司馬懿
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 司馬懿 について、曹操
~ 司馬懿 について、曹丕
司馬懿(しばい・字は仲達。あだ名は達ちゃん、略してシバチュー179年 - 嘉平三年8月5日(251年))は魏の軍師。晋の宣帝。軍師のくせに戦場に赴き、扇や爪の中に仕込んだ鉄線でがんばって戦おうとする。走りながら攻撃するときに高笑いしてしまう癖があり、敵兵は彼のその奇行を目にしただけで怯え逃げ惑ったという伝説を持つ。また蜀の諸葛亮は永遠のライバルである。 嫁である張春華によるDVが酷いためか、戦場でも袋叩きにされやすい傾向がある。つまりマゾヒストなのだが、同時に生粋のサディストでもあった。
最近は同軍の将軍である張コウに後ろを狙われている気がしないでもない。 晩年、アカデミー賞級のボケ老人の演技で政敵を騙した結果、見事に権力を掌握し晋建国の礎を築いた。
[編集] そのサディストぶり
どっかの無双ゲーでは「馬鹿めが!」とか言ってるバカキャラにしか見えないが(今では直江兼続と並ぶネタキャラのような気がする…)、実際の彼は冷酷無比でマジで手に負えないサディストであった。
- 曹操が漢中を支配したとき、「勢いでそのまま蜀とっちまいましょう」と言い、就職前のニートっぷりからは考えられないほど積極的な思考を見せた。これがサディストぶりの始まりである。
- 裏切り者が出た時、マジで通常の三倍の速度で進軍するという離れ業を見せた。その際、裏切り者には恩義を感じさせるようなメールを送って蜀にいくのを迷わせ、いざ裏切り者の元に着いたら一瞬で捕えて処刑した。
- 張コウが邪魔だったので、「敵を追撃して死んでこい」と言い、殺した。
- 裏切り者がまた出た。朝鮮半島のあたりに一瞬で進軍し、裏切り者を追い詰めた。裏切り者は日に日に食料が少なくなっていき、飢えてきた。裏切り者が「勘弁してください。人質も財宝も差し出しますから」と言ってきたので、「何言ってんの?意味分かんねえ」とメールを返して無視。飢えてあぶり出てきたので、殺した。
- さらに酷いのはそのあとで、「また反乱鎮圧すんの面倒だから男全部殺すわ」と言い、その土地の男を7000人ぐらい殺して山のように積み上げた。それを見て「おおすげえ!」と大満足だったという。
- 権力闘争でやっかいな奴が出てきたので、そいつの一派に対してボケ老人のふりをして油断させた。油断した奴らが都を留守にしたとき、一斉にクーデター。もちろん、その一派を皆殺しにした。一説には食い物を与えないで軟禁し、飢えて襲ってきたところを殺したらしい。「都の秩序を乱したので殺しました!」と言えば、自分は大義を損なわないからね!。
- なんか魏の皇帝の側につくやっかいなのが出てきたので、密告してもらってそいつらの計画を察知、みんな処刑。皇帝にも「自殺してね!」と言って自殺してもらった。皇帝の一族がうぜえので、みーんな軟禁して連絡も取らせないようにした。
[編集] そのマゾヒストぶり(嫁によるドメスティックバイオレンス)
彼の嫁であり某ゲームに出演している張春華は、雨が降った際に干してた本を彼が慌てて取り入れるのを見ただけ、と言う理由で彼のメイドを殺害。偶然にもその現場を目撃してしまった司馬懿!本性がばれてしまった張春華は開き直り、殴る蹴るなどの暴行を加えた後、彼を市中引き回しの刑に処した。このことについて彼は曹丕に相談をしたが、蹴られるのが趣味であった彼は「羨ましいじゃないか」と一蹴。以来、司馬懿は誰にも嫁によるDVの相談ができなかった。
[編集] 逸話
まだ張春華によるDVが無かった頃、彼は典型的な現代人であった。つまり、日々自室に引きこもり、同人誌を書いていたのである。部屋からでるのは画材を買いに行く時と、トイレ、風呂、食事、コミケの時だけであった。食事は張春華と共に摂っていた辺り、まだ救いがあると言えよう。その一方で曹操から何度か仕官の誘いがあったが気ままな生活を続けたかったために無視をしていた。
そんな平穏無事な日々を過ごしていた彼に人生の転機が訪れる。ある日とうとう業を煮やした曹操が実力行使に出て、後ろの処女を奪われそうになってしまった!そのため彼は貞操を守るために曹操に仕えるようになったが、それ以来彼は男に後ろから襲われないか絶えず警戒するようになってしまい、とうとう首が180度回るようになってしまったという。あまりの不気味さに、以来彼を襲おうとする者はいなくなったという。後年、諸葛亮と五丈原で対陣した際に、諸葛亮が彼に女物の服と飾り物を贈って挑発したのもこの話を人づてに聞いてたからである。最初がニートだったあたり両者は似ているよね。