叡山電鉄(2012年ごろ)

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叡山電鉄(えいざんでんてつ)は、千年の都中でも千年の都要素が高い街を走る生活と観光を両立したエレベータである。叡山電鉄はえいざんの文字をもじってえーじゃん!!と呼ばれることがある。また稀にえいでん!!と呼ばれるが、一部の検閲により削除ぐらいしか読んでいない。

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路線データ[編集]

  • 路線距離:5.6キロと8.8キロを足して出てきた数
  • 軌間:1435mm
  • 複線区間:鞍馬線の一部区間を除いて全線複線だけど別にえーじゃん!!
  • 電化区間:全線(直流600V)

しかしし尺酉目木のお家芸である複線ドリフトは会社規模と所有車両の割に高頻度運転を行っている上に鞍馬線の末端区間に単線区間がある為、複線ドリフトは行っていないけど別にえーじゃん!!

設立時の経緯[編集]

元々は京福叡山線と言ってて1986年ごろに今の会社に分離された経緯があるのだがその理由の一つとしては二酸化炭素ばかり出す鉄の塊が増えて他の路線との接続も一切無くおまけに京都バスや京都市営バスに乗客を奪われてどうしようもなかったのだが遂に京福電鉄にも見捨てられてしまっという可哀想な経緯がある訳である。しかし黒字へと立ち直ったのは京阪鴨東線のおかげで叡電の方が早かったため結果的に損したのは京福電鉄だけだったという。

…という大変な経緯だけど別にえーじゃん!!

運行形態[編集]

現在、平日は出町柳~八瀬比叡山口・二軒茶屋間の電車がデオ700系2両編成で、出町柳~鞍馬間の電車がデオ800系か900系による4両編成で運行されている。とはいえ実際には鞍馬・八瀬寄りの1or2両は鞍馬山に住むという天狗や下鴨神社の糺の森や大文字の如意ヶ岳に時たま現れるという狸が姿をくらませて乗車するための車両であるため、人間には見えることは無いのである。また京都洛北の歴史ある鉄道路線ということもあり、様々な時代の人間や未確認生物や或いはとうの昔に絶滅した生物が厳格で見えることがあるが、誰も気にしない。また鞍馬山に住む天狗たちの要請により、終夜運転を行うこともよくある。その場合は鞍馬駅に保存されているデナ21が真夜中の静かな鞍馬駅からこっそり動くことや、はたまた1964年1月5日、二ノ瀬~貴船口間で発生した衝突事故(後述)により萌えて廃車になってしまったはずのデナ121・123号車が連結している状態でも目撃されている。だが、その後それを見た人物を見た者はない。

主な運行系統[編集]

出町柳~鞍馬[編集]

この系統の電車こそが叡電で一番稼いでいると言えよう。またデナ21が活躍しているのも主にこの系統である。この系統の主な利用客層は出町柳から見ていくと、地元の乗客たち、観光客、京都産業大生、京都精華大生、京都造形芸大生、鞍馬山の天狗たちである。夏場などには浴衣美女が乗りこんでくることが多いのも、この系統である。

出町柳~八瀬比叡山口[編集]

もはや鉄道会社の本線としてどうしょうもないくらい乗客が少ない比叡山に行く際にはどうぞご利用下さい。この電車に乗ったところで決して浴衣美女や天狗が見られる訳ではないので、勘違いの無いように。

出町柳~二軒茶屋[編集]

平日ダイヤの昼間のみ本数の少ない鞍馬行きor鞍馬発の電車が大学生で混みあうことのないように、助っ人として運転されている。何気に朝夕は単線区間の途中の市原まで延長するが、それでよく衝突事故を起こさないものだ。

宝ヶ池~二軒茶屋[編集]

2008年11月1日に見掛けたという目撃情報がある。しかも使われた車両は今は亡きデオ600系で実際には、この電車に使われた後、デオ600はついに一度も車庫から出ることなく重機の餌にされてしまったという。またこの区間をしっかりと往復したため、今は使われずにただただ錆びてしまっている宝ヶ池駅北の分岐を久しぶりに電車が通過したことになる。そして車内ではデオ600がデビューしたころのように車掌が乗務しており、ワンマン機器も一切取り付けられておらず、そしてデオ600全盛期時代の1989年の京阪鴨東線開通以降の様な車内の活気も見られたという。

車両[編集]

デオ700
1987年製造→現役。1987年製なのだからおけいはんではまだ新しい方(か中堅ぐらい)だがえいでんとしては既に最古参。(えーじゃん!!)しかし最古参とは思えないほどの元気っぷりで塗装が変わったりえいでん×けいおんトレインになったりまだまだ元気である。なので廃車はまだない。絶対にない。廃車されたら地球も京都も左京区も終っちゃう。
通常は原則1両編成で出町柳~八瀬比叡山口・二軒茶屋間の運転なのだが、ここ数年間はなぜか電車のクセに毎年毎年デオ800系がお盆特別休日ダイヤの時に夏バテで倒れてしまうため、お盆特別休日ダイヤの時は1年に1回見れるか見れないかというくらいレアなデオ700系の2両編成で走っているかっこいい姿が見られる。
2012年2月に最後の旧塗装車、デオ724が新塗装で運用復帰したのだが、あの顔はどう見てもデビュー当初のEIDENロゴが無いまま塗り替えられたような状態そのものである。
デオ731がどう見ても波動砲のようにしか見えない前面形状の「ひえい」に改造された。そしてそのどさくさ紛れに廃車になった京阪5000系の足回りに交換が進んでいる。
デオ800
1990年製造→現役。1990年の前の年の1989年に叡電は京阪鴨東線効果で乗客がビッグバンの如く増えて新車が必要になっていた。そこで登場したのがこいつ。編成ごとに仕様が異なり特に1編成目は設計ミスが多い。方向幕が運転席左側とか回しにくいっての…。それにあの警笛クルマじゃないんだぞ。
そんな迷編成のデオ801だが、2012年2月26日の午前中になぜか八瀬比叡山口で目撃されている。更に八瀬比叡山口発の定期列車にも充当されてた…。謎だ…。情報求む。
最終ロットとなったデオ815は、当初はアメリカ人デザイナーによるエコモーション号塗装として登場したが、いつの間にか近畿車輛デザインによるこもれび号に変身していた。何か事情あったのか?
デオ900(きらら)
1997年製造→現役。地下鉄烏丸線が叡電のドル箱エリアを侵略しだしたため、乗客が減少しかけたのだが、それを何とかするため作られた女医ふるトレインもどきである。ガラス張りである。

天狗たち専用車として活躍する車両[編集]

燃え尽きた様で現役
デナ121・123
1964年に衝突事故を起こして、燃え尽きた結果、本当は修学院車庫で重機の餌になってしまったはずだったのだが、どこで資料が間違ってたのか、複線化された木野~二軒茶屋間で真夜中に京都精華大学の生徒が乗務員がいない上に天狗と狸しか乗っていないデナ121・123の重連を見たという目撃証言がある。というか本来ならあるはずの京都精華大前駅が、その時だけ消えていたとかいう謎の目撃証言がある。しかし修学院車庫に行っても宝ヶ池の留置線を見に行ってもどこにも止まっておらず、やはりネコバスの様な物理で出没したり消えたりするのだと、沿線の京都大学の興味を持っている学生たちによって研究がすすめられている。
なお最後まで残った編成の頭部が鞍馬駅に保存されているが、時折沿線を舞台にした「有頂天家族」に登場した「偽叡電」仕様にドロンする。

既にお亡くなりになられた車両[編集]

平成になってからお亡くなりになられた車両
デオ600
1979年製造→2008年廃車。最後の緑の電車と言ってたが実際に緑なのは下半分だけでそれ以外はお察し下さい

叡電にやって来る筈だった車両[編集]

いちご電車とおもちゃ電車とたま電車
ホンマは叡電をさらなる観光鉄道にするために和歌山電鐡が消滅の憂き目廃線になったらいつでも2270系を導入できるように準備されてたが1匹の三毛猫の陰謀によりせっかく大量の投資をしていたのにも関わらず結局導入には至らなかった。でもえーじゃん!! いつまでもそんな過去気にしてたら負けやでww
6300系アニキ
こいつも廃車になったら導入するつもりだったが、頑固なことにも阪急に断固拒否られて、これも導入にはいたらなかった。もっとも車体サイズどうする気だったかは知らん。

歴史[編集]

創世記[編集]

1925年、えいでんは京都電燈叡山平坦線として開通。1928年、鞍馬線の方も開通。この頃は何事も無く至って平和だった。

戦争により最低な思いをさせられる[編集]

1939年、叡電はなぜか自らの意図的によって昭和天皇国に二軒茶屋~市原間の線路の片方をあげた。なぜだ?その後、世間が相当ヤバくなってきて結局、1945年ごろには宝ヶ池~八瀬、宝ヶ池~二軒茶屋間の線路をそれぞれ片方ずつ国に取り上げられた。ほんと戦争ってのは最低だな。少しさかのぼるが1942年には京都電燈が解散してしまい、和歌山電鐡の存続運動並みの大騒動が起こったわけであり受け皿として京福電鉄が福井支社の路線嵐電と叡電の経営を引き継いだ。この時に京福電鉄は福井支社エリアと京都本社エリアをつなぐ弾丸列車計画を打ち出した。だが結局、弾丸列車にする以前に途中で乗客減少に泣く羽目になった(後述)ため、弾丸列車にすると叡電の未来がヤバくなってしまいそうだったので挫折。もし弾丸列車になってたら、今頃叡電は京阪と直通してもおかしくないような1500Vで特急電車や急行電車が7~8両編成で走る立派な大手私鉄みたいな路線になっていてきららは看板特急としておけいはん8000系と同レベルのポジションについてた訳だということは言うまでもないが、きららが走ってるからまあいいか

第一次黄金期時代到来[編集]

戦後の混乱が落ち着き1951年、同じ京福電鉄の福井支社に車両を4両ほど取り上げられてたことにいまさらになって気付き新たに4両が製造された。1959年、かの嵐電モボ500もビックリの叡電史上最大の迷列車が叡電の線路に、そして洛北の地にやってくる。デオ300系。近代化のためにデビューしたのだがそれにしろ顔のスタイルの良さや高性能さからして大量の鉄道教徒たちを釘付けにしたものだった。しかし高性能過ぎて当時の叡電みたいな路線では使いづらくて29年しか使ってない1988年になって引退。そのまま重機の餌になってしまった。かわいそうに。

鞍馬線列車衝突事故発生→暗黒期到来[編集]

1964年、東京オリンピックが行われて世間が明るくなって田中で叡電は新年早々、やらかしてしまった。デナ121と123が鞍馬線の二ノ瀬~貴船口間で衝突して炎上。そのまま逝ってしまった。因みに運転士は誰か分からないが、JR西日本のMM運転士の父親という噂がある。本当にMMがやらかしてくれるようなことである。そしてそいつのせいでこの年からは叡電の信頼を損なってしまい大赤字を叩き出すようになってしまった。

赤字にもがく[編集]

1978年、ただでさえ赤字だった叡電に残念なお知らせが…。それは唯一繋がってた他の鉄道の京都市電が廃止になること。これによって叡電は本当に孤独な状況の中をひた走る羽目になってしまった。京都市電もせめて1989年まで残ってくれてたら、よかったのに。その後、叡電は日本最後のポール集電をやめてパンタグラフに切り替えてついに鉄道教徒にとっても面白みのない鉄道になってしまった。ついに1986年、京福電鉄に見捨てられて叡山電鉄として再発足。しかし赤字は一向に増えるばかりで減る見込みなんぞ無かった。一部の左京区民からは「元田中を経由して京都市電の後を追っていくかもしれない…。」といわれていたほどだった。

第二次黄金期時代到来[編集]

しかし1989年、場所は変わり京阪の中の人が「天皇が没落してしまったから何だ!!今こそ鴨東線を作らなけりゃ叡電は廃止になって左京区民の足が失われるじゃないか!?」と言った。この言葉が京都市役所にも大きく響き渡り京都市役所は鴨東線の建設を急ピッチで行うように京阪に命令指導した。元々鴨東線も京都市が計画していたから。その急ピッチの結果、去年の1988年12月31日の時点では鴨東線のトンネルは無かったのに9ヶ月でトンネルと線路は勿論、駅も開業させちゃった。その結果10月5日に鴨東線は開通。前日まで全列車が空気輸送だったのにその日からは上尾事件が発生しそうなくらいの大混雑が発生した。ありがとう、おけいはん師匠…その後、デオ800がデビュー。こいつはまさしく迷列車と言える。(詳しくは車両紹介を参照)そんな中、1994年11月27日になってデナ21が現役引退。その日の様子は検閲により削除

昔は味方だった交通局に裏切られながらも勇敢に立ち向かうえいでん[編集]

そんな中、KYなことに京都市営地下鉄は烏丸線を国際会館まで開通させる。叡電岩倉まで伸ばしてくれたら更にえいでんはぼろ儲け出来て赤字財政の地下鉄も赤字改善につながるのにむしろ叡電から乗客を奪った。そのような状況に対処すべくデビューしたのがきららである。詳細はこのページを参照するとして割愛する。そんなこんなで叡電はテレビによく出るほどの有名な鉄道になった。一方の地下鉄は京都市営バスの運転手のせい、それから地下鉄の建設によってさらなる赤字財政に転落してしまった。ざまぁぁぁぁ!!このバカどもが!!www

しかしそんなことを華麗にスルーして2008年には最後まで1編成だけ京福色で残ってたデオ600も引退。これにより間違っても叡電は全車両冷房化が果たされたのだが、鉄道教徒における、その代償は大きすぎた。第一に叡電の原風景が思い出の彼方へ走り去って行ったことに号泣する鉄道教徒が多く目撃された。そして嵐電を除き、京都市内では貴重だった釣りかけも消滅し、嵐電だけが釣りかけ駆動が残ることになったうえに、消え去った叡電色と同じ色の嵐電色もイモ電化計画により、いずれ消え去る。叡電最後の京福色(福井支社)の700系だって新塗装化でいずれ消え去ってしまう。時代の流れは複雑だな…。

挙句の果てにあのアニメとコラボしてしまう[編集]

2011年、ついに叡電はけいおん!とコラボして記念乗車券を発売した。更にけいおん!のラッピング電車も運行開始した。この頃になるとかつての赤字財政がうそのように黒字になっており叡電はもうすぐ小規模から中規模へ昇格するかもしれないし昇格したら同時に叡山電鉄から叡電へと正式名称を変更する予定。そして愛称も叡電が正式名称になるためえいでん!が新たに正式愛称になる。

だがこのたび、残念なことに地下鉄烏丸線がアソパソマソラッピング電車を走らせることになってしまい、少々、注目が集まりつつあるよーだ。

えいでん、未来へ出発進行!![編集]

上ではあんなことを書いた訳だが、実は叡電にもしかすると再び廃線危機が襲いかかてくるかもしれない。というのは地下鉄烏丸線の問題はきららで何とかやり過ごしたのだが、貴船地区で自然環境破壊にもつながるような、バイパス道路工事をしていて、おかげで鉄道教の撮影宗にも迷惑がかかる羽目になっている。当然、バイパス道路が開通すると観光バスが走りやすくなってしまうので再びバブルごろみたいな廃線危機に直面するのは、そう遠い未来でもないかもしれない。なので叡電は、これから京都市交通局京都バスに協力を求めて、交通局には無理をしてまで、地下鉄烏丸線の叡電岩倉延伸をしてもらうことを頼むつもりである。。それにおそらく師匠のおけいはんも交通局とは仲が良い為、協力してくれる可能性が大きいのも言えている。

運賃[編集]

一般的に鉄道の初乗り運賃は150円とか160円だが、叡電の場合はなぜか210円と高額になっている。これはかつて京都バス緑の暴走族に乗客を奪われ、飢え死にかかっていた時代があった名残であり、これだけは未だにどうしようもないんです!!このせいで1997年以降は地下鉄に客を取られがちなのだが、向こうも初乗り210円で有名な史上最狂地下鉄に姿を変えてしまったため、最近では徐々に乗客を取り戻しつつある。だからえーじゃん!!

京都市との仲の悪さについて[編集]

京都市交通局とは1978年までは仲が良かったのだが1978年に京都市電が廃線になってからここの市営バスに乗客を取られて結果として交通局には裏切られる羽目になった。だが京都市電が廃線になったのも元はと言うと二酸化炭素ばかり出す鉄の塊の手によって走りにくくなってしまい廃線になったのが事実なのでこれに関しては自動車を恨むべきである。無論、現在LRTとして京都市電が復活するという噂が一部市民の間でされていて特に今出川線として路線が出来た暁には嵐電との直通運転も計画されている。すると嵐電にもきららが乗り入れるかもしれないしモボ500も叡電にやってくるかもしれない。そんな妄想をも膨らませてくれるという意味では有り難い。元田中でも接続するかもしれないし。だがしかし!!地下鉄烏丸線が開通してからは仲が余計に悪くなった。叡電の再度なる乗客減少の原因になってしまった。そして実はそれ以外にも密かに決着が付いていたらしい。それは1999年7月のこと。

降りた遮断機に死バス市バス突っ込む 叡山電鉄一乗寺踏切

30日午前9時40分頃、京都市左京区北泉通東大路東入ルの叡山電鉄一乗寺1号踏切で、四条大宮行き市バス(31系統)が、踏切内に侵入したところ遮断機が降り市バスの屋根に当たって折れた。市バスはすぐにバックして踏切内から出たが近付いてきた電車が現場付近で一時徐行運転を行った。市交通局は「乗客の方をはじめ、叡山電鉄の方にもご迷惑をおかけして誠に申し訳ない。」とのこと。

ってな感じでエクストリーム謝罪を交通局にしてもらったことがある。

だが最近は交通局ばかりならず、京都市道路建設局からも嫌がらせを一方的に受けている。何あれ、完全にいじめやん…。というのは市原駅北側から貴船口まで二ノ瀬バイパスとやらいう単なる環境破壊に過ぎないバイパス工事をしている。無論、鞍馬や貴船への観光は叡電だけで足りている状態なのに!!orz ホンマ、道路建設局は環境破壊と地方の中小私鉄…というほど小さい訳でもないが、地方の中小私鉄をいじめてやがる。よっぽど京都市は叡電を嫌っていて早く廃線にさせたいから、こんないじめをしているようである。しかしきららやけいおん!とのコラボを怠らない限り、えいでん!は永久不滅である!!

2012年2月26日のご乱心[編集]

既に何回か記述しているが、2月26日は午前中に叡電は一時的にご乱心になってしまい、それに合わせて臨時のエクストリームスポーツも急遽開催された。因みに混乱点とは、どれだけ多くの乗客を混乱させることが出来たかによって変動する。混乱点は1000点満点とする。一部の鉄道教徒に注目を浴びた。主なポイントは以下の通りである。

  • デオ801-851編成が八瀬比叡山口行き→出町柳行き→八瀬比叡山口行き→修学院行き回送の順で走った。特に出町柳行きは本当に定期列車だったため、三宅八幡で電車を待ってていつもみたいに1両編成がくるとわきまえてたら、カーブを曲がってやってきた電車はまさかの叡電復興の象徴の2両編成だったため、多くの乗客を混乱させた。そのため混乱点は非常に高く近年の叡電でも稀な987点を獲得することが出来、叡電の歴代エクストリーム記録を48年ぶりに塗り替えた。因みにこれまでの最高得点は1964年1月5日に二ノ瀬~貴船口駅間で電車待ちを行わなかったせいで発生したデナ21の2両を火あぶりにした事件が最高である。三宅八幡駅は出町柳方面の乗車位置が1両編成の停車位置にしか併せておらず、2両編成は停車位置が違うため嫌でも乗車位置が変わってしまい、嵐電のモボ500みたいなめんどくさいことが発生したわけである。
  • その2分後に復帰したばかりの変顔になった最後の旧塗装車、デオ724を使用した臨時出町柳行きが走った訳である。因みにストーカーの如く走ったため、終点まで空気輸送になるという罰を味わっている。それでも途中駅からは何人か乗ったようであり、そのような人たちは謎の臨時電車にまたしても混乱したことだろう。だがいかんせん2両編成の背後を走った故に1両編成でも乗客は無駄に少なく混乱点は127点に止まった。ざまぁぁぁぁww

経営状況[編集]

おけいはん様の下やし、走らすこと出来てるけど、見捨てられたらバキューン!!なことに再び陥ってしまうと思われる。

まぁ仮にそんなことになったとしても左京区民の叡電大好き♡主義だとかWe Love♡EIDEN主義だとかで廃線になることは絶対にないとされている。

そうやって言いきっているのは、実際に高度成長期の廃線寸前の叡電を叡電大好き主義とかWe Love主義で平成の今の時代にまで守り続けてくれていたからである。

…というか地下鉄の叡電岩倉延伸希望!!そしたら絶対に叡電もぴーな経営の地下鉄もがっぽり丸儲けなのに…!!

関連項目[編集]