多摩川戦争

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多摩川戦争(たまがわせんそう、:Tamagawa War)は2005年8月7日から継続中の東京埼玉などの枢軸国と千葉神奈川などの連合国との戦争。

呼称の議論[編集]

戦前・戦中においては第二次大東亜戦争と呼称していたが、それは石原慎太郎が「こっちの方がカッコいいじゃん」という理由であった。しかし、周辺諸国からの抗議を受けたため、主戦場であった多摩川から「多摩川戦争」と呼称した。

また、近年千葉県では荒川戦争と呼ぶことが提唱されているが、無視されている。

戦争への経緯[編集]

神奈川内にある小国こどもの国が核実験施設を建造中であるという報告を受けた石原慎太郎は神奈川に大量破壊兵器製造の疑いがあるとして強制査察を敢行した。もともと、旧日本軍の火薬庫として使用されていたので査察されると非常に困るこどもの国陸軍はこどもの国線を爆破(長津田事変)、東京都の陰謀として長津田を作戦指令本部として田園都市線を占拠し、東京の神奈川方面からの物資輸送ルートを封鎖しようとした。(しかしながら、東横線小田急小田原線などから十分に輸送できた。)

また内乱不回避が決定的になったのは、川口にて東京都の幹部と各市町村の幹部、及び外郭団体の役員達が情勢不安の状況における対応を協議し、その後キャバレークラブソープランドイメージクラブ等の風俗に『接待』として繰り出した。この時、神奈川県はこれらの情報を事前に察知し各々にヒットマンを送り込んで主要の幹部を狙撃、もしくは膣痙攣で自分のエクスカリバーを自力で抜けなくなって救急隊員に担架に乗せられてソープランドから出てきた所を一斉に写真を取られ、その写真をプロパガンダの道具に使われた(西川口事件)。これにより内戦回避論者だった者達を一気に賛成に回してしまった。

西川口事件という恥かしい事件の後、東京都は威力偵察の代わりに歌舞伎町にたむろしている町の不良達や暴走族を扇動してにわか軍隊を組ませ、その間に神奈川県を挑発する。この挑発に乗って勝手にハネた神奈川県の一部の職員が多摩川を越境した。だが、待ち受けていた極道と交戦して徹底的に潰された挙句に捕まり男女問わず丸坊主にされた挙句、渋谷ハチ公前に全裸で急造の柱に三日縛られてさらし者にされた後、女は風呂に沈められ、男はタコ部屋送りとなった(渋谷ハチ公事件)。これを機に東京都は急編成したにわか軍隊の愚連隊を威力偵察をかねて突撃させた。このにわか軍隊の猛威は凄まじく、今時時代劇でもみれねぇよと言われてしまうほどの悪逆非道さで多摩川周囲を放火・略奪・破壊を繰り返した。だが、侵入後半日に深入りしすぎた彼らは神奈川県警察と交戦、警察隊を退却させる効果的な戦果を挙げたものの隊は瓦解、結果的に駆逐される事となった(多摩川事変)。だが、結果的に警官隊が退却し手薄になった為に宣戦布告が早まった、とされている。

戦争の経緯[編集]

戦争初期[編集]

2005年8月7日こどもの国の態度に対し東京都はこどもの国を委任統治する神奈川県に宣戦布告、と同時に以前から領有を主張していたネズミーランドを強襲した(ネズミーランドの戦い)。ネズミーランドではクッキーマウスたちが以前から密輸していた銃火器で応戦。観光客を人質にアトラクションにたてこもるなど徹底抗戦するも、物量に勝る東京都軍にシンデレラ城は落城してしまう。落ち延びたキャラクター達は浦安を中心にゲリラ戦を展開していく。一方、多摩川を渡った東京都軍は川崎を一時占領するも、海上自衛隊による横須賀からの爆撃によって市の大半を消失する。これに怒った都知事は練馬駐屯地に応援を要請すると、川崎市民(主にロッテファンとフロンターレサポーター)は民兵を組織し徹底抗戦する。(第一次多摩川の戦い)

大反攻[編集]

東京都は植民地から兵士を徴兵し、多くの埼玉県民が戦場に送られた。埼玉県民はろくな武装もしていないにもかかわらず、投石や糞尿をかけるなど勇猛果敢に戦い、連合国兵士に恐れられた。そのおかげもあってか、東京は戦線を拡大、西は戸塚・東は船橋にまで及んだ。だが、海ほたるでの千葉神奈川両県会談によって東京湾上陸作戦を計画する。2005年8月28日湘南ライフセーバー2000名を先頭に志願兵20万人がお台場に上陸しフジテレビを占拠した。さらにゆりかもめを乗りついで新宿アルタで収録中の笑っていいとも!襲撃、タモリを使って若者を厭戦気分にさせ た。さらに、サブリミナル効果によって若者は各地で反乱を起こす。渋谷のハチ公前では自衛隊と若者が衝突、3000人の死者が出た。神奈川県の発表ではこの作戦で東京都に大規模な被害を与えたとしている。だが実際は東京都民よりも渋谷・原宿に遊びに来ていた神奈川県民の方が多く負傷していた。。

りんごももか姫暗殺未遂事件[編集]

千葉の敗色が濃くなると、一部の将校の中でりんごももか姫に反感を持つ者があらわれはじめた。それを嗅ぎつけたさとう玉緒千秋らはりんごももか姫を暗殺を計画するも未然に発覚。関係者全員が強制収容所に入れられた後、処刑された。

東京山梨不可侵条約[編集]

先の大戦で疲弊しきった山梨は今回の戦争に参加するほどの軍事力・経済力を有していなかった。しかし、長野県知事、田中康夫が中央政界進出をもくろむと山梨を併合し、関東と直接影響力を持つようになった。それに対して東京都としては、かつてのヒトラーのような拡大政策をとる田中康夫と争うことは避けたいため八王子で山梨代表団と東京山梨不可侵条約を結んだ。その見返りとして2007年の大河ドラマを山梨を舞台にしたものとする事を約した。