中村市

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四万十市 から転送)
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中村市(なかむらし)《合併→「四万十市」》は、高知県西南部に現存する都市である。

土佐一条氏の城下町であり、その美しい里山は「四国桃源郷」と呼ばれた。平成の大合併では、最後の清流・四万十川にあやかって、四万十市(しまんとし)を発足させるが、観光振興をねらった安易な名前であると各界から批判が相次いだため、市名を元に戻すことになった。

目次

[編集] 概要

高知県の西の果てに広がる幡多地区の中心都市である。独自の文化・風習をもつなど高知県中央部とは毛色が異なり、むしろ愛媛県南部の南予地区と共通性が見られるため、高知市民から「不入山の向こうは土佐ではない。」といわれるほどである。

中村」という地名の由来は「幡多郡の主邑」であるからとも、伝説の隠れ里穴の中の村」によるものとも伝えられる。「穴の中の村」は、四万十川を遡った深い谷の岩影の穴の中にあるとされる理想郷で、気候は常春であり、幻獣妖精とともに暮らす住民はみな長寿であるが、その村には善人のみしか到達できないという。

この平凡な市名に不満を持っていた一部の住民は、中村市と西土佐村の合併を推し進め、新たに「四万十市」を設置することを決定したのである。しかし、これに対抗するかのように、四万十川上流域の自治体である窪川町・大正町・十和村が合併して、「四万十町」を名乗ったため、市と町の違いこそあれど、隣り合う自治体が全くの同名という特異な状況となってしまった。さらに、四万十川の流域は愛媛県にも及んでいることから、愛媛県の町村から二つの「四万十」に対して反発の声があがったため、四万十市・四万十町は、中心地名を取ってそれぞれ「中村市」・「窪川町」になることで一応の決着を見たのであった。

[編集] 地理

山と海に挟まれた辺境であるため、平家の落人伝説にみられるように、中央の戦乱から逃れてきた人々が落ち延びた地である。

四万十川が市内を貫流している。四万十川は、いまでこそ「最後の清流」として全国的に有名であるが、河川法で定められた正式名称は、つい最近まで「渡川」であった。かつては、四万十川の源流を「窪川(くぼかわ)」、四万十川の支流である檮原川を「四万川(しまがわ)」、窪川と四万川の合流地点を「十川(とおかわ)」、河口付近を「渡川(わたりがわ)」と様々な名で呼んでいたのである。

このように、河川の部分によって名称が異なる例は日本全国に見られ、特に珍しいことではなかった。ところが、頭の固い連中が「同じ河川に複数の名称があっては、不都合である。」と言い出したため、これらの河川名のを強引に組み合わせた、「四万渡川(しまんとがわ)」という摩訶不思議な「川」が生み出されたのである。

[編集] 歴史

大化の改新によって国郡制が定められる以前までは、現在の高知県西部に「波多国」が存在していたが、波多国は都佐国とあわせて土佐国となっている。歴史に「たられば」は禁物であるが、仮にこれらの国が整理されずに存続していたならば、二名島は「四国」と呼ばれることもなく、当然「死国」などというナンセンスきわまりない呼称が流布することはなかったはずである。

応仁の乱を避け、所領であった土佐・幡多荘に下向してきた一条教房は、公家の名門一条家の出身でありながら、幡多の地を開拓し、そのまま戦国大名として土着した。ついで、一条房家は、中村御所を拠点として、京都を模した碁盤の目状に区画された中村の町を築き上げた。一条兼定の代になると、にわかに頭角を現した長宗我部元親によって土佐の大部分が制圧されたため、兼定は重臣たちの働きかけによって豊後に一時退避した。再起を図るため土佐に戻ったものの、四万十川の戦いに敗れ、高貴なる土佐一条家は、蛮族・長宗我部氏によって、以下略

[編集] 交通

市の中心部に、土佐くろしお鉄道中村線宿毛線が、江川崎地区に予土線が通じている。中村線は、事実上土讃線の延長線として建設された。さらに、中村から宿毛を経て宇和島に至る宿毛線とあわせることで、高知・愛媛両県を結ぶ路線として機能する予定であった。

ところが、それに先んじて宇和島線の江川崎 - 若井間が開業し「予土線」と改称したことで、宿毛線の建設意義が薄れてしまった。中村線は「行き止まり線」であったため、予土線より輸送密度が高かったにもかかわらず、頭の固い連中によって特定地方交通線に指定されるという憂き目に遭うが、現在まで奇跡的に生き延びている。

[編集] 観光

四万十川以外にも見所はたくさんあるが、最近は顧みられることはない。土佐一条氏が築いた中村旧市街は、正真正銘の「小京都」といえるが、中村も所詮は京都劣化コピーでしかなく、現代の「ミニ東京」と何ら変わりないといってしまえばそれまでである。

四万十川の上流は「秘境」のおもむきが広がるが、中村付近はそうでもない。そもそも「四万十川」は妄想の産物であり、観光客は「理想郷」や「桃源郷」といった虚構に踊らされているが、当人が幸せであるならそれで良いではないかとされている。

[編集] 人物

[編集] 関連項目


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