名松線

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名松線(めいしょうせん)は、JR東海の支配下における見捨てられた路線である。

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目次

[編集] 運行状況

通常は0.5両の気動車が2時間ごとにのんびりと行きかっている。通常でないときは1時間に6本の高速バスが路線に平行して名古屋中心部まで往来している。1982年ごろに長期にわたって通常でない状態になったが、その後も夏の風物詩として、毎年のように通常でない路線運用が行われる。

[編集] 略歴

鉄道建設法における地方鉄道「信濃國深志御城下ヨリ東筑摩郡波田村、飛騨國高山ヲ経テ名古屋國中村ニ至ル鉄道」として建設工事が進められ、1909年に松本市まで全区間が全通した。途中は急峻な山岳地帯であり路線規格も厳しいものであった。「飛騨の夜明け」として沿線住民には好評であった。

かつては鵜沼方面を経て名古屋鉄道への乗り入れを行っていた。1944年に戦局の悪化から中止されるまで、蒸気機関車が電車を牽引する形式で列車が運行されたが、乗り心地はお察し下さい。 急行「げろ」「ふじやま」などが存在した。

戦後の乗り入れは1965年から2001年まで行われ、急行「げろ」「たかやま」「りんどう」「北アルプス」号などの列車が運行された。急行用としては当初はキハ82系と同仕様の8000系、のちにキハ85系と同仕様の車両である8500系気動車が用意された。

1982年に中央西線の全線電化が行われ、長距離客の多数が中央西線を利用し「北アルプス」号の乗客が激減した。このため2001年には北アルプス号が廃止され、8500系は会津鉄道に売却された。

現在は名古屋側での運行は高山本線と共通化されており、全区間通しで運行される列車は2009年10月現在存在しない。ローカル運用は、特に中部縦貫道あぼーんトンネルの開通と共に乗客数が激減しており、列車の本数がさらに減少している。

[編集] 合理化

近年は路線の合理化が進み、単線自動閉塞化によって駅員は両端駅2名にまで削減された。乗務要員も、かつての2名から1名に削減され、ワンマン運転が主流となっている。しかし首脳陣や天下り役人への人件費の高騰から、さらなる人員削減が行われた。現在は乗務員0名、駅員1名での運行がたびたび試行されている。

2009年10月にJR東海は乗務員0名、駅員0名での運行を末端区間で行うと発表した。バスによる運行も同時に行われ、名古屋中心部との行き来がさらに便利になると期待されている。CO2削減に逆行することについては誰も気にしない。

[編集] 沿線の名産品

  • 飛騨牛 - 松阪牛?なにそれ?
  • 塩尻ワイン、安曇野ワイン - 名張ぶどう酒?それおいしいの?
  • 銘菓 下呂の香り - 温泉街につきもののアノにおいが思い出される逸品です。
この「名松線」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)