吉野敬介

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運転手が吉野。後部座席に乗っているほうは亀田和久。

吉野敬介(よしの けいすけ、1966年6月25日 - )とは、元代々木ゼミナール所属のアーティストである。代ゼミを首になった後、現在は独立し、独自のプロダクションであるヨシケイを立ち上げ、活動中である。

概要[編集]

同じ言葉を何度も繰り返すリピート風のパフォーマンスが得意であり、木立(きだち)を肥やすことに関しては右に出るものはいないといわれている。彼の出す自伝的著書では、本を出すごとに過去の人生までもコロコロ更新されるという極度の妄想家でもある。例えば引き連れたオートバイは3000台とされたが近年は謙虚に1000台と記されている。しかし何年経っても国学院大学の二部出身である事実はカミングアウトされない。代ゼミのメンバー紹介欄のメッセージは極端に少なく、意思が通じているのか賛否両論であった。また、オレンジレンジなどに汚染された日本の音楽を改革することを理由に、2006年度を一杯に代々木ゼミナールを辞め、独立して音楽活動を続けていく方針であり、今後の活動が注目される。しかしながら、代ゼミをやめた真の理由は、ギャラとして渡されていたうまい棒が半減されたため受講生が遠退いた、というのがもっぱらの噂である。現在は何故か代ゼミではなく大手から去った講師のリハビリ施設として名高い東進予備校の古文講師となっており、部落発言や暴力事件などで問題を抱えていた彼を、代ゼミが見捨てたとも解釈できる。

略歴[編集]

中学時代から反社会的団体や暴走族に加わり自称特攻隊長を務め、お薬のために銀のブレスレットを警察からプレゼントされ鉄格子のある別荘で過ごす。高校卒業後、失恋をきっかけに20歳の9月に大学受験を決意して4ヶ月で国語の偏差値を25から86に上げ(たと妄想し)、難関・名門大学である立教大学や明治大学や学習院大学や早稲田大学など受験した学校に全て合格をした(ということにした)が、日本文学を究めたいと思い國學院大学の二部(夜間部)に進学する。という夢を20歳の9月に邪気眼で見る。しかし本人は二部の事実をひた隠しにしている。本来は二輪車を乗り回している走り屋、兼浪人生(2浪)あった。その後募金泥に手を染める時期もあったがその後、荻野暢也より才能を見出され、代ゼミアーティストとして活動。それからは才能が開花し、様々な楽曲をリリースする。その中高音のスキャットボイスに酔ったファンも多い。しかし本当の経歴がばれて他校合格も大嘘とばれる。代ゼミ退職後は、授業料が箆棒に高額な個人塾を立ち上げる傍ら、なぜか東進予備校の古文講師として就任している。彼の授業は雑談が非常に多く、昨今は高学力の受講生は彼の講義は避けたがるが、底辺私立文系大学しか進学できないような低学力の信者を中心に展開される。

彼の授業を受けた予備校生は決まって、

る、らる、す、さす、しむ、ず、じ、む、むず、まし、まほし、(ふゆ)。 き、けり、つ、ぬ、たり、たし、けむ。 べし、らし、まじ、らむ、めり、なり。 なり、たり、ごとし、り。

といった風な助動詞の活用を頭にすり込まれる。余談ではあるが、この呪文は授業を受けてから20年経過している現在においても催眠術によってあたまから抜けないといっている人物が筆者を含め多数存在するため、注意が必要である。また、最後に(ふゆ)と言っているかどうかには諸説がある。非常に小さくて聞き取りづらいが、(ふゆ)とたしかに言っているというもの、聞こえないというもの双方が存在する。講義を受けている諸君は是非語尾をよく聞いていてほしい。助動詞(ふゆ)は、受験古文においてはめったに使われないが「ふ」は、継続、反復「ゆ」は受身、自発、可能の助動詞である。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナルソング[編集]

吉野ラップ
吉野の楽曲の特徴は荻野暢也など他の代ゼミアーティストとのコラボがメインである。そのため、オリジナルソングが少ない傾向にある。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「吉野敬介」の項目を執筆しています。

外部リンク[編集]


この項目「吉野敬介」は、執筆者自身は結構気に入っていますが、どう見てもクソの山です。本当にありがとうございました。代々木ゼミナールに訴えられないうちにさっさととりかえることをお勧めします。 (Portal:スタブ)