。ヤるこたぁヤってたのね…。
ゴンザレス(2012)
右投げの抑えの助っ人だったが、見事に大炎上。にもかかわらず他にクローザーを任せられる選手がいないと言う実状が、春先の順位(最下位)を物語っていた。その後も調子が上がらずさすがの寛容力も限界で二軍へ。
後半戦は先発に転向し微妙な好投をしていたが、あっさりと戦力外。
マイケル中村(2012)
北の最果ての守護神も球界の盟主(笑)では不調もあったが干されて、狭山丘陵にやってきたが1年のみの在籍で選手としておしマイケル(引退)。
カーター(2012)
5番候補としてやってきた左の大砲だったが、早々と右膝の内視鏡手術でリタイア。
真面目そうな見た目とは裏腹に打ちたがり&闘志満々。しかし、初安打初打点は打席で冷静になった時だった。
来日初ベンチでずっとバットを持ってウロウロしてた。基本的にベンチでソワソワしている。
父・弟・叔父が医者、もう一人の弟が空軍パイロットというエリートファミリーにあって、本人もスタンフォード大学を飛び級し3年で卒業したインテリ。
栗山離脱後、淀んだ空気のチームメートに対してミーティングで「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない」って言ってチームが勝った。メッチャ熱い。来日1年目から現役選手どころか、もっと上の編成部長とか球団部長の雰囲気を漂わせた。
お立ち台での「ディシキレ!(出しきれ!)」の絶叫が名物となりかけていたが、熊代に「オツカレチャーン!」なる古~い&寒~いギャグを仕込まれてからは、そちらにシフト傾向。
将来はライオンズの監督もしくは駐米スカウトとしての活躍が早くも期待されている。

なるべくオリックス・バファローズのようにするのが理想だが、ウィキでやれと言う方もいるが難しいようなら埼玉西武ライオンズの選手一覧で納められるなら納めてみよのこと。ただここに限らず、広島東洋カープあたりも必要な気がしてる・・・。


注釈[編集]

  1. ^ 24はマルハーンがつける