十字軍
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 十字軍 について、オスカー・ワイルド
~ 十字軍 について、曹孟徳
~ イスラム教徒 について、アンデルセン神父
~ 世界 について、空条承太郎
十字軍(じゅうじぐん、Crusade)は、11世紀から21世紀にかけて欲にまみれたキリスト教勢力が、ちょっとヤりすぎちゃった、侵略および略奪行為のことである。
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[編集] 概略
十字軍遠征が行われたのは1096年から約200年のことである。狭義には、西ヨーロッパのキリスト教徒がエルサレムを中心としたイスラム教勢力にしかけた略奪のことを指すが、その裏ではまたいろいろやっちゃったんである(後述)。
[編集] 背景
エルサレムはもとはアラブ圏であったが、紀元前1世紀にローマの侵略を受け、そのローマがキリスト教に汚染されると、以後何世紀かはキリスト教徒の勢力圏であった。しかし、イスラム勢力が台頭してくるとあっさりとアラブに戻った。キリスト教徒はこれに嫉妬したが、もともとキリスト教自体がいろいろあってパレスチナを追い出された身なわけで、大きな顔ができるわけではなかった。
キリスト教徒が住むヨーロッパ半島は痩せた土地で、ケルト人だのゲルマン人だの、その他弱小勢力が、アラブのような豊かな土地を追い出されて押し込まれた場所だった。既に基本的な開拓は終わり、戦争をやっても共食いにしかならず、新たに畑を開いても何も採れない。土地の不足が激しいこの時代、キリスト教社会は停滞し、鬱屈が溜まっていた。
それに対してアラブは、豊かな穀倉地帯を背景に、交易路の結節点であることも生かして順調に文明を発達させていた。キリスト教徒にはこれが面白くなかった。そこに1095年、イスラム勢力拡大の煽りを食った東ローマ帝国の皇帝がローマ教皇あてに「ちょっと助けてよ」という手紙を送ったのだが、ローマ教皇はこれをわざと曲解して、キリスト教の国々に総動員をかけた。
「エルサレムは我々のもののはずだ!」
という身勝手きわまりない大義名分を立てたが、その実、アラブの繁栄に嫉妬していただけである。かくして、中世の歴史でもまれに見る壮絶な略奪戦争が始まったのであった。
[編集] 経緯
- 第1次十字軍
- 十字軍初の記念すべき侵略戦争。東ローマ帝国の皇帝が「ちょっと助けて」という手紙を送ってよこしたのを契機に、「参加したら悪いことしたのに目をつぶってあげよう」というエサで騎士や民衆達を釣って開催。1096年に始まり、途中ルート上に存在する国々をぶっ潰しながら好き邦題して進軍。1099年にはエルサレムに達し市民を虐殺するは金品は奪うわ女は襲うわの大活躍を見せた。「街には死体が山のように転がり、膝まで血の海となった」というどこかの国が言っていたようなコメントが残っている。
- 第2次十字軍
- 前回ボコボコにしたイスラム教徒が逞しく立ち上がって反撃してきそうになったので1147年開催。参加者はいっぱい集まったが、イマイチ後の事を考えずに招集したのであまりにもグダグダになり失敗。
- 第3次十字軍
- 第4次十字軍
- 第5次十字軍
- 第6次十字軍
- 1228年、神聖ローマ帝国と仲間割れをおこす。フリードリヒという人が頑張ってくれたお陰で戦争にはならずに済んだが、ちゃっかりエルサレムは再占領した。
- 第7次十字軍
- 1248年、エルサレムがイスラム側に攻撃されて陥落。キリスト教徒を殺されて怒ったルイ9世が遠征するが、サーリフにあっさりと負けて捕虜にされる。結局お金を払って「これで許してください><」という非常に情けない結果となった。
- 第8次十字軍
- 1270年、ルイ9世が懲りずに遠征。しかし情けない男はどこまで行っても情けないままで、遠征途中で死ぬというスーパープレイを見せた。
- 第8.5次十字軍
- 第9次十字軍遠征熱狂的再征服(レコンキスタ)
- エンリコ・マクスウェルことオス豚が十字軍を率いてナチスドイツの残党に攻撃を受ける英本国に突撃。どちらの勢力もぶっ殺すという激しく横暴な征服を開始するも、調子に乗りすぎて本気になった旦那に壊滅させられる。エンリコ・マクスウェル は結局若本ボイスのアンデルセン神父にバカにされた挙句ひとりぼっちで死亡。
[編集] 十字軍の実態
大義名分は無視されるのが常であり、十字軍の実態が単なる略奪であったのは当然である。途中で戦費が不足したと言って無関係な国や地域を攻撃したり略奪したりしたのだから、開いた口が塞がらない。十字軍は純然たる侵略戦争であり、今でもイスラム圏で「十字軍」という言葉を使えば、自分たちが受けた略奪、というニュアンスが含まれる。十字軍時代にキリスト教勢力と戦った人々は、サラディンを中心として今でも英雄視されている。
最終的に十字軍は、内部の分裂、戦費の不足、モチベーションの低下などの下世話な理由で衰退し、1249年を区切りに誰も気にしなくなった。どうせやるなら徹底的にやればよいものだが、飽きっぽいキリスト教徒らしい行動である。その後1291年に最後の砦が陥落し、パレスチナは再びイスラム勢力の手に戻った。
[編集] 十字軍の裏舞台
- 移動の途上で旅費が不足し、同じキリスト教徒からも略奪を行った。
- 私設の十字軍を組む農民達が後を絶たなかったが、パレスチナまでたどり着けるわけがなく、多くが山賊と化した。
- イスラムだけでなく名目上の味方であるはずの東方正教会勢力(東ローマ帝国そのものも含む)にも略奪が行われた。言うまでもないがこれは聖地とは無関係である。
- それだけではまだ足りず、教会は「十字軍に参加できない人は、代わりにユダヤ人を倒すように」などと言い、実際に多くのユダヤ人が殺害された。ユダヤ人の財産は「汚れている」として、公式には教会が没収した、ことになっている。もちろん、教会が大もうけしたことは言うまでもない。
[編集] 十字軍の影響
- 結果として、アラブの進んだ文化をヨーロッパ半島に取り入れることとなった。これがルネサンスへとつながる。
- 戦費の調達に苦労した結果、封建社会が衰退し、絶対王権社会へと変わって行った。
- 世界にキリスト教のアホさをさらし出したため、教皇の威信が低下した。
- アラブを相手にしても勝てないことを悟った教会は、ますます閉塞感を強め、宗教改革への道を歩み始める。