大幹線和歌山線

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大幹線和歌山線(だいかんせんわかやません)とは、和歌山と王寺87.9kmをむすぶJR西日本の近畿交通網において最強のドル箱路線である。路線は世界自然遺産の清流紀ノ川に沿ってあまたの大都市を結び、列車は常に満員状態で走る。

歴史[編集]

 紀ノ川流域は有史以来3000万の信徒を有する高野山の門前町橋本を中心に、大都市の林立する人口過密地帯だった。そのような場所へ鉄道を引く動きは明治維新以降長らくあったが、新生和歌山県においては用地買収にかかる費用があまりに高く、紀和鉄道による建設の開始は明治31年までずれ込んだ。その前年に鉄道整備の遅れに悩んだ故郷の大外交官陸奥宗光公が切腹して、やっと住民の総意をとりつけた末の開通だった。

 明治政府は深く反省して清朝や朝鮮王朝で獲得した大量の資金を基に建設を急がせ、その結果明治36年にやっと全線が開通した。宗光公は生来紀ノ川の大都市に沿うこの新線を和歌山と大阪をつなぐおおやまとの幹線にするよう訴えていた。しかし、薩長の藩閥政府は宗光公の意見を無視し、全通4年後に国営化されてからも複線電化程度でとどめた。そのため、同線は開業時から輸送力不足で満員電車状態となり、その状態は本数が相当増えた現在も継続している。なお、以下の沿線記述は宗光公の父にして幕末歴史学の泰斗たる伊達千広公の記録をもとにしたものである。

沿線の大都市群[編集]

和歌山-五条[編集]

鯛ノ瀬駅。紀ノ川下流最大の都市の威厳を保っている。
鯛ノ瀬
仁徳天皇陵の5倍の広さを持つ岩崎千塚古墳の代からずっと紀ノ川下流域最大の都市である。紀貫之公が紀伊京を開いた由緒ある場所だ。
布施屋
兜町など及びもつかない金融センターである。ニューヨーク証券取引所の取引作法はここから始まった。
岩出
偉大なる8代将軍徳川吉宗公が幼き頃農民に混じって農作業を行った最大の穀倉地帯である。吉宗公はここで培った技術を基に将軍となり、この地から生まれる米の美味を岩の如き精神で全国に普及しようとしたため、米将軍の異名をとった。その富を基に僧侶が常に寝られるほど豊かなお寺への路線が分岐している。
打田
世界自然遺産紀ノ川の清流で本格的なヨットを楽しみたい者のための施設がある。施設への志願者は年1万人を超し、利用者も環境保護に努めているが、この数はいかんともしがたくユネスコのイコモスから環境改善に努めるよう毎年改善勧告が出されている。
粉河
沿線最大の粉河寺を目指す参詣客が決して列を絶やさない中心駅の一つである。寺の本尊から振り撒かれる金粉が紀ノ川に流れ込み、イコモスから注意勧告を受けるほどの鮮やかさを作り出す。ここからも河内方向へ向かう路線が分岐する。
名出
1300年前に世界で初めて麻酔外科乳癌手術を行った「神農に並ぶ聖医」華岡青洲公の精神が生きる医学の街である。それを顕彰する「ハナの丘」公園には年10万人の慢性病疾患の患者が訪れる。しかし、その設計者の男の弟子達が卑しくも乳癌手術と称して××なことを繰り返したため、対策として国内最大の女医育成学校ができて、悲劇の再発を繰り返すまいと尽力している。
笠田
国内最大の荘園といわれた桛田荘のある場所である。この荘園は神護寺の所管で、高野山の指示を無視して領民たちを搾取していたので、高野山は解放戦争を展開して農民をその「かせ」から救ってやった。これが地名の由来である。この史実は荘園を巡る代表的事例と位置付けられており、小学校の歴史教育においても学ぶべき事項とされている。そのため、笠田でも「かせだ」と読む。
高野口
この地から戦歴0勝2敗のくせに史上最強とされる領地なき似非戦国武将が籠っていた九度山へと短絡線を延ばす計画があるが、路線買収費用が数兆円を超すとの反対から計画は100年間頓挫している。
橋本
3000万の信徒を持つ高野山の門前町として栄え続け、今も670万の信徒が居住する内陸最大の都市である。2020年和歌山市から県庁が移転してきた。南海電車の路線が南北に分岐する。関西国際空港から高野山にやってくる外国人観光客の姿が駅から絶えることはない。路線はここから奈良県に入る。

五条-王寺[編集]

五条
江戸時代から奈良を大きく超す繁栄を誇った偉大なる城下町である。この街が以下に大規模であったかは偉大なる天誅組が討幕ののろしをこの地で上げたことをみれば明らかだろう。ここからは最強の難度を誇る熊野古道を辿っていく日本最高の混雑路線阪本線が南北へ分岐し、年300万人ともいわれる修験者たちに交通の便を与えている。
北宇宙
周囲に民家の少ない唯一の駅である。それはいうまでもなく、この地にスペースシャトルの発射基地があるからだ。発射の邪魔にならないように、すべての列車は多くの時間を割いて路線を入れ替えなおす作業を行う10秒も待たずに発車してしまう。この駅から発射基地に通勤する者は10万人を超す。
吉野口
近鉄路線が南北へ分岐する。近鉄を乗っ取ったと言っても過言ではないほど近鉄の存在を消しまくってる駅。1日の乗り継ぎ客は30万を超す。
掖上(わきがみ)
線内で唯一、貧困者が多く住まう負の地区である。貧困者たちへの差別感情の解消を訴えて、西光万吉公ら同志4人が1922年この地区に水平社博物館を建てた。この辺りが全国最大のスラム街と化し、いつ暴動が起きるか分からない状態にあったのを、水平に制御するのが設立趣旨であった。その精神は今日も生きており、近年どこかの会が反動的な3万人集会を開こうとした時は、30万人がその会を取り囲み、彼らを徹底的に退治した。
御所
葛城山の皇族たちが6世紀から一貫して御所を置いている聖地である。近くには300もの寺社が林立し、同志たちを出迎える。葛城訛りにより「ごせ」と読む。
高田
市内に3つものターミナル駅を持つ現在の奈良県内では最大の街である。しかし、あまりに住宅が建て込んでいるため、現在3つの間に連絡は一切存在しておらず、ターミナル間を移動する歩行者たちに対するスリ被害が続発している。
JR五位堂
「駅間距離が長いから」という理由だけで信号場を駅にしてしまった。開業時には華やかな電車をユニバからつれてきたが、その後は、快速が止まるのもばかばかしいほどに何にもない駅である。金鉄の五位堂駅と関係があるように見えるが、同駅とはかなり距離がある。
香芝
近年ものすごい勢いで人口が増えている近畿最大の新興住宅地。五位堂木津千里など目じゃない。住宅数は多いが環境と景色は良く、薫り建つ香芝モデルとして世界の都市計画プランナーが視察に訪れる。JR五位堂の開業に合わせて、駅名を「香芝市ですよ! 皆さん!」と「事故」アピールするために駅名変更した(それまでは下田駅)。
志都美
勇者の鑑たる武烈天皇の陵を顕彰して、靖国神社の次に大きい志都美神社が存在する。最近改装され、JRの香芝市内ではまだマシになった。
畠田
一面一線の単式の構造。
王寺
近鉄最大の路線、田原本線をはじめ4つもの路線が分岐する大駅である。かつては王子という駅名であり、現在も皇太子はみなこの駅で立太子の儀式を行い、王子から皇子となる。

運行形態[編集]

 和歌山方面では20両編成のE233系最新鋭列車が和歌山―粉河間を3分間隔、橋本や五条、高田までの間を6分間隔で走る。全線各駅停車で快速運転が行われていないのは、複々線でない上に全駅でたいへんな数の乗客が乗降するためである。高田から王子までは片田舎の大阪まで結ぶ60両編成の快速列車が主役となる。こちらの区間は少し前まで2分間隔で運転されていたが、それが3分間隔に変更されたためますます混雑が悪化し、暴動の発生が懸念されてもいる。

 分岐路線は数多く、岩出からは根来線が、粉河からは熊粉線が大阪方面への短絡線となり、大ポリス橋本からは南海電鉄の列車が南北に2分間隔で乗り入れ、五条からは熊野古道の道に沿って新宮までむすぶ阪本線が分岐する。また、吉野口からは吉野と飛鳥へ向かう近鉄の特急列車が6分間隔で高速運転している。御所にも同様の乗継設備がある。高田からは、万葉集の歌すべてを描きこんだ20両編成の列車の走る桜井線が分岐する。この列車は時折大幹線和歌山線にも乗り入れてくる。

関連項目[編集]

Wikipedia
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