吉村裕基

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吉村 裕基モン チッチ1984年6月14日 - )とは2009年現在、球界のお荷物に所属する、なんちゃってプロ野球選手である。ヘラクレスを自称するも、右の写真を見る限りでは信じがたい。

目次

[編集] 来歴

高校時代には、甲子園へも出場できた。センバツだけどね。

あのTDNも指名を見送られた2002年の秋、ドラフト5順目(弱々しいチームにとっては4人目)で誘ってもらったんで、何となく入団。背番号31をもらえた。

2003年の1年目からバリバリの1軍とは さすがに無理だったが、シーズン終了間際になってピッカリ大ちゃんからのご褒美で体験昇格をさせてもらう。すると、名古屋の味噌カツ球団との対戦で2塁打デビュー。翌日には初本塁打を飾った。

2004年から、また2軍で下積み。というのも、何も考えてないバカ首脳陣のせいで1軍で使う見込みの無い3塁手のままだった為である[1]

1軍昇格すら無かった2005年になって、ようやく2軍の正3塁手なんて無駄だという事を思い知らされたモンチッチは、この年の秋から仕方なく外野コンバートの支度を始めた。ただ、すでに3シーズンも無駄に費やしてしまっていた。

2006年は、不恰好な外野手ではあったが、「打球が飛ばせる打撃に免じて使ってやろう。」という牛島組長監督のありがた~い起用方針が、吉と出た。面白いように打てる、打てる。規定打席未満ながら3割到達、しかも26本塁打である。赤い激貧球団で健気に働く、豆粒のようなルーキー・梵天丸を差し置いて、新人王の呼び声さえ上がるほどだったが、やっぱ無理だった。←そりゃ横浜だもん。

外野手としての飛躍に賭けようとしていた2007年は監督が替わったせいで、1塁手として内野へ再コンバートさせられる。ところが、どうにも慣れず10失策。その影響は打撃へも波及したのか、前年を下回ってしまった。←うーん、残念。

2008年には、外野へ再々コンバートさせられる。

1年のブランクもあって不恰好には変わりなかったが、脚力や肩は水準を十分満たしているので侮れない。ヘタクソとの強い思い込みで釣り出された敵の走者をモンチッチの送球で刺す(捕殺っていうんだって)機会も多く、その数は11個というのだから、なかなかであった。

一方の打撃では34本塁打・91打点・135三振と、いずれも自己最高成績を挙げている。

ところが2009年はリバウンド。試合に出続けていたのに16本塁打・51打点なんて、ほぼ半減。年々下げ続けている打率の方はお察し下さい。結局、前年の水準を保てたのは134三振くらいであった。

[編集] 動けデブ!

口の中が不気味に青い男・村田は母校・東福岡高校の4学年先輩だったが、大学経由の為に高卒のモンチッチとは同期入団となっていた。そのため、早くに打ち解けたようである。

その村田とTVゲームで野球対戦をした時のこと。当然のように横浜を選んで、村田に挑んだ。

ところが、自チーム3塁手の打球反応の悪いこと、悪いこと。ついつい、TV画面に向かって口走ってしまった。


動けデブ!


いくらゲームとは言え、3塁手キャラは隣に座る 「村田そのもの」に他ならない。 もちろん、悪気は無い。

「守備が下手」という定評を覆せない村田にも非はある。かと言って、無遠慮に先輩を罵倒する後輩とは、いかがなものか・・・。

村田の胸中をモヤモヤが覆いつくしたという・・・。

もっとも、モンチッチが3塁手になれなかったのは、このデブのせいである。

[編集] 脚注

  1. 3塁手のモンチッチよりも上位の自由枠なんかで、同じ3塁手の村田を獲得しておく球団も、どうかしているのだろう。2人とも機能してるから良いようなもんだが・・。投手獲れよ、バカ。

[編集] 関連項目

  • ピッカリ大魔王 入団後、最初の監督。モンチッチには無害でも、チームとファンをドン底に陥れた。
  • 大矢明彦  3人目の監督。ピッカリ以上のトンデモ采配で、絶望をもたらした。モンチッチもコンバート騒動で迷惑した。
  • 上園啓史  現阪神タイガース所属。高校の同級生。
  • 古木克明  モンチッチ同様、デブのせいで外野へ弾き飛ばされた被害者。天才的守備を披露する。


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