北大阪急行電鉄南北線
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
北大阪急行電鉄南北線(きたおおはんきゅういきでんてつなんぼくせん)とは、チョー短い鉄道路線である。大阪市営地下鉄御堂筋線と相互直通運転をしている。一般市民からは「御堂筋線のオマケ」として親しまれている。愛称については、Wikipediaには「北急(きたきゅう)」と書かれているが、これは誤りで、「北阪急(きたはんきゅう)」が正しい。
管理・運行は大阪府と阪急王国の一員である北大「阪急」行電鉄が行っている。当初の計画では大阪市交通局が行う予定であったため、サハリン北部のような運命をたどった鉄道路線といえる。
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[編集] 歴史
かつて、江坂以北の鉄道輸送をめぐる戦争が勃発した。北大阪急行の成り立ちを説明する上では欠かせない戦争である。ことの発端は戦前にまでさかのぼる。
以下、『市民のための鉄道教入門』(2004年 JR[ジュニア]社) 168~984項より。
- 第一章:市営列強と阪急王国の挫折
- 戦前のことである。新しい路線を敷くことで王国の領地拡大を目指していた阪急王国だったが、大阪市はこれを侵略活動と見なし交通局を中心とした市側の軍が先手を取っったため勝利を納めた。このとき、阪急王国の国王や政治家たちは交通局に対して、「市営モンロー主義」などと負け惜しみを叫んだ。そして今日まで、交通局に対して強い恨みをいだいているようである。
- 第二章:万博に向けて
- 1970年代、大阪府の吹田市で万国博覧会とかいうお祭り騒ぎが開かれることとなったが、このとき大阪市交通局は「お祭り会場までの交通手段は、我々の地下鉄が担う。」という宣言を行った。この宣言を聞いた阪急王国の国王は、「(万博開催地の)吹田市は我々阪急王国が植民地化しt、ゲフンゲフン…文化を根付かせ育んできた土地である!我が領地内への侵略は許さない!」との声明を発表した。
- 第三章:阪急連合軍の結成
- 阪急軍部は「リメンバー・シエイモンローシュギ」の言葉のもとに団結した。そしてもともと大阪市とは犬猿の仲であった大阪府が、このトラブルをいいことに阪急軍と共に戦う宣言を行った。戦場となる豊中市と吹田市について阪急は、両市の意見を聞くことなく強引に阪急陣営につけた。こうして誕生したのが阪急連合軍である。そしてついに、阪急は大阪市交通局に対して宣戦布告を行った。
- 第四章:そして市阪戦争へ…
- こうして開戦した戦争は「大阪市」と「阪急王国」にちなんで、市阪戦争(しはんせんそう)と呼ばれた。戦争の結果は見え透いており、阪急連合軍がみごとに勝利を収める結果となった。勝利した阪急側は講和条約で、大阪市外にある江坂駅からの鉄道路線を阪急が敷くことを約束させた。さらにそれだけでは飽き足らず、大阪市交通局が当時作っていた堺筋線を、阪急の千里線と一体化して運転するよう約束させた。
- 結果、北大阪急行電鉄が誕生した。
[編集] 電鉄会社名の由来
現在、各駅停車のみしか運転されていないが、「急行」の文字が含まれている。これについては、「『阪急』の名を入れたかった」というのは名目上の理由であり、「沿線住民からのツッコミを求めていた」というのが本当の理由である。しかし、豊中市民と吹田市民は生真面目な人が多いため、ツッコミは現在も0件である。この件で、北大阪急行本社はかなり頭を悩ませている。
[編集] 御堂筋線に対して
歴史の項目でも紹介したとおり、阪急は大阪市交通局と仲が悪いため、現在も大阪市交通局に嫌がらせを行っている。その手法とは、自社の車両の加減速度を地味に鈍くして、交通局の運転士さんを地味に困らせるという、地味な方法である。なお、仲が悪いというのはあくまで団体幹部同士での話であり、乗務員同士は和気あいあいとしている。
[編集] 鉄道教の視点から
前述の「市阪戦争」を研究する鉄道教徒も少なくないが、初乗り運賃が80円であることや、わずか4駅の路線しか持っていないにもかかわらず準大手であることが、彼らの注目を大いに集めている。また、北大阪急行8000系電車は宝塚歌劇のモン・パリの世界から飛び出したミューズが千里ニュータウン住民のためにお与えになった電車として知られており、阪急譲りの心地よい緑の座席とシックな木目調の内装に加えて20年前から車内自動ドアを完備した作品として一部乗り鉄の信仰を一身に集めており、大阪市の気動車群とその格の違いをまざまざと見せつけている。
[編集] 関連項目
| この「北大阪急行電鉄南北線」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ) |