国慶節

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国慶節(こっけいせつ、shí yī)とは、中華人民共和国の建国記念日である。

概要[編集]

偉大なる歴史の始まり。

1949年9月、中国人民政治協商会議において1949年10月1日を中華人民共和国の建国記念日と定めた。これは、1949年10月1日に天安門広場において開催される中華人民共和国の建国式典において毛沢東中国共産党主席が中華人民共和国の建国宣言を「行なった」ことに由来する……あれ、

何かおかしくないか?

矛盾[編集]

中国人民政治協商会議において国慶節を1949年10月1日と定めたのは、1949年9月である。そこまでは問題ない。その日に中華人民共和国の建国式典を開催することも、まったく問題ない。しかし、なぜ毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を1949年9月時点で「(既に)行なった」事(過去形)になっているのであろうか?1949年10月1日に建国式典および建国宣言が「行なわれる(予定)」であれば、まだ解る。当日までに諸事情による変更こそあるかも知れないが、未定の予定を基として計画を立てることは、少なくとも不可能ではないからである。

となると、もしかして1949年9月の時点で、1949年10月1日に建国式典が開催され、そこで毛沢東が建国宣言を行なうことは、もはや運命だったのかも知れない。あるいは中国共産党内に予言者がいたのかも知れない。いや、今もいるのかも知れない。たとえば李鵬とか……

と、[編集]

ウィキペディアにはそのような事が書かれている。単に記述のミスなのかも知れないが、面白かった[要出典]ので揚げ足を取ってみたネタとして取り上げたのであった。

軍事パレード[編集]

戦車4台が人民1人にナメられる有様。その後、彼はキチンと粛清されました

ともあれ、翌1950年から毎年10月1日を国慶節として祝賀する記念式典を開催しているのであるが、その華やかな式典の中でも最大の目玉と言えば軍事パレード(閲兵式)である。これは武力で広大な中華大陸を制圧した中国共産党が、その私兵(人民解放軍)の精強さを示威することによって毎年30,000件以上国内各地で発生[要出典]する暴動内乱を抑止しようと張り切っているためである。そこで最初は第1回(1950年)から第10回(1959年)まで毎年盛大な軍事パレードを行なっていたが、その後予算国内事情などの都合によって軍事パレードを行なう余裕がなくなってきたため、建国式典における軍事パレードは行なわれなくなったものの「わが国の軍事力を(諸外国および人民に)ナメられては困る」と言うことで、ここぞという(=何かを主張・要求したい)時には第35回(1984年)、第50回(1999年)、第60回(2009年)と散発的に軍事パレードを再開している。

余談[編集]

かくして中華人民共和国は2010年現在において、めでたく61周年を迎えたのであった。あれ、中華三千年の歴史はどこに行っちゃったのだろうか。

「姓(統治者)が易(変)われば、命(国・歴史)も革(改)まるものだ。」
国慶節 について、易姓革命

要は政権が変わるたび、前任者(王朝)の歴史など文化・文明・関係者ことごとくなかったことにされてしまうのが厳しい大陸の掟なのである。

関連項目[編集]