厚別区

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厚別区(あつべつく)とは、北の大地における唯一の大都市のもっともに位置するである。こんな項目にこんな長大な文章がついていることもある。

概要[編集]

厚別区は、1989年札幌市白石区から分離独立して出来た区である。区内には様々な地区があり、白石区を冬、雪のイメージと見立て、春のイメージのひばりが丘地区、夏のイメージの青葉町地区、秋のイメージのもみじ台地区など、自分達は冬とはまったく関係ないことを最初に宣言した。もっとも、どんなにきれいな名前をつけたところで、結局、北国は北国、厳冬期になれば小便をかなづちで壊しながらしなければならない蝦夷地の一地区である。

区の名前である厚別(アツベツ)は、アイヌ語で「アッ・ペッ(アツシの原料となる木のある川)」という意味である。大仁田厚は確かに人間ではないが、別に原料は木ではない(彼の原料はキ印である)。アツシという布の原料となる木のことである。

鈴木さんとの関係[編集]

鈴木宗男が初めて衆議院選挙に当選した際、厚別区は唯一札幌市内で投票区に指定されていた(旧北海道5区)。そのため現在、鈴木氏の所属する新党大地の事務所は氏の地元である十勝支庁ではなく札幌市に存在する(ただし、厚別区ではなく中央区に)。彼は十勝に尽くさなかった。もっとも、北の大地では公共事業がないと生きていけないので、彼と一蓮托生するしかないのが現状である。

地理[編集]

札幌市の一番東に位置する。札幌市の区では、よさこい争乱祭が有名な白石区が接しており、他に、岩見沢市や北の偉人、水曜どーでしょう大泉洋を生んだ江別市に接している。なお、メロンで有名な(メロン以外でも特に有名な夕張市が、江別市の向こう側に存在する。

歴史[編集]

1883年
北の大地厚別に初めての入植者現る。長野県上諏訪(現・諏訪市)出身の開拓者、河西由造氏ら8名はまだ名前もなかったこの大地を切り開いていった。他に諏訪市出身の有名な開拓者として男の世界から女の世界へ飛び込んだ美川憲一氏がいる。また、彼の援助によって、日本のモノマネの開拓が劇的に進んだことも特筆すべき事象である。
1894年
函館本線厚別駅開業。このときに初めて厚別の名前がつけられる。電報番号はアヘ。
1919年
街に初めて電気が灯る。なお、開拓時代を通してアイヌ民族への根深い差別があったことは秘密。でも、「日本は単一民族」なんてことを言うと、大臣でも頭の出来が疑われるから気をつけてね!

(中略)

1974年・・・JR新札幌駅周辺の開発事業が始まる。別名、新札幌副都心。
単純に、札幌都市圏の2番目の中心だから副都心という意味である。東京副都心とは何の関係もない。ただ、東京でもないのに別名、新札幌アークシティという名前はいささかやりすぎの感がたえない。なお、アークとはキリスト教でいう聖櫃に当たるため、開けた人間の目がつぶれることは憂慮しなければならない。

近年における開発の歴史[編集]

厚別区には、1973年に建設された新札幌駅を中心に大手デパートなどが続々と進出し始めるが、あっという間に近隣の店舗との競合が起こり、1977年以降は大型店舗の出店は停滞する。これは、札幌市の人口と周辺自治体との交通網の整備状況を考えずに建設しまくったためである。その頃は隣の岩見沢市江別市にも、そして夕張市にも人間は大勢いた時代で、過疎?何、それ?という、地元密着が当たり前だった時代であったため、作れば人が入るという錯覚で箱物が作られていた時代だった。ひらたく言えば、日本列島改造論マァー、コノーのいた時代だった。

近年になり北の小男が台頭するにつれ、ようやく観光業に沿ったホテルなどの建設が再開され、厚別は札幌市で一番の開発区域・・・裏を返せば利権の巣窟になる。しかし、そのこととちょうど同じ時期に夕張市の破綻が起こったため、厚別区は夕張市から流出する人々の受け皿になったことは否めない。もちろん、青函トンネルを初めとする周辺地域の交通網が整備され、北海道から人口がガンガン流出していったのも同じ時期である。

もちろん、現在でもガンガン減り続けている。

その中で、現在では道東にしか生息しないシマフクロウが区内の競技場で目撃されている事例がよく報告されているが、これについてはあまり触れてはいけないらしい。なぜかというと粛清されました

経済[編集]

区内に総合建設コンサルタント会社ドーコンを抱える。決して敵キャラの名前ではない。その名前の後にジョーとつけてもいけない。真っ赤に燃えてもいなければ、巨人とも関係ない。

また、北海道であるだけに、社長が寝てなくて大変だった会社の子会社も存在する。あの事件とはなんの関係もありません。ほっといてください。

教育[編集]

区内には北星学園大学および北星学園大学短期大学部が存在する。ちなみに、この時点では誰も振り向かない。しかし、スミス女学校が前身と聞くと、なぜだか振り返る人間が急増する。なお、稚内市にもまったく関係のない稚内北星学園大学が存在する。

なお、北星学園大学短期大学部の卒業生には、はいからさんが通るで有名な大和和紀がいる。大変男らしい女性の名前である

区内のもみじ台地区には、人口動態予想を無視して、小学校4校、中学校2校を設置してしまったため、学童・生徒の減少という現実のもと、「どの学校をのこすか」という問題で、各町内会が激しく対立。内戦状態勃発の様相を呈しており、事態収拾のめどはたっていない。

交通[編集]

厚別区におけるもっとも特筆すべき交通の便に、夕張市の命綱、夕鉄バスという名のバス路線が存在する。しかし、命綱を経由して、人口がどんどん都会に流れ出していっているのは公然の秘密である。そのため、あそこの命綱は首にかかってやがるなどと言ってはいけない。同じようなことはコンピューター付ブルドーザー地元でやっており、鈴木さんも道路を整備しまくって北海道中に被害を及ぼしている。てゆうか、全国何処でも政治家の出た土地ではやっている。

その他、JR北海道も札幌市に留まらない周辺住民の脱出経路として絶賛稼動中である。

区内には、地下鉄札幌市営地下鉄)も通っており、区民の大切な足となっている。なお、ひそかに札幌市におけるエクストリーム・自殺開催地でもある。このため、ホームにいのちの電話が設置されている。累積赤字も3000億円を超えており、ある意味、その存在も札幌市の首にかかった縄みたいなもんである。でも、雪で止まらねえんだなあ、これが!

また、高速道路として区内に道央自動車道札幌南ICが存在している。もちろん、北海道民は真冬の凍った道でも180キロですっとばすことで有名であるため、地元民も経済効率というものをまったく無視した大手建設会社への投資であることはわかっている。それがめぐりめぐって鈴木宗男へと還元されていくのが日本の政治というものである。また、この道路はエゾシカと触れ合えるエリアを通ることでも有名で、たいていの場合はニアミスになるが、運がいいと車とエゾシカが触れ合って地方新聞の片隅に掲載されることになる。エゾシカの運がいい場合にはそのまま天国へとドライブできる。

ヒグマにも遭えるよ!

名所・旧跡[編集]

バター記念館
確かに存在する。いや、北海道に存在してもおかしくはない。しかし、記念館というわりに一般人が入れないというのはどういうことだろう。
ポンノッポロ橋
ポンノッポロ川にかかる橋なのでポンノッポロ橋である。ポンノッポロ河畔には桜が植えられ、毎年、ポンノッポロ会によりポンノッポロ祭が開かれる。なお、アイヌ語で「ポンノ」は「少々」、「ポロ」は「大きい」のことである。意味がわからん
石畳のある坂道、池のある広場、花々の咲く斜面
残念なことに、全て正式名称である。なお、花々の咲く斜面には、ガンバの冒険の敵役、白いイタチ「ノロイ」の置物が存在している。優しい顔をしているのは、ネズミたちをだますためである。

出身有名人[編集]

ここを通過した有名人[編集]

関連項目[編集]