大モルトケ

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「なぁ、若さゆえの過ちまで全集に収録しないでくれないか……」
自身の小説 について、大モルトケ
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大モルトケは、19世紀のドイツに存在したライトノベルの主人公軍人である。フルネームとか生年月日は真面目な百科事典を参照せよ。同名の甥と区別するために「大モルトケ」と呼ばれる。

生涯[編集]

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  • 貴族の家の生まれだが、彼の実家は裕福な暮らしをしていたわけではなく、名ばかりの貧乏貴族だった。モルトケが生まれる以前からフランスとの戦争は始まっていたが、モルトケが幼い頃にプロイセンはナポレオン戦争に敗れ、ベルリンを含む半分以上の領土がフランスの占領下に置かれた。
  • 家計を助けるために士官学校に入ったが、背はそこそこ高かったものの病弱で気が弱く、士官学校の関係者や国王からは軍人として成功するとは思われていなかった。そんな人が創作の世界でもどこかにいたような……

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  • 士官学校から陸軍大学校に進んだ後に軍に復帰したが、給料が安くて食っていけなかったため、副業として出版関係でいくつかの仕事をしている。『二人の友人』という短編小説を書いた。この小説は特に売れたわけでも内容に優れていたわけでもないにも関わらず、執筆者が有名になったので全集に収録されている。
  • さらには『ローマ帝国衰亡史』を翻訳する契約まで出版社と結んでいたのだが、出版社が倒産したため立ち消えになった。金に恵まれないあたりは某ハーレム執事を彷彿とさせる。

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  • 参謀本部ではなかなか芽が出ず、半年間の遍歴の旅に出た。そうしたら行き先の一つだったオスマン・トルコで才能を認められて軍事顧問となり、トルコに4年ほど滞在することになる。この間、シリアとの戦争に敗れるが敗れた原因は司令官がモルトケの助言を無視し、イスラーム聖職者のアドバイスに従ったためである。トルコにいる間、妹にトルコ事情を記した手紙、絵などを送っている。
  • 帰国後、義理の姪(妹の夫が、先妻との間にもうけた娘)と婚約のち結婚。ちなみに姪は26歳年下で、婚約時13歳、結婚時16歳決してロリコンではない。違うんじゃないかな。まあちょっとは覚悟しておけ。子供には恵まれなかったが、夫婦生活は良好だった。

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  • 参謀畑を歩むが、当時の参謀本部は閑職だった。1858年に参謀総長となった後、鉄道や電信網を整備して輸送や命令を効率化することに成功した。
  • そうして作り上げた参謀本部が普墺戦争、普仏戦争で活躍。参謀本部の重要性を証明する。
  • ヴィルヘルム1世の下、鉄血宰相ことビスマルクと共に成功したのだが、あまりビスマルクとの仲は良くなかった模様。二人ともツンデレである。
  • ヴィルヘルム1世の孫にあたる、若いヴィルヘルム2世と対立して退役し、数年後に没する。そして大モルトケの没後、ヴィルヘルム2世と大モルトケの甥・小モルトケが第一次世界大戦に敗れ、ドイツ第二帝国は崩壊した。

ラノベみたいな人生だろ。ウソみたいだろ。事実なんだぜ、これ……。

言行録・エピソード[編集]

  • 船酔いが酷く、艦長から「責任が持てない」と言われて船から降ろされたことすらある。
  • 妹が結婚するにあたって、「結婚は富くじのようなもので、何が当たるかは運次第だ。もし結婚するなら、お前の育てた娘を娶る」と言った。そして上述の通り、妹の義理の娘が彼の妻となる。

関連項目[編集]