土岐頼遠
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 土岐頼遠 について、DQN四天王
土岐 頼遠(とき よりとお)とは、我が者顔で南北朝の乱世を闊歩した放逸なならずもの。後世のDQN四天王など歯牙にもかけぬバサラ大名である。
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[編集] 略歴
土岐頼貞の六男として誕生する。後醍醐天皇らによる鎌倉幕府打倒運動では反幕府軍の一翼を担い、天皇と足利尊氏の争いでは尊氏方に与し、各地を転戦して北畠顕家、新田義貞らと干戈を交え軍功を重ねた百戦錬磨の猛将で、特に北畠顕家との青野原の合戦では敗退したものの大軍を擁する顕家相手に奮戦し痛手を負わせている。尊氏や諸将も頼遠の武勇を高く買い、「土岐が絶える時足利も絶えるだろう」とまで言われた。単なる武勇一辺倒の武将のみならず教養も高く、「新千戴集」などに頼遠の詠んだ格調高い歌が収録されている。
室町幕府の樹立に大きく寄与した頼遠だが、尊氏やその弟足利直義の思想、政策に必ずしも同調している、というわけではなかった。頼遠は反社会的、背徳的な思想の持ち主で、既存の秩序や伝統に対しての反撥を強く抱くはねっ返りであった。その背徳的志向の発露か、豪奢な衣装を身に付け、女遊びに耽溺するなど放蕩の限りを尽くした。このような趣向を持った人物は頼遠のみならず、世間では彼らは「バサラ」と呼ばれた。頼遠のバサラぶりはとりわけ人目を惹くもので、全裸で外を歩くなど日常茶飯事で、戦の際には長い角の飾りが付いた真紅の兜に銀箔の鎧を身に付けて出陣したという。その姿がとある鳥に酷似しており、鎌倉時代まで「タウ」「ツキ」と呼ばれていたその鳥が、頼遠にあやかって室町時代から「トキ(土岐)」と呼ばれるようになった。
そんな頼遠だが、常軌を逸脱したとんでもないことを犯してしまう。洛中を二階堂行春と共に馬に跨って闊歩していた頼遠は、尊氏、直義兄弟が後醍醐天皇に対抗して擁立していた北朝の光厳上皇の牛車と鉢合わせする。上皇の従者が院の行幸ゆえ控えよと命じたところ、二階堂の方は従ったが、元々旧弊に対しての反撥が強い頼遠は下馬するそぶりを見せないため、従者が怒って語気を強めた。これが頼遠の激情の導火線に触れた。
~ 従者の言葉 について、土岐頼遠
と言い放つと、いきなり上皇の牛車を蹴飛ばして転倒させた。上皇が慌てて車から飛び出してきたところ、頼遠はこれに対して更に矢を撃ち掛けた。矢を射られ、狼狽しながら逃げ惑う上皇を前に
~ 光厳上皇 について、土岐頼遠
と哄笑した。
この前代未聞の狼藉行為は直ちに尊氏、直義の知るところとなった。謹厳実直な直義は激怒し
と、普段の彼からは想像も付かないほど過激な言葉で狂い叫び、頼遠の処罰を即断した。頼遠は尊氏が帰依する夢窓疎石の元へ駆け込み陳弁し、夢窓と尊氏、直義兄弟の交渉の末、頼遠は斬罪に処するが、土岐家そのものは存続を許し、甥の土岐頼康に引き継がせるということで折り合いを付けた。かくして頼遠は処刑されることとなったが、その処刑の寸前、尊氏、直義兄弟を前にしてこのバサラ大名の減らず口が炸裂する。
頼遠は言う、光厳院は尊氏が大義名分の為に担ぎ上げた傀儡も同然であり、自らの力で天皇になったわけではない。いかに帝の血族と言えど、我々武士の屍山血河の上に胡坐をかいてふんぞり返っているだけの奴を敬う必要がどうしてあろう。そんな帝など、犬でも務まるではないか、あれはお犬様だ、と。[1]頼遠のずけずけとした物言いに直義が激昂したのは言うまでもない。約定を反故にして土岐一族全員車裂きの刑にしてやろうかと思い立ったほどだが、頼遠、夢窓老師との約定を反故にすれば己の沽券にかかわるばかりか他の武将達の心証、信頼を害し、離反者を招くかも知れず、今更反故には出来なかった。頼遠はそれを見越して思いの丈を全て吐き捨てたのである。相撲に勝って勝負に負ける、直義の完全な敗北であった。
ついに頼遠は処刑されたが、多くの人々は頼遠に同情的で、処刑の寸前まで他の大名や武士、洛中の人々から助命の嘆願が寄せられていた。同じバサラ大名として有名な高師直などは頼遠の言い分ももっともであると全面的に同意した上で、「帝の代わりなど犬どころか木や石でも務まる、口煩いだけの本物の帝などどこぞに流して、置物に帝をやらせればよい」と言ってのけた。
[編集] 注釈
- ↑ これが語源となって、本人の資質や人望が伴わずに高い地位にいる人物を「お犬様」と揶揄するようになった。江戸幕府5代将軍徳川綱吉は世間から「お犬様」と風刺されることに我慢に据えかね、だったら犬の地位を物凄く高くしてやるもんねと生類憐みの令を発布した。
[編集] 頼遠の狼藉に対する評価
古来、天皇を手にかけた人物や皇太子を暗殺しようとした人物は十指に余るほどいたが、皇族にここまで侮辱的行為をした男は有史以来頼遠ただ一人と言える。後水尾天皇の矜持を汚泥に塗れた土足で踏みにじったとされる徳川秀忠でさえ、ここまで露骨な侮辱は行わなかった。鳥肌実は頼遠の行為の是非はともかくとしてその破天荒ぶりと帝さえも畏れぬ蛮勇を高く評価し、「プロ市民や天皇制廃止論者共もせめてあのアホ面の皇太子様に生卵の一つでもぶつけてみろ」と、左翼のチキンぶりを非難している。