古木克明

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「古木あーーーーっと!!!!!」
~ 古木克明 について、実況
「自分のお庭ですよ!お願いしますよ!!」
~ 古木克明 について、解説をしていた斉藤明夫

古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )とは2009年現在、オリックス・バファローズに所属する、外野手兼珍プレーヤーという日本有数の不思議な野球選手。背番号は46。元、横浜ベイスターズ所属。

目次

[編集] 来歴

1998年には甲子園へも出場した、いわゆる松坂世代の1人である。

この秋、「大洋ロッテには絶対入団したくなかった」[1]という少年時代からの気持ちを抱き続けたまま、ドラフトの当日を迎えた。

ところが、ドラフト会議では松坂の外れ1位として、あの大洋(現横浜)から指名されたため、しぶしぶ入団。当初の背番号は3だった。

2003年22本塁打を記録するなど打撃では、そこそこの評価を受けている。

ところが、「ボールが見えない」「風の息づかいを感じられない」といった発言に裏打ちされた守備では、数々の超絶珍プレーを記録することが多いため、珍プレーの天才と呼ばれている。

2004年からは、本格的に外野へコンバートされた[2]。そこで珍プレーヤーとしてのリミッターが開放されたのか、内野の頃以上の超絶プレーが次々とお披露目されていく。上記にある本人のコメントは主に外野手転向後のものが、ほとんどである。

2006年には、外野手ワーストの8失策という金字塔を打ち立てた[3]。ただ、同じく外野へ弾き飛ばされてきた年下のモンチッチにさえ追い抜かれ始めた上、牛島組長監督による御仕置きも影響した模様。

外野手としての生存競争で崖っぷちの近頃では、出番も少なく やさぐれて、ベンチでタバコを吸うなど暴挙に出始めている。ということは、そろそろロッテに移籍するのではないか。

2007年のオフ、同年の大西宏明とのトレードで、オリックスへ移籍した。ロッテじゃなかった、残念。

2009年 戦力外通告を受ける。本人は現役を希望。横浜に復帰してほしい一人である。

[編集] 珍プレー集

[編集] 球場での珍プレー

  • 2000年6月6日のイースタンリーグの日本ハム戦、同点で迎えた9回裏一死満塁の場面で左翼を守っていた古木。そこへ左翼ファウルグラウンドに飛んできた大飛球に対し、それを背面キャッチした。結果的に犠飛が成立、3塁走者生還を許す。二軍の試合とはいえ、すでに才能の片鱗を見せていた。
  • サードを主に守っていた(外野での守備機会もあり)という2003年には、シーズン記録の珍プレーを20(内野で18、外野で2)に更新した(従来の日本プロ野球記録は、1968年に長嶋茂雄が残した19個)。その記録は誰にも破られていない。その中には後述する珍プレー「古木あーっと」が含まれている。
  • 2004年には「ボールが見えない」と発言。打球を見失って2塁打にした他、単打を3塁打にしてしまった事もある。
  • 2005年5月19日のオリックスVS横浜戦(大阪ドーム)で、村松が打ち上げた左翼線ギリギリのレフトフライ。フェアかファールかは判りかねただろうが、レフトに就いていた古木には落下点が若干遠かった。そのため、ファウルグランドまで突進。滞空時間の長さに救われて間に合った、かに見えた。
    ところが、落下点を大幅に通り越し、ダイビングしても打球に触れる事すら出来なかった結果、三塁打である。ドーム球場で風が無いにも関わらずやってのけたので、これまた珍プレーとして記録される超絶守備である。この功績が称えられ後にオリックスに移籍する。←前述の2軍戦では左邪飛を背面で捕球できたのに、なぜか退化している。

他にも自軍投手である吉見祐治のノーヒットノーランを積極的に阻止するなど、守備面で天才の本領を発揮している。

[編集] 球場以外での他の珍プレー

  • 2003年度のシーズン成績は『打率.208本塁打22・打点37三振131規定打席未到達にも関わらずワースト2位。もう1三振あれば1位に並んだ。)』という、主軸打者として恐ろしくアンバランスで萌える成績を収めることに成功。2ちゃんスレッド【野球選手の萌える成績】の常連項目になる。
  • 2003年オフには、あまりの守備の下手さを何とかしようと、リズム感を養わせるために沖縄アクターズスクールにダンスレッスンに通わされた[4]。そのおかげもあってか2003年に20あった失策数が0になったそうだ。すごいもんだ。
  • 2004年5月4日、古木がハマスタで決勝ホームランを打ち、ヒーローインタビューを受け「5月5日という子供の日に打てたのが、すごいうれしいです」と発言してしまった。当然ながら子供の日は翌日。そんなこともあってこれ以降、古木には日付を間違えるというキャラが定着する。
  • 2005年にはトレード志願。しかしガソリンスタンドの店員に「横浜に残ってください」と言われ横浜に残留するという優しさも持ち合わせている。
  • 2006年正月、チームメイトで大先輩でもある石井琢朗あての年賀状に「石井朗」と宛名を書いた。2009年の正月にもまた、同様のことをやった。ちなみに「石井琢朗」も本名ではない。

[編集] 古木あーっと

2003年7月5日横浜-広島戦(横浜スタジアム)で起こった謎に満ちた珍プレーである。

2死1塁という7回表、3塁を守っていた古木へのゴロ。下手な古木でも捕球できて、あとはファーストへ送球するだけでチェンジだった。ところが送球体勢に入っていた古木は、何も無いところ[5]派手に転倒。古木の手を離れたボールは大きな放物線を描くと、そのまま1塁側のベンチ方面へと転がって行った。

ありがちな3ゴロから生まれた、信じられない光景を目の当たりにした実況者が「古木あーーーーっと!!!!!」と叫んだことから、この言葉が生まれた。横浜のOBである解説者の斉藤明夫氏からも「自分のお庭ですよ!お願いしますよ!!」というありがた~い お言葉を頂いた。

ただ問題なのは、このハプニングが起こった後もプレーは継続されており、1塁ランナーの石原慶幸が一気にホームを陥れようと突っ込んでいたのである。それを味方野手の連係プレーによって、辛うじて石原を本塁アウトとしたので、その回はチェンジとなった。

そのため、本塁を狙われる危険を伴っているのに失点に結びつかないエラーという、ある意味ファインプレーであった。

このプレーをたたえて、楽天の本拠地である宮城球場が一時期「古木あーっとスタジアム宮城」と呼称されていたことがある。

[編集] 脚注

  1. トリビアの泉への投稿で「僕の夢はプロ野球選手になることです。でも大洋(現横浜)とロッテには絶対に行きたくありません」と卒業文集に書き込んだことが発覚し、古木は一躍全国的スターになった。
  2. 同年の村田修一との3塁の定位置を競うも、鈍重な村田より脚力のある古木の方が、まだ外野手の見込みが有るのでは・・・というピッカリ大ちゃんたちの構想のようだった。なお、村田でも2ケタ失策は毎年、当前のように築いている。
  3. 凡フライを触れもせずに落とすなど、安打と記録されるケースが多々あるため、実質の失策は2ケタ程度では済まない。
  4. リーグ最多失策の栄誉に輝いた報酬として球団の計らいによって実現した。
  5. ボールは見えないが「何か」が見えるのではないかという説も存在する。

[編集] 外部リンク

  • 古木の伝説・Youtube版[1]

[編集] 関連項目



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