十訓抄

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十訓抄(じっきんしょう)とは、鎌倉時代に成立した説話集。日本版の「十戒」というべき文学作品である。名前通り、たった10の話からしか構成されていないが、寓意に富んでおり、古典の教材などにも出されては現代の学生を悩ませている。

作者[編集]

十訓抄は有名な書物だが、その作者についてはなんと明細ではない。有力者の一人として漢学者の菅原為長の存在があがっているが、彼は十訓抄が成立する1252年より前に死没しているので、もし彼が十訓抄の作者だとすれば墓の中で十訓抄を執筆していたことになる。すさまじい執念である。

このほか、幕府の評定衆をつとめた武士後藤基綱も、有力な筆者の候補となっている。しかし、十訓抄は礼儀や忠義、恩義を重視した内容になっているのとは対照的に、基綱は政治の情勢に応じてあっちについたりこっちについたりと派閥を変え、時には朝廷と緊密な関係を構築していいたこともある変節漢属性のある男なので、そんな人物が恩恵や忠義、友情を主題とした説話を書いても、なんら説得力がない。そのため、忠義や友情を尊重する学者達によって、基綱執筆説は根強く否定されている。

しかし、説話の中には、戒めを大事にすることを説く話や、忍耐や思慮深さの大切さを説明する話も含まれており、これは紆余曲折の人生を送った基綱だからこそ書ける話だともとれる。そのため、基綱が作者であると支持する学者も多い。

そのほかの作者として、紀伊国の武士湯浅宗業や、北条重時の被官佐治重家が作者ではないかと言われているが、これらの人物はそもそも人物自体がよく研究されておらず、史料から伺える姿も明確にはとれないので、考慮の埒外にされている。

内容[編集]

主題の通り、内容は大きく十の項目に大別される。それぞれの項目に、中国や日本の歴史、古典からの引用を使ったりして、正しい人のあるべき姿を説明している。しかし、たとえ十訓抄に書かれたとおりに行動しても、人生は成功するとは限らない。十訓抄を読んで、これで人生間違いなく成功すると思ってるやつは、馬鹿である。

一・恩の大事さ[編集]

第一章では、人に恩恵を施すことの大事さが解かれている。情けは人のためならず、人に与えた恩は必ず自分に帰ってくるというのだ。だがこれを100%信じてはいけない。世の中には恩を仇で返す輩もいるのである。さらに言えば、恩を施したからといって、相手がそれを恩と解釈するとは限らない。むしろ逆恨みを抱くことだってあるのだ。

二・傲慢について[編集]

第二章では、傲慢について強い戒めがある。ここで引用されるのが小野小町である。彼女は美貌で知られ礼賛されていたが、そのため尊大な態度をとって反感を買い、ついには尊大になりすぎて天狗になってしまい、美貌も失われて人々に相手にされなくなってしまったという。事の真贋はどうあれ、作者が小野小町に対して強いマイナスイメージを抱いていたことだけは読み取れる。

三・倫理について[編集]

正直者は馬鹿を見る、憎まれっ子世にはばかるという言葉がある。確かに、倫理がまったく役に立たない、倫理ばかり尊重していてかえって馬鹿を見るという事例もある。だが、だからといって倫理を軽視した態度ばかりとっていると、痛い目を見る、ということが、第三章では強調されている。おそらく作者は、倫理を軽視した態度をとり続けて痛い目を見たことのある人物だと推定される。その自分の苦い経験から、倫理の重要さを説いたのだろう。

この第三章では菅原文時が身分が低い老女に自身の無知を指摘されて恥をかく話が述べられている。そのため菅原文時はそこそこ名の高い文人でありながらアホウのレッテルを貼られてしまっている。

四・口は災いの元[編集]

無知のままべらべらと色々しゃべると恥をかくという話である。このような事例は枚挙に暇がなく、数え切れないほどの事例が引用されている。現代においても、無知のままの発言を行い、顰蹙を買う政治家が多い。そういった人たちは、一度十訓抄の4章を精読することを推奨する。

五・友達選びは大事[編集]

五章では、友達を選ぶことの大事さが説明されている。そして、友達選びに失敗し、人生を棒に振った悲しき人々の話が多く盛り込まれている。便所飯を余儀なくされている大学生達や、社会に適合できない引きこもり達は、見ているだけで共感と悔しさで涙が止まらなくなるだろう。

この第五章では、蓬の生態について事細かに記述されている。そのため、十訓抄の5章を通読した人間は、自然と蓬、ひいては植物学への知識が豊富になってゆく。そして、中には植物学者に転進してしまうものもいる。

六・忠義について[編集]

第六章では、忠義についての話が主題となる。もし、主君が乱心している状態のときは、その瑕疵を諌めるのが道理であるとされているが、実際にはなかなかうまくいかないもので、主君の暴挙に言うがままに追従してしまうことが多いと書かれている。これは現代社会における会社の構造とまったく同じである。つまり、組織における上下関係の問題点は、700年近く経過してもまったく払拭されておらず、改善の一つもされていないことになる。

ついには、主君が乱心しているときは、諌めるのが建前上は良いとされていながら、その実保身のために阿諛追従するのが妥当だろうと、身も蓋もないことまで書かれてしまっている。

七・思慮分別について[編集]

第七章では、思慮分別について書かれている。たとえば、大事な会議の席で居眠りをしてはいけない、電車の中で音を立ててCDプレイヤーを流してはいけない。さしたる根拠もなく勝手に人をソックパペット認定していはいけないなど、様々な事項が書かれている。その中でも特筆すべきは社畜奴隷を奨励していることである。そのため支配者層から十訓抄は聖書扱いされている。

八・忍耐について[編集]

第八章では、忍耐こそが最高の徳であると絶賛されている。つまり、上司からいかなるパワハラを受けようが、学校でどんな凄絶ないじめを受けようが、ひたすら忍耐するのが正しい道であると言っている。今日、パワハラやいじめを理由とした自殺が後を絶たないのは、十訓抄の八章の教えが原因であるといわれている。

この八章では、忍耐の象徴として、藤原行成藤原実方と口論になった際、冠を奪われ投げ捨てられても泰然としていたため、実方は罰せられ、行成は褒賞を与えられたという話を掲載しているが、これは単なる政争に過ぎず、忍耐とは一切関係がない。

九・棍棒について[編集]

第九章では、人の道に外れた外道を棍棒で叩くことを奨励しており、罪人や人の道に外れたものが棍棒でたたかれるありとあらゆる話が集積されている。なぜ棍棒なのかということについてだが、刀や槍を使っては、相手は死んでしまう。棍棒で叩くことによって、相手に罪の意識を植え付けることが目的だと主張している。これは解釈しだいでは集団リンチの奨励にも聞こえるが、誰も気にしない

なお、十訓抄の作者は棍棒で叩かれたことがあるらしく、「棍棒で叩かれるとそれなりに痛い、当たり所が悪かったり、人によってはショック死するのではないか」と記述されている。

十・才能を伸ばすことについて[編集]

第十章での解説はかなりいい加減である。曰く、人にはどこか一つ優れた才能があるから、とにかくそれを伸ばして世の中に役立てよというものである。しかし、世の中にはどうしようもない落ちこぼれというものもいるので、それらの人々にとっては教訓にも何にもなっていない。そして十訓抄はそうした何をやってもだめな人たちに対して「知るかボケ」と冷たく突き放している。また、突出しすぎた才能がかえって身を滅ぼすこともあるという事例については、あえて言及していない。

評価[編集]

文学作品、ハウツー本としての評価は高いほうだったが、ギャグのセンスでは沙石集に負け、収録されている話の面白さ、奥深さでは古今著聞集に負けていた。また、たった十の教訓では物足りない。人間が正しく生きてゆくには二百くらいの教訓が必要だとも批判された。さらに、十の訓戒としていながら、訓戒としての要素を具有しているのは二にも三にも満たないという厳しい指摘もある。

中には「古今著聞集」や「今昔物語集」と被っている逸話もあり、オリジナリティに欠けるという欠点もある。

引用している説話について[編集]

十訓抄は、その殆どの説話を日本か中国の話より引用しているが、稀にインドからの話も紛れ込んでいる。しかし、その他の国の逸話、説話は収録されていない。十の訓抄とは言うが、十どころか三つの国からしか話を集めて来れなかったようだ。しかし今より世界の障壁が高かった中世だから、仕方ないと言えば仕方の無い話である。

影響[編集]

この作品が普及したことによって、人々のモラルは一時的に上昇したかのように思われた。しかし蒙古襲来とそれに続く景気の悪化による悪党の跳梁などで、結局モラル・ハザードが起こってしまった。十訓抄はあまり訓戒として役に立たなかったと言える。